日本の歴史

征夷大将軍とは?起源や歴代の将軍と役割の変遷をわかりやすく解説!

はじめに

日本史において、「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」という言葉を耳にしたことはありませんか?

征夷大将軍とは、古代から中世・近世にかけて日本の政権を握った武家のトップを表す称号として有名です!

たとえば、源頼朝(みなもとのよりとも)足利尊氏(あしかがたかうじ)徳川家康(とくがわいえやす)などがよく知られていますね。

ですが実は、この称号が誕生するきっかけや、その後どのような変遷をたどったのかについては、普段なかなか深く触れられることが少ないのではないでしょうか?

本記事では、「征夷大将軍」とは何なのか、その起源や歴代の征夷大将軍、そして時代ごとにどのように役割が変化していったのかを、初学者の方にもわかりやすいようにご紹介します!

ぜひ最後までご覧いただき、日本史の理解を深めるきっかけにしてくださいね。

征夷大将軍とは何か?ざっくり解説

まずは、そもそも「征夷大将軍」という称号がどういうものなのかを、ざっくりと整理しましょう!

称号の意味

「征夷大将軍」とは、文字通り解釈すると「夷(えみし)を征伐(せいばつ)する大きな将軍」という意味になります。

古代の日本列島では、朝廷が支配を広げるために東北地方に住む人々(当時は蝦夷〈えみし〉と呼ばれた)を服属させようとしていました

その遠征を任された最高指揮官が、「征夷大将軍」と呼ばれるようになったのです!

当初は、あくまでも軍事作戦のための最高司令官という役割でした。

まだ平安時代の頃は、朝廷が任命する役職のひとつとして位置づけられていました。

武家政権のトップとしてのイメージ

一方で、私たちが「征夷大将軍」と聞いたときに真っ先に想像するのは、源氏や足利氏、徳川氏など武家のリーダー像ではないでしょうか?

鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府を開いた武将たちが、この「征夷大将軍」の地位を得て全国的な政権を築き上げたからこそ、現在では武家政権のトップを指す地位として有名なのです!

征夷大将軍の起源

続いては、征夷大将軍の誕生について、もう少し詳しく見ていきましょう!

古代における「征夷」の必要性

日本がまだ律令国家としての形を整え始めた奈良・平安時代初期には、朝廷が東北地方へ支配を拡大していこうとする動きが活発でした。

当時、東北地方に住む蝦夷(えみし)と呼ばれる人々は、朝廷の支配に対し従わないことも多く、しばしば戦が起こっていたのです。

この時期、朝廷は何度も大規模な遠征軍を派遣し、蝦夷の討伐・平定を図りました。

こうして兵を率いる指揮官を「征夷大将軍」と呼んだのが始まりです!

つまり、蝦夷を征する将軍としての称号でした。

坂上田村麻呂の活躍

征夷大将軍の名を歴史上で最初に大きく知らしめたのが、平安時代初期(延暦年間)に活躍した坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)です。

桓武天皇(かんむてんのう)の時代、蝦夷討伐の総大将に任命され、東北での戦いを指揮し、多くの功績をあげました。

坂上田村麻呂が初代の「征夷大将軍」だったわけではなく、それ以前にも複数の人物が同じ称号を得ていた可能性はあります。

ですが、坂上田村麻呂が最も有名かつ功績が大きく、征夷大将軍としての「武の力」を示した代表的存在であったため、後の時代において「征夷大将軍」といえばまず彼の名前が出てくるほどの人物なのです!

一時的に消えた「征夷大将軍」

坂上田村麻呂の時代以降も、蝦夷との戦いが続く中で、一部の人物が同じように「征夷大将軍」に任命されました。

しかし、平安時代の中期以降は、徐々に蝦夷の抵抗が収まっていき、朝廷の支配が全国的にほぼ及ぶようになります

すると、征夷大将軍の軍事遠征指揮官としての必要性は薄れ長いあいだ歴史の舞台からはその称号は姿を消していったのです。

歴代の征夷大将軍の登場

では、どのようにして再び「征夷大将軍」という称号が歴史の中心に躍り出たのでしょうか?

ここからは、鎌倉時代以降に登場する歴代の征夷大将軍について、ざっくりとまとめながら、その役割の変化を見ていきましょう。

鎌倉幕府を開いた源頼朝

鎌倉時代の幕を開いたのが源頼朝です!

平清盛(たいらのきよもり)を中心とした平家と、源氏の間で激しい戦い(治承・寿永の乱)が起こった末、源頼朝が勝利し、新たな政権を樹立しました。

源平合戦の詳細について解説した記事はこちら

頼朝は征夷大将軍の地位を朝廷から得ることで、自らの正統性を示し、武家の政治組織である「鎌倉幕府」を築き上げます。

ここから、「征夷大将軍」は武家政権のリーダーを示す象徴的な役職として生まれ変わるのです!

ただし、初代将軍として正式に「征夷大将軍」に任じられたのは1192年(建久3年)とされています。

頼朝の征夷大将軍としての在任は、実は3年ほど(1192年~1195年)と短いのですが、日本史に与えた影響は絶大です。

源氏将軍と北条氏の実権掌握

頼朝の死後は、息子の源頼家(よりいえ)、次いで実朝(さねとも)が征夷大将軍になります。

しかし、鎌倉幕府の実権は次第に北条氏が握っていきます。

将軍が次々と若くして命を落としたこともあり、以後は「摂家将軍」「皇族将軍」など、源氏以外から名目上の将軍を迎える形が行われるようになりました。

このように、鎌倉時代には征夷大将軍が幕府の長であるものの、実質の政治権力は執権や得宗などを要職とする北条氏に握られていく、という構図が形成されました。

室町幕府を開いた足利尊氏

次の「征夷大将軍」が大きな歴史的役割を果たすのは、南北朝の動乱を経て成立した室町幕府の初代将軍・足利尊氏です!

