この記事では、初学者の方でも「構造主義とは何か?」をつかみやすいように、わかりやすく丁寧に解説していきます。
構造主義が登場した歴史的背景や中心的な思想家、それを象徴する出来事、さらに構造主義が後世に及ぼした影響まで、なるべく詳しく触れます!
普段聞きなじみのない単語や概念が出てきても、ひとつずつ噛み砕いて説明していきますので、ぜひ最後までご覧ください。
なぜ「構造主義」は生まれたのか?
20世紀前半の大きな転換期
構造主義が本格的に注目を集め始めたのは、第二次世界大戦後のフランスを中心としたヨーロッパの学問・思想界でした。
20世紀前半という時代は、世界大戦や植民地支配の見直し、ナチズムやファシズムの台頭といった大きな歴史的事件が続き、人々の価値観や社会の仕組みが激変した時期でもありました。
戦後のフランスにおいては、それまで主流だった「実存主義(サルトルなどが代表的)」が注目されていました。
実存主義は、人間の主体性や自由を強調し、「人は自由に自分自身を作り上げていく」という考え方が軸になっています。
しかし、その一方で戦後の混乱や社会・文化の変化が複雑さを増すにつれ、「人間の意識や自由だけでは説明しきれない事象があるのではないか」という問題意識が高まっていきました。
構造という視点の登場
そこで注目されたのが、人間の意識を超えたところにある「構造(ストラクチュア)」という概念です。
構造主義は、「社会や文化の背後には、人間が個人レベルで意識できる範囲を超えた何らかの仕組み(構造)が存在しており、それが人間の行動や思考を大きく規定している」という考え方に基づいています!
この「構造」という考え方は、言語学や人類学の分野で実績を残していた研究者たちが先導していきました。
個々の発話や行動などの表面的な現象ではなく、それらを成り立たせているルールやパターンを探り当てることによって、社会や文化の根本的な仕組みを解明できるのではないかと期待されたのです。
構造主義の代表的な思想家と象徴的なイベント
ここでは、構造主義の重要人物たちと、構造主義における象徴的な出来事を紹介します。
彼らの研究や活動が、後に構造主義ブームとも呼ばれる大きな流れをつくり上げていきました!
2-1. フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure)
構造主義の源流をさかのぼると、まず名前が挙がるのは言語学者のフェルディナン・ド・ソシュールです。
ソシュールはスイス出身の学者で、20世紀初頭に言語を「構造」としてとらえる概念を打ち出しました。
ソシュールが提唱した重要なポイントとして、「シーニュ(sign)=能記(シニフィアン)と所記(シニフィエ)」という図式があげられます。
つまり、言葉(音や文字としての側面、シニフィアン)と、その言葉が指し示す意味(シニフィエ)は、本来一対一で決まっているわけではなく、社会や文化における約束事として成立しているという考え方です。
言語は個々人が自由に操っているものではなく、「体系」として存在するというわけですね。
ソシュールのアイデアはその後、あらゆる人文科学の領域に波及していきます。
社会や文化を、言語と同じように「背後に体系・ルールがある」ものとして見る見方が広がっていきました。
クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss)
「構造主義」という言葉を本格的に広めたのは、人類学者クロード・レヴィ=ストロースです。
フランス生まれのレヴィ=ストロースは、ブラジルの奥地でフィールドワークをおこない、未開社会と呼ばれていた部族の婚姻制度や神話などを分析しました。
レヴィ=ストロースの有名な著作『親族の基本構造』や『神話論理』シリーズでは、社会や文化がどのようにして成り立っているのかを、婚姻規則や神話のパターンを手がかりに解き明かしていきます。
彼は、どんな文化にも「普遍的な構造(構造としての原理)」が潜んでいるという仮説を提示し、これによって「人間の思考はどこか共通している」という考え方を示唆しました。
ロラン・バルト(Roland Barthes)
文学理論や記号論の分野で構造主義を発展させたのが、フランスの批評家ロラン・バルトです。
バルトは、『記号学的発想』などの著作で「日常の現象すらも記号としてとらえ、その背後にあるルールや社会的文脈を読み解くことができる」と主張しました。
彼が分析対象としたのは、文学作品だけでなく、雑誌や広告、ファッション、料理など多岐にわたりました。
バルトの視点は、人々が普段当たり前に受け取っている情報やイメージも一種の「構造」のもとで流通しているのだという意識を世に広めたのです!
