世界の歴史

ソマリアの歴史をわかりやすく解説!古代から現代までの変遷と今後の展望

はじめに

ソマリアはアフリカ大陸の東端に位置し、いわゆる「アフリカの角(Horn of Africa)」とも呼ばれる地域にあります。

インド洋と紅海に面しており、交易や文化の交流が古くから盛んにおこなわれてきました!

その歴史はとても奥深く、民族の移動や国際社会の影響を強く受けながら、独自の発展を遂げてきたのです。

しかしソマリアは、近年まで長く続いた内戦などの影響で不安定なイメージを持たれがちです。

そんなソマリアですが、その歴史をたどると、古代の交易拠点として大いに栄え、イスラム世界とのつながりや、ヨーロッパ諸国による植民地支配など、多種多様な流れに彩られています!

本記事では、ソマリアの歴史を時代ごとにわかりやすくご紹介します。

古代から中世へ:交易拠点としてのソマリア

アフリカの角としての存在感

ソマリアの歴史を理解するうえで最初に注目したいのは、その地理的条件です。

古くから、紅海とインド洋の交通の要所として機能し、アラブやペルシア、さらにはインドや中国の商人たちが立ち寄る国際交易の拠点として栄えていました。

とくに、東アフリカ沿岸部には多くの交易都市国家が存在していました。

港湾都市を中心に、香辛料や金、象牙、布、さらには家畜や穀物などが取り引きされ、多くの商人が行き交っていたのです!

こうした交易の活発化が、ソマリアに多様な文化をもたらす大きな要因となりました。

アジャラン朝などの王国

中世期になると、ソマリアにはイスラム教を受け入れた強力な王国やスルタン国が続々と成立します。

その代表格が、14世紀頃から17世紀にかけてアフリカ東部を支配したアジャラン朝(Ajuran Sultanate)です。

アジャラン朝は、ソマリア内陸部に灌漑システムを築き、農業を大きく発展させたことで知られています。

一方、沿岸部でもさまざまな王国や都市国家が栄え、インド洋貿易網の一角を担いました。

イスラムを軸としながらも、アラビア半島やアジアの文化を積極的に取り入れることで、海洋国家としての性格を強めていきます。

大航海時代とイスラムの影響

イスラム商人と文化の伝播

古くからソマリアにはイスラム教が伝わっていましたが、海上交易の活発化によってさらに布教が進みました。

多くのイスラム商人がソマリアの港を訪れ、商取引だけでなく、学問や文化、宗教的ネットワークをもたらします。

その結果、ソマリア社会ではイスラム教が政治や教育の基盤となっていきました。

また、アラビア語やペルシア語を通じてさまざまな学問も伝えられました。

特に、イスラム医学や哲学の一部は、ソマリアの知識階層に大きな影響を与えたとされています。

のちに植民地時代へと移行していく前段階として、イスラム世界との結び付きがより深まっていったのです!

ヨーロッパ勢力の到来

一方、地理的に重要な位置にあるソマリアは、大航海時代以降、ヨーロッパ諸国の目にも留まり始めます。

ポルトガル、オスマン帝国、さらにはイギリスやフランスなど、多くの国々がインド洋周辺をめぐる覇権争いを展開。

ソマリア沿岸部でもこれら勢力の衝突が見られ、伝統的な都市国家やスルタン国はその対応に追われるようになっていきました。

植民地支配のはじまり

イタリアとイギリスの進出

ソマリアに本格的な植民地支配が及んだのは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのことです。

イギリスは北部を「イギリス領ソマリランド」として支配し、イタリアは南部を「イタリア領ソマリランド」として支配するようになりました。

さらに、フランスも現在のジブチにあたる地域を支配しており、アフリカの角全体がヨーロッパ諸国によって分割統治される形となったのです。

この植民地支配により、ソマリアは領域が分断され、統一的な行政システムを自ら構築する機会を奪われてしまいました。

イギリスとイタリアによる政策の違いや、族長を通じた間接統治など、複雑な支配体制が敷かれた結果、多くの地域住民が自分たちのアイデンティティを揺さぶられたのです!

反植民地運動と宗教指導者

植民地支配が進む一方で、反発運動も各地で起こりました。

その中でも特に有名なのが、19世紀末から20世紀初頭にかけて展開されたダラーウィーシュ運動(Dervish Movement)です。

この運動は、宗教指導者であるムハンマド・アブドゥラー・ハッサン(Mohammed Abdullah Hassan)の指導の下、イギリスやエチオピアの支配に抵抗する大規模な抵抗運動として知られます。

ダラーウィーシュ運動は一時的にソマリア北部を支配下に収め、統一的な国家を樹立しようと試みましたが、最終的にはヨーロッパ諸国の軍事力によって崩壊へと追い込まれました。

それでも、この運動は後のソマリア独立運動に大きなインスピレーションを与えたのです。

独立への道

第二次世界大戦後の変化

第二次世界大戦後、世界的な脱植民地化の流れが加速するとともに、ソマリアでも独立の機運が高まっていきます。

イギリス領ソマリランドは1950年代に入ると自治権拡大を求め、イタリア領ソマリランドでも国際連合の信託統治のもと、自治を進める動きが活発化しました。

ソマリア各地で政治団体や民族主義者が結集し、「ひとつのソマリア」を目指す動きが強まります。

こうした背景には、ソマリ人が同じ言語や文化を共有しているという意識の高さがありました!

