世界の歴史 思想

功利主義とは?歴史的背景から主張・影響までわかりやすく解説!

2025年1月18日

はじめに:功利主義とは何か?

「功利主義」と聞いてピンと来る方もいれば、「なんだか難しそう……」と思う方もいるかもしれません。

功利主義(こうりしゅぎ)は、「最大多数の最大幸福」というフレーズで有名な倫理学・政治思想上の立場の一つです。

人が何か行動をするとき、「それは自分や周りの人々にとって幸せ(あるいは利益)をもたらすかどうか」を基準に考える考え方とも言えます。

ただ、この「幸せ」や「利益」とは何なのか、具体的にどう測るのか、といった問題は非常に奥深いです。

功利主義がなぜ生まれ、誰が主張し、どのように社会に影響してきたのか、その流れをたどることで理解が深まっていきます。

今回の記事では、その歴史的背景から、代表的な思想家、社会的イベントへのかかわり、そして後世の思想へのインパクトまでを、なるべくわかりやすく解説していきます!

歴史的背景:なぜ功利主義が生まれたのか?

18世紀~19世紀の社会変革

功利主義が本格的に説かれ始めたのは18世紀末から19世紀にかけてのイギリスが中心でした。

ちょうどこの時代、イギリスは産業革命の真っ只中にありました。

蒸気機関の発明や工場制生産の拡大によって経済規模が急拡大する一方、都市に労働者が大量に流入し、貧富の差や衛生環境の悪化など、さまざまな社会問題が深刻化していたのです。

当時の政治や社会制度は、まだ封建的な名残りや特権階級中心の仕組みが色濃く残っていました。

特に一般庶民にとっては、賃金の低さや劣悪な労働環境が問題視されるようになり、社会改革の必要性が高まっていたのです。

そこで、社会全体の幸福や利益を増大させるにはどうすれば良いのか、という問いが切実な形で浮上してきました。

啓蒙思想の影響

さらに少し時代をさかのぼると、フランス革命(1789年)をはじめとする欧州全体の大きな社会変革の流れが見えてきます。

啓蒙思想の広がりによって、神や王といった絶対的権威よりも、理性や人間の自由を重んじる考え方が急速に広まりました。

フランス革命のスローガン「自由・平等・友愛(リベルテ、エガリテ、フラテルニテ)」が象徴するように、個人の権利をどう守るか、社会をどう作り替えるかというテーマは、当時の欧州人にとって日々の関心事でした。

こうした中で「人間の行動や制度を合理的に評価し、その結果として社会をよりよくしていこう」という気運が高まります。

そこに結びついたのが「人々の幸福や利益を測る基準を立てよう」という功利主義の発想でもありました。

宗教的倫理観との違い

それまでの倫理観や道徳観は、キリスト教などの宗教的な教えに依存する部分が大きかったのですが、啓蒙思想や科学の発展と共に、人間の理性をより重視する風潮が生まれました。

もちろんキリスト教にも「隣人愛」や慈善を重視する教えはありますが、功利主義は宗教の枠組みから脱却し、行動を「結果によってはかる」ことを前面に押し出した点で、新しい価値観として注目されたのです。

功利主義を主張した代表的な思想家たち

功利主義の歴史を語る上で欠かせないのが、ジェレミー・ベンサムとジョン・スチュアート・ミルの二人です。ここでは、この二人を中心に概要を紹介しましょう。

ジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham, 1748-1832)

ベンサムの主張

イギリスの哲学者・法学者であるジェレミー・ベンサムは、功利主義を体系的に打ち立てた人物として知られています。

ベンサムの有名な言葉に、「最大多数の最大幸福 (the greatest happiness of the greatest number)」 というフレーズがあります。

これは、「できるだけ多くの人々にもたらされる幸福の量が最大になるように行動せよ」という意味です。

当時のイギリスは、貧富の差や政治的な不平等が強く残っていたため、ベンサムは社会改革法の改正を通じて、より多くの人を幸せにすることを目指しました。

具体的には、刑法や刑務所の改善、労働環境の整備などが議論の対象でした。

「快楽計算」の思想

ベンサムは、人間の行動を「快楽(痛みの欠如)と苦痛(痛み)」によって量的に測れると考え、これを「快楽計算 (hedonic calculus)」という概念で説明しようとしました。

快楽計算では、行動によって得られる快楽や苦痛の「強度」「継続時間」「確実性」「遠近」など、いくつかの要素で点数化する発想を示したのです。

もちろん現代の視点から見ると、「本当にそんな数値化が可能なの?」と思う部分もあるかもしれません。

しかし、当時としては画期的なアイデアであり、倫理や政治を数値化された理性で評価しようとしたのがベンサムの功績でした。

ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill, 1806-1873)