尊氏は建武の新政に反発して後醍醐天皇に背き、京都を占拠する形で新たな政権を樹立します。

1338年(延元3年 / 建武5年)に「征夷大将軍」に任じられた足利尊氏は、鎌倉幕府に次ぐ武家政権として室町幕府を開きました。

その後約240年にわたって続く室町幕府の歴代将軍たちは、足利尊氏の血筋を継ぐ足利氏の人物が征夷大将軍の座を世襲していきます。

戦国時代の「名目上の将軍」

室町時代の後半になると、守護大名たちが実力をつけ、やがて戦国大名と呼ばれるようになります。

戦国大名は独立的に戦国乱世を駆け抜けていき、その中で徐々に幕府の権力は衰退していきます。

最後の室町将軍である足利義昭(よしあき)は、織田信長や豊臣秀吉からも利用される形で活躍の場が限られ、結局、京都を追われてしまうのです。

こうして戦国時代には、征夷大将軍の存在感は「名目上」にとどまり、全国的な政治力を発揮することはできなくなっていきました。

江戸幕府を開いた徳川家康

そして江戸幕府を開いた徳川家康が、征夷大将軍の称号を再び強力な政治力を伴うものとして復活させます!

徳川家康は関ヶ原の戦い(1600年)で石田三成らを破り、豊臣氏に代わって全国の支配権を確立。

1603年に朝廷から正式に征夷大将軍に任命されます。

その後の歴代徳川将軍たちは、約260年ものあいだ江戸幕府を維持・運営していきました。

こうして、征夷大将軍は再び「日本の実質的支配者」を意味する役職として機能したのです。

徳川慶喜の大政奉還と征夷大将軍の終焉

江戸幕府の最後(十五代将軍)は、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)です。

1867年(慶応3年)に大政奉還を行い、政権を朝廷に返上しました。

ここに征夷大将軍という称号を頂点とする武家政権の約700年にわたる歴史は幕を閉じます。

こうして明治維新によって天皇中心の政治体制に変化し、近代国家を目指す新政府が樹立されると、征夷大将軍は完全に過去のものとなっていきました。

時代ごとに見た征夷大将軍の役割の変化

ここまで歴代の征夷大将軍の流れを見てきましたが、時代によって「征夷大将軍」の位置づけが大きく変化していることがお分かりいただけたかと思います!

ここでは、その変遷をまとめてみましょう。

古代:蝦夷征討のための最高司令官

  • 奈良時代・平安時代初期
    • 当初の「征夷大将軍」は、あくまでも東北地方を中心に反抗する蝦夷を討伐するための軍事的最高指揮官でした。
    • 坂上田村麻呂が有名ですが、この時点では地方遠征の一時的な役職というイメージが強く、天皇の権威のもとに任命される現場の司令官にすぎなかったのです。

中世:武家政権の統治者として

  • 鎌倉時代
    • 源頼朝が「征夷大将軍」に任命されたことをきっかけに、武家による政治のシステムが確立! 鎌倉幕府が誕生しました。
    • 名実ともに全国を支配する政権の最高指導者となりますが、やがて北条氏が実権を握り、将軍はお飾り化する側面も。
  • 室町時代
    • 足利尊氏が征夷大将軍として室町幕府を開き、足利氏が将軍職を世襲する体制へ。
    • 戦国時代の動乱期になると、将軍の権威は急速に低下し、名目上の存在へと変化していきます。

4-3. 近世:徳川家による全国統一の実権保持

  • 江戸時代
    • 徳川家康が征夷大将軍に任命されることで、武家政権としての威信を回復! 約260年にわたり、徳川将軍が日本を統治しました。
    • 江戸幕府期には、将軍の名が広く世に定着し、中央集権的な支配体制が確立されます。旗本や大名を配下におさめ、参勤交代などの制度を通じて強力な統治システムを展開しました。

近代への移行と征夷大将軍の廃止

  • 幕末から明治維新へ
    • 徳川慶喜の大政奉還により、征夷大将軍という役職は廃止され、武家政権も消滅。
    • 近代的な立憲国家を目指す明治政府のもとで、征夷大将軍という称号は事実上の終焉を迎えます。

おわりに

いかがでしたでしょうか?

征夷大将軍とは、最初は蝦夷征討の軍事指揮官という一時的な任務だったにもかかわらず、やがて武家政権のトップを意味する絶大な地位へと成長していきました!

これは日本史の流れを語る上で欠かせない事実です。

日本史では、どうしても天皇や公家中心の出来事がクローズアップされがちですが、武士たちが実権を握った時代が長かったことは言うまでもありません。

征夷大将軍という称号がどのように人々の暮らしや政治、文化に影響を与え、そして廃止に至ったのかを知ることで、日本史をより深く理解できるようになります。

ぜひ、今後日本史を学ぶときには、「征夷大将軍」の変遷やその背景にも注目してみてください!

その時代の政治構造や朝廷との微妙な関係、大名たちの思惑、庶民の暮らしの変化など、いろいろな視点が見えてくるはずです。

歴史の面白さを感じる大きなヒントになるでしょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

皆さんが「征夷大将軍」についての知識を深め、日本史の世界をより楽しんでいただけることを願っております。

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