分断されていた北部と南部を再びひとつにまとめたい、という強い願いがあったのです。

1960年の独立

そしてついに、1960年に北部のイギリス領ソマリランドと南部のイタリア領ソマリランドが同時期に独立。

統合し、ソマリア共和国が誕生します!

当初は多くの国民が歓喜にわき、独立した喜びを分かち合いました。

しかしながら、統一後の政治体制はまだ十分に整備されておらず、各地域の族長や政治指導者の思惑が錯綜しました。

特に、北部と南部での行政方式の違いは、その後のソマリア政治に混乱をもたらす要因の一つとなっていきます。

独立後の混乱と軍事政権

シアド・バーレ政権の成立

ソマリア独立後まもなくして、政局の不安定や汚職が表面化し、社会に大きな不満が募ります。

こうした状況で登場したのが、1969年にクーデターで政権を握った軍人、モハメド・シアド・バーレ(Siad Barre)です。

彼は科学的社会主義を標榜し、強力な中央集権体制のもとで統治を行おうとしました。

バーレ政権は、初期こそ社会主義的な改革を断行し、教育の普及や女性の地位向上など一定の成果を上げたとされています。

しかし、やがて長期独裁となり、部族対立を巧みに利用しながら権力を維持する体制へと変質していきました。

冷戦下の影響

冷戦期に入ると、ソマリアはアメリカやソ連など大国の支援を受けながら、軍事力を増強する道を歩みました。

しかし、1977年にエチオピアとの間で起こったオガデン紛争は、ソ連からの支援がエチオピア側に回るなど、国際関係の複雑化を引き起こします。

ソマリアはアメリカ寄りへと傾斜し、軍事面での援助を求めるようになりました。

こうした大国依存の軍備強化は、一時的にはソマリア政府の統制力を高めたものの、国内の部族対立を解決するには至りませんでした。

やがて1980年代後半になると、バーレ政権に対する反発が強まり、複数の反政府武装勢力が台頭。内戦の危機が次第に迫ることとなります。

内戦と国際社会の介入

バーレ政権崩壊と無政府状態

1991年、ついにバーレ政権は反政府勢力によって打倒され、長らく続いた独裁体制が崩壊します。

ところが、その後のソマリアは統一政府を形成できず、内戦状態へと突入してしまいました。

各部族や武装勢力が権力をめぐって争い、首都モガディシュは荒廃。国民生活は混乱を極めるようになります。

この時期は「ブラックホーク・ダウン事件」として知られるように、国際連合やアメリカ軍などが人道支援を目的に介入しましたが、十分な成果を上げられず撤退を余儀なくされました!

結果的に、内戦は長期化し、ソマリアは事実上の無政府状態に陥りました。

イスラム法廷会議と過激派の台頭

内戦の混乱の中で、地域コミュニティの安全を守るために地元の長老や宗教指導者が設立したのが「イスラム法廷会議(ICU)」です。

彼らは一部地域で治安維持や司法機能を提供し、一般市民から一定の支持を得ることになりました。

しかし、イスラム法廷会議の一部が過激化し、軍事力の行使を強めたことで、国際社会からはテロ組織とのつながりを警戒されるようになります。

特に武装勢力アル・シャバーブ(Al-Shabaab)の台頭は、ソマリア国内の治安状況をさらに不安定化させる要因となりました。


最近の動向:復興への歩み

連邦政府の樹立と再生の兆し

2000年代に入ってからは、国際社会の仲介のもと、暫定政府や移行政府が設立されました。

その後、複数の合意を経て2012年には正式に連邦政府(Federal Government of Somalia)が樹立され、首都モガディシュに拠点を置いています。

連邦制の導入により、各地域の自治権を尊重しながら中央政府の統治を目指す体制へと移行し、徐々にではありますが復興の道を歩み始めています!

国際支援と課題

現在のソマリアは国際社会の援助を受けながら、インフラ再建や社会サービスの整備を進めています。

道路や病院、学校など、長年の内戦で破壊された施設を再建することは急務とされています。

また、海賊問題の対策や過激派の排除など、安全保障の確立も大きな課題です。

さらに、ソマリ人ディアスポラ(国外移民)の存在も無視できません。

世界各地に広がるソマリ人が、資金や知識、人脈を持ち寄って母国の再建を支援しています。

こうした取り組みにより、ソマリアには経済的な活力が戻りつつあるのも事実です。

まとめ

ソマリアの歴史は、古くは交易によって栄え、中世にはイスラム王国が台頭し、やがてヨーロッパ列強の植民地支配を受けるなど、大きな変遷を遂げてきました。

1960年の独立後は軍事クーデターや内戦に見舞われ、一時は国際社会の介入もままならず混乱の極みに陥ります。

しかし近年は連邦政府の樹立をはじめとして、復興と平和構築に向けた取り組みが着実に進められています!

ソマリアは今なお多くの課題に直面していますが、長い歴史を通じて培われた復元力をもって、未来を切り開こうとしているのです。

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