ミルの主張

ベンサムの思想を継承しつつ、さらに発展させたのがジョン・スチュアート・ミルです。

ミルは経済学者ジョン・ステュアートの息子として生まれ、幼少期から厳格な教育を受けました。

そのため、若くして文学・哲学・経済学など幅広い領域に精通していました。

ミルは功利主義を引き継ぎながらも、「快楽には質の違いがある」という点を強調しました。

つまり、単なる量的な快楽ではなく、より高度な知的・精神的快楽を評価すべきだと説いたのです。

これは「質的功利主義」とも呼ばれ、ベンサムの量的功利主義とは一線を画す特徴となりました。

自由論との関係

ミルは名著『自由論』(On Liberty) の著者としても知られています。

ここでは、個人の自由を最大限に尊重することが社会全体の幸福につながるという個人主義の視点が示されています。

ミルの考えでは、個人の自由な思考や行動が「社会全体の幸福」をもたらす可能性があるため、安易に政府が規制をかけるべきではないと主張します。

ただし、これは全ての行動を無制限に肯定するわけではなく、「他者に明確な害を与えない限り」は個人の自由は尊重されるべきだ、というスタンスです。

ここでも「幸福を最大化する」という功利主義の基本的な考えが土台になっています。

功利主義を象徴するイベント:社会改革と立法への影響

功利主義は単なる学問上の理論にとどまらず、実際の社会改革や法整備にも大きく関わりました。

特にベンサムの活動期からミルの時代にかけては、イギリスをはじめ各国で功利主義的な政策や立法が試みられています。

ここでは、その象徴的な例をいくつか紹介します。

ベンサムの法改革運動

ベンサムは「パノプティコン (Panopticon)」という監獄の設計図を提唱したことでも知られています。

パノプティコンとは、円形の監獄の中央に監視塔を置くことで、看守が全囚人を同時に監視できるようにする仕組みです。

これは直接的には「囚人をどうやって矯正するか」という議論でしたが、功利主義的な視点から言えば、「コストを抑えつつ、社会に対して再犯を減らし、最大の利益(安全)」を実現しようという発想でもありました。

また、ベンサムは各種の法案や制度改革に関する具体的な提言を行い、立法そのものを合理的に作り替えるというビジョンを持っていました。

こうした取り組みは「ベンサム主義」とも呼ばれ、イギリスの刑法や公衆衛生、労働制度などに少なからぬ影響を与えました。

ミルの議会改革支持

ジョン・スチュアート・ミルは、ベンサムの後継者として、労働組合の権利拡大や選挙法改正など、社会改革の動きを理論的に支えました。

特に当時のイギリスでは、産業革命の進展に伴って新興の都市部が大きく成長していたにもかかわらず、選挙区割りが旧来の農村部に有利に設定されていたため、議会が実態を反映していませんでした。

ミルはこうした不合理な状態を是正すべきだと主張し、改革派の理論的バックアップを提供したのです。

「新救貧法」と功利主義

19世紀前半のイギリスでは、貧困救済制度(救貧法)が問題になっていました。

旧来の救貧法は、貧しい人々に最低限の生活保障を与えるものでしたが、経済的な負担が低減する一方で、「救貧法があるせいで労働意欲が削がれる」という批判もありました。

そこで1834年に制定されたのが「新救貧法」(Poor Law Amendment Act) です。

新救貧法は、救貧院(ワークハウス)の劣悪な環境を通じて、生活保護を受ける人々に強い労働意欲を持たせるようにすることを狙いとしました。

これは、「救貧法が甘いと、かえって怠惰になる」という発想に基づいており、結果を重視する功利主義的な考え方が色濃く反映された政策だと言われています。

ただし、実際にはワークハウスの過酷さが問題となり、人道的批判も強かったため、賛否両論が渦巻く出来事となりました。

こうした具体的な政策や制度改革は、「最大多数の最大幸福」の考え方を社会全体に落とし込む試みであり、功利主義が現実に影響を与えた象徴的なイベントの一つと捉えられています。

ぴろき

生活保護や103万円の壁問題も、同様な状況に直面しているよね。ただ功利主義的な立場に立つだけでは、良い政策は生まれないということを、歴史は証明しているのかもしれないね。

後世への影響:リベラリズムから公共政策まで

功利主義は、その後の哲学・政治思想・経済思想など、さまざまな領域に大きな影響をもたらしました。

ここでは、その一端をまとめてみましょう!