ミシェル・フーコー(Michel Foucault)
構造主義と関わりが深い思想家としては、ミシェル・フーコーも外せません。
フーコーは歴史学、哲学、社会学を横断する形で「知」と「権力」の関係を研究しました。
代表作である『言葉と物』や『狂気の歴史』などでは、社会や学問体系の背後にある知のあり方(エピステーメー)を解析し、どのようにして常識や規範が構造化されるのかを明らかにしました。
フーコーの研究は「構造が歴史を通じてどのように変化するか」に焦点を当て、固定的ではなく時代ごとに形成・変容する構造を見出そうとする点が特徴的です。
構造主義と後のポスト構造主義をつなぐ重要なキーパーソンとして活躍しました。
ルイ・アルチュセール(Louis Althusser)やジャック・ラカン(Jacques Lacan)など
他にも、マルクス主義を「構造」から捉え直そうとしたルイ・アルチュセールや、フロイトの精神分析を言語学的・構造的視点から再解釈したジャック・ラカンなど、多くの思想家が構造主義の思想に触発されて独自の展開を見せていきました。
象徴的なイベント:1960年代~70年代の「構造主義ブーム」
1960年代から70年代にかけて、フランスを中心に構造主義は一大ブームを巻き起こしました。
特に、1966年に開催された学会やシンポジウムでは、レヴィ=ストロース、バルト、フーコーらが一堂に会し、構造主義の最先端の議論が行われたことで注目を集めました。
また、1968年の五月革命(五月危機)によって学生運動や左派思想が盛り上がる中で、「社会や政治体制を根本から見直す理論」として、構造主義の考え方は多くの若い世代を魅了しました。
しかし、同時に「人間の主体性を軽視しているのではないか」という批判も集まり、激しい議論を巻き起こすことにもなったのです。
構造主義の基本的な考え方
「表層」と「深層」の区別
構造主義を理解するうえで押さえておきたいキーワードとして、「表層」と「深層」があります。
表層とは、人々の目に見える具体的な行動や、言語表現、文化的慣習などの部分です。
その背後には、いわゆる深層構造と呼ばれる、無意識のルールやシステムが存在していると考えます。
たとえばレヴィ=ストロースの神話分析では、神話のストーリーやキャラクター設定といった表層の背後に、対立や和解といった深層のパターンが潜んでいると考えられました。
バルトの記号論においても、広告のキャッチコピーやファッション、料理レシピなどの表層の背後にある「社会的コード」を読み解こうとするわけです。
「構造」は人間が意識的にコントロールできない
構造主義では、構造は個人の意志や考えとは無関係に成り立っており、人間はその構造に従って思考や行動をしているとされます。
言い換えると、「私たちが言葉を使っていると思いきや、実は言葉(言語の構造)に支配されている」というパラドックス的なイメージです。
この点が、実存主義者や人間中心主義の学者からは「人間の主体性を否定する」と批判される理由にもなりました。
ただ、構造主義の立場からすれば、「主体性を否定している」のではなく、「人間の主体性には限界がある、しかしその限界を理解することで社会をより正確に捉えられる」と考えます。
構造を可視化し、分析する手法
構造主義がもたらした新しい視点は、「言語学的アプローチの広範囲な応用」と言えます。
言語学で確立されてきた形式分析の手法を、神話やファッション、映画、哲学などへ転用することで、それぞれの領域に横断的な分析方法を提示しました。
例えば、文学作品を言語学的に分析する際には、文法や修辞のような構造面に着目し、作者の心理や感情といった主観的要素よりも、テキストそのものに焦点を当てるのです。
こうしたアプローチは、後述するポスト構造主義やポストモダニズムにも大きな影響を与えました!