リベラル思想の基盤

ジョン・スチュアート・ミルが展開した功利主義は、個人の自由を重んじるリベラル思想に深く影響を与えました。

現代の民主主義国家においても、個人の自由や人権を尊重することが社会全体の幸福につながる、という主張は主流の一つです。

社会契約論などの他の思想と交わりながらも、功利主義の視点は「公共の利益」と「個人の自由」の両立を模索する上で、今でも大きな指針となっています。

経済学や政策立案への影響

功利主義は、経済学の分野にも少なからず影響を与えました。

たとえば、ベンサムやミルがいた時代の「古典派経済学」は、社会全体の効用(ユーティリティ)を最大化することを目標とし、そのために市場メカニズムがどう機能するかを探求しました。

アダム・スミスの「見えざる手」の理論と功利主義は厳密には異なる背景を持っていますが、「個人の行動が結果的に社会の利益を高める」という点で共鳴する部分がありました。

また、現代の公共政策では「コスト・ベネフィット分析」という手法がよく用いられますが、これもある意味では功利主義的な発想を継承しています。

具体的な政策を決定する際、メリットとデメリットを数値化し、どの施策が一番社会全体の利益を増やすかを検討するプロセスは、ベンサムの「快楽計算」を思い起こさせますね。

現代倫理学への課題提示

功利主義が提示した「結果重視の倫理」は、現代でも多くの議論を巻き起こしています。

例えば、医療の現場では限られた資源(医師・看護師の時間や臓器移植など)をどう配分するかという課題があり、功利主義的な割り切りがしばしば提案されます。

つまり、「より多くの人の命を救うためにはどうするのが最善か?」という形で功利主義的な思考が取り入れられる場面があるのです。

一方で、功利主義では少数派の利益が十分に守られない可能性があることも、長年の批判点となってきました。

「最大多数の最大幸福」を追求した結果、マイノリティが苦痛を被る事態をどう考えるのか。

現代の人権思想や多文化共生の考え方とは時に相容れない部分もあり、こうした衝突を通じて倫理学の議論はさらに発展してきました。

功利主義をめぐる批判とフォローアップ

「少数派の切り捨て」問題

批判としてよく挙げられるのが、先ほども少し言及した「少数派の切り捨て問題」です。

仮に多数派が幸せになる政策や行動であっても、それが少数派に大きな被害をもたらす場合、功利主義は正しいと言えるのか? という問いです。

たとえば、公共事業で大多数の人は利益を得るが、特定の地域住民には深刻な環境被害が及ぶかもしれない。

功利主義的に考えると「多くの人がメリットを享受するので、やろう!」となるかもしれませんが、少数派への救済が十分でなければ不公平感が強まる可能性もあります。

「結果がすべて」でいいのか?

もう一つの批判は、功利主義が「結果」だけに注目するあまり、「行為の動機」や「手段の正当性」を軽視しているのではないか、という点です。

例えば、うそも方便であり、うそをついた結果として多くの人が救われるのであれば、功利主義は「うそをつくことを許容するのか?」という問いが出てきます。

この問題に対しては、功利主義者の中にも、「ルール功利主義(規則功利主義)」という立場があります。

これは、具体的な個々の行為ではなく、社会的にあるルールを採用することで長期的に最大幸福が得られるかを重視するという考え方です。

例えば、「うそをつかない」というルールを採用したほうが、長期的には社会全体の信用が高まり、結果として幸福が増えるといった主張です。

現代社会における功利主義の価値

功利主義は、批判を受け止めつつも、現代社会の政策決定や倫理的判断で依然として大きな影響力を持ちます。

少数派の権利を踏みにじらないための人権保障や、長期的視点を持たせるためのルール功利主義など、修正的なアプローチが示されてきたことで、思想としての厚みも増しました。

結果を重視する考え方は、ある意味合理的で説得力がありますが、その「結果を評価する尺度」自体が多様化しているのが現代の特徴です。

「最大多数の最大幸福」だけでなく、「地球環境への影響」「動物の福祉」「次世代への負債」といった新しい視点が加わることで、功利主義の実践にはいっそう高度なバランス感覚が求められています。

まとめ

功利主義は一見シンプルに見えますが、「幸福」「利益」「快楽」をどう定義するのか、どう測定するのか、といった問題が常に付きまといます。

そのシンプルさゆえにわかりやすい指針となる一方、社会の複雑な現実と対峙すると、さまざまなジレンマが表面化するのです。

功利主義のポイントは、結局のところ「どのような形であれ、人々の幸福や利益をより大きくしよう」という前向きな姿勢にあります。

歴史上、功利主義がもたらした社会改革の推進力は決して小さくありません。

現代でも「どうすれば社会全体の幸福を拡大できるのか?」という問いは変わらず重要であり、功利主義はその問いに真っ向から答えようとする一つの道筋を示してくれています。

-世界の歴史, 思想