構造主義が後世に与えた影響
ポスト構造主義(脱構造主義)の台頭
構造主義が1960年代に一世を風靡した後、1970年代からはそれに続く形で「ポスト構造主義(脱構造主義)」と呼ばれる思想運動が起こりました。
ポスト構造主義の代表的な思想家には、ジャック・デリダやジル・ドゥルーズ、リオタールなどがいます。
彼らは構造主義を批判的に継承し、より複雑で相対的な視点を提示しました。
具体的には、「構造といってもそれ自体が不安定なのではないか?」とか「テクストの意味は一定のルールに固定されるものではなく、読み手やコンテクストによって流動的ではないか?」といった問いが投げかけられました。
こうして、構造主義が切り開いた分析方法に対して再考を促し、さらに新しい議論を生み出すきっかけとなったのです。
社会科学・人文科学の方法論への影響
構造主義が言語学だけでなく、人類学や社会学、文学研究、哲学、精神分析などに大きな影響を与えたことはすでに触れましたが、その方法論や視点は現代でも生き続けています。
とりわけ、以下のような点で現在の学問研究に欠かせない観点を提供していると言えるでしょう。
- 比較研究の推進
異なる文化や社会を比較する際、構造的な共通点・相違点に着目することで、普遍的な人間行動や思考パターンを探る方法が一般化しました。たとえば、異文化コミュニケーション研究などにおいても、構造主義的視点は依然として有効です。 - テクスト分析の深化
文学研究やメディア研究では、テクスト(文章や映像など)を記号論的に読み解く手法が定着しました。背後にある構造を解き明かそうとする動きは、商品広告やSNSコミュニケーションの分析などにも応用が広がっています。 - 批判的視点の養成
構造主義は、私たちが普段当たり前に信じている価値観や制度が、実は言語や社会構造の枠組みによって形成されている可能性を示唆します。その意味で、批判的に社会を見る素地を育んだと言えます。
4-3. 文化研究や批評理論への影響
1980年代以降、アメリカやイギリスを中心に発展したカルチュラル・スタディーズ(文化研究)や批評理論も、構造主義の影響を少なからず受けています。
ポップカルチャー、ジェンダー、サブカルチャーなど、従来のアカデミックな領域では軽視されがちだったテーマについて、構造的・記号的な分析が行われるようになりました。
例えば、テレビ番組や音楽ビデオ、ファッション誌などのコンテンツを、ただ娯楽として消費するだけではなく、「どのようなイメージ戦略・権力関係が働いているのか?」といった深層分析を可能にしたのも構造主義の思想が後押しした一面があります。
構造主義への批判と再評価
主体を軽視しすぎるという批判
構造主義は、個人が無意識に従っている社会的・文化的ルールを分析することに重きを置いています。
しかし一部の批評家や思想家からは、「人間の主体性や意識の自由をあまりに軽視しているのではないか?」という批判が寄せられました。
たとえば、実存主義の流れをくむ論者は「人は構造に縛られているだけではなく、自分自身で選択し、状況を変革する力を持つはず」と主張します。
もちろん構造主義の中には、完全に「人間の自由」を否定しているわけではない立場もあります。
しかし、大きな流れとして「社会構造の方が先にあって、個人はその中で行動する」という考えが強調されるため、どうしても構造の支配という印象がつきまとうのです。
普遍性への疑問
レヴィ=ストロースが探求したように、世界のさまざまな文化の背後には「普遍的な構造」があるというアイデアは、学問的に大きな革新をもたらしました。
しかし同時に、「本当にすべての社会に共通する構造など存在するのか?」という疑問も提起されました。
ポスト構造主義以降、テクストや社会の意味はより流動的で多面的だと考えられるようになり、構造主義の「普遍性」や「安定性」に対して懐疑的になる研究者が増えていきます。
「その構造すらも歴史的・政治的な文脈によって変化するのでは?」という問いが繰り返し投げかけられるようになったのです。
再評価:構造主義が残した遺産
もっとも、構造主義の意義が色あせたわけではありません。
構造主義は、言語学を基盤とした新たな分析視点を社会科学・人文科学全般に提供し、人間が置かれている文脈や制度、規範といった周囲を批判的に見つめる契機をもたらしました。
批判や修正を受けながらも、構造主義的アプローチは今でも様々な学問領域で活かされています。
私たちが普段「自然だ」「当たり前だ」と思っていることを疑い、その背後にある社会的・文化的構造を探るという姿勢は、現代の学問や批評活動の根幹をなす大きな遺産と言えるでしょう。
まとめ
構造主義は、「人間の行動や思考を超えたところにある“構造”こそが、社会や文化の本質を形作っている」という着眼点から始まり、フランスを中心に様々な分野へ波及しました。
その歴史的背景には、第二次世界大戦後の混迷の中で「人間中心の思想」だけでは捉えきれない現実を分析しようとする求心力があったのです。
もしみなさんが、今後読んだり観たりする作品や社会現象を「どうしてこうなっているのだろう?」と思ったときには、背後の構造を意識して眺めてみると、新しい発見があるかもしれませんよ!