はじめに
この記事では、ポルトガルの歴史を簡単に、かつ初心者向けにわかりやすく解説します。
ヨーロッパの西端に位置するポルトガルは、かつて世界を股にかけた大航海時代の主役として知られ、今もなお豊かな伝統や文化を守り続ける魅力的な国です。
実はポルトガルの歴史は、ヨーロッパの中でもかなり古くから国としてまとまっており、波乱万丈なストーリーが詰まっています!
今回はそんなポルトガルの歩みを、なるべくシンプルにまとめました。
旅行や文化に興味がある方、あるいは歴史をサクッと知りたい方の参考になれば嬉しいです。
ポルトガルのはじまり:イベリア半島と多様な影響
ポルトガルの歴史を簡単に理解するには、まずイベリア半島の状況を押さえておくことが大切です。
イベリア半島は現在、スペインとポルトガルが位置する地域ですね。
古代にはローマ帝国による支配を受け、その後ゲルマン民族であるスエビ族や西ゴート族などの王国が成立しました。
さらに、8世紀に入るとアラブ系イスラム勢力(ムーア人)が半島南部を中心に進出し、長い間勢力を保ちました。
このようにイベリア半島は、古くから複数の文化や宗教が交錯する場でした。
ローマ、ゲルマン、イスラムという異なる要素が複雑に混じり合い、土地の言語・宗教・社会構造にも大きな影響を与えました。
特にポルトガルの中世初期は、キリスト教勢力による「レコンキスタ(国土回復運動)」の一環として、イスラム勢力から少しずつ領土を奪還していく過程で国としての基盤が固められていったのです!
11~12世紀頃には、北部のポルトゥカーレ伯領と呼ばれる地域を中心に、やがてポルトガルの原型ともいえる独自の支配体制が整い始めました。
伝説的な人物としては初代国王アフォンソ・エンリケス(アフォンソ1世)の存在が挙げられます。
彼は12世紀にカスティーリャ王国(現在のスペインの一部)との争いやイスラム勢力との戦いに勝利し、「ポルトゥカーレ伯領」を王国として宣言!
これがポルトガル王国の事実上の誕生だとされています。
王国の確立から拡大へ:大航海時代の準備
ポルトガル王国が成立した当初は、まだまだ国力は小さく、イベリア半島の中でも勢力争いの渦中にありました。
しかし13世紀になると、レコンキスタの過程で南部地域(現在のアルガルヴェ地方)まで支配を拡大し、国境線がほぼ現在と同じ形にまで確定しました。
早い時期に国境が確定したおかげで、ポルトガルはスペイン(当時はいくつかの王国に分かれていた)とは違う独自のアイデンティティを築きやすかったと言われています。
14世紀に入ると、ヨーロッパ全体をペストの大流行(黒死病)が襲い、貿易や農業にも深刻なダメージが発生。
さらに内戦や王位継承問題などもあって苦しい時代が続きましたが、その中で海事技術を磨き、国として一気に海へと目を向ける戦略へシフトしていくのです。
ここで重要な人物が、「エンリケ航海王子(Infante Dom Henrique)」です。
15世紀前半に活躍した王子で、大西洋の航海事業を積極的に支援し、アフリカ沿岸への探検を推し進めました。
「大航海時代」の幕開けに大きく貢献した人物として知られ、ポルトガルが世界的な海洋帝国へと躍進するきっかけを作った存在なのです!
大航海時代の栄光:世界に広がるポルトガル帝国
15世紀後半から16世紀にかけて、ポルトガルはヨーロッパの中でも最も先んじて海洋探索に乗り出し、アフリカの喜望峰(1488年:バルトロメウ・ディアスによる到達)、さらにインド航路(1498年:ヴァスコ・ダ・ガマ)を開拓することで香辛料貿易を支配しました!
その後、ブラジル(1500年:ペドロ・アルヴァレス・カブラルの到着)をはじめ、アフリカ、アジア、さらには極東地域にまで拠点を築き上げたのです。
当時のポルトガルは世界各地に交易所や植民地を設け、その利益で国庫を潤しました。
例えばインドのゴア、東アフリカのモザンビーク、東南アジアのマラッカなど、名だたる港を抑えていたため、世界の海上貿易ルートを牛耳っていたと言っても過言ではありません。
日本にも16世紀半ばに初めてポルトガル船が到来し、鉄砲やキリスト教の布教といった新しい文化を伝えたというエピソードも有名ですね。
しかし、黄金期の裏側では王家の相続問題や財政的な負担など、国内には火種がくすぶっていました。
1580年、ポルトガル王が跡継ぎのないまま死去すると、同じイベリア半島の強国であったスペインのフェリペ2世がポルトガル王位を継承し、両国は事実上合同状態となりました。
このイベリア連合の時代(1580~1640年)は、ポルトガルにとって痛手となることも多かったのです。
スペインがイングランドやオランダと戦争をしていたため、ポルトガルの船や植民地も攻撃対象となり、海外領土の多くを失ってしまいました。
独立回復と再興:17~18世紀の波乱
1640年にポルトガルはスペインからの独立を回復し、再びブラガンサ朝として王国を復興させます。
これを「ポルトガル王政復古」と言います。この独立運動は激しい戦争を伴い、王位はジョアン4世が継承しました。
独立後もヨーロッパ列強との競合は続きますが、幸いにもブラジルをはじめ、いくつかの重要な海外領土の確保には成功し、ポルトガルは再び国力を高めていきました。
ただし17世紀後半から18世紀にかけては、金やダイヤモンド、砂糖やコーヒーといったブラジルの資源に頼る一方で、国内の産業育成や社会改革は進まず、国全体の経済基盤は脆弱だったと言われています。
さらに1755年にはリスボン大地震という大災害が発生。
首都リスボンは津波や火災にも襲われ、多数の建物や文化財が破壊され、大きな人的被害も出ました。
この悲劇からの復興に尽力したのが、当時の宰相マルケス・デ・ポンバルでした。
被災地の再建と近代化を進め、都市計画を取り入れた街並みをリスボンに取り入れたのは大きな功績です!
ナポレオン戦争とその後:19世紀の動乱
18世紀の後半から19世紀にかけて、ヨーロッパはフランス革命やナポレオン戦争の影響で、激しく動揺しました。
ポルトガルも例外ではなく、ナポレオン率いるフランス軍に侵攻され、一時的にブラジルのリオ・デ・ジャネイロへ王家が逃れるという事態にまで追い込まれます。
王家がブラジルに遷都したことは、当時としては相当に珍しい出来事でした。
その後、ウィーン体制の成立などによってヨーロッパに一時的な平和が訪れ、王家はポルトガル本国に戻ります。
ところがブラジルでは、王家が帰還したあとに独立機運が高まり、1822年にブラジルはポルトガルからの独立を宣言!
結果的に、ポルトガル最大の海外植民地を失うことになりました。
このブラジルの独立は、ポルトガルにとって経済的・政治的にも痛手であり、国内では立憲君主制へ移行する動きや内戦が続くなど、不安定な時代が長く続きました。
19世紀後半になると、欧州列強によるアフリカ分割が進み、ポルトガルはモザンビークやアンゴラなどアフリカの植民地確保に注力。
しかしイギリスやフランス、ドイツなどに圧倒され、思うように勢力を伸ばせない状況が続きました。
共和制の成立と20世紀の激動:独裁からカーネーション革命へ
国内で共和主義や自由主義を求める声が高まる中、1910年には王政が倒され、ポルトガル共和国が成立します!
しかしその後のポルトガルは、政治的混乱、財政難、第一次世界大戦への参戦などが重なり、不安定な体制が長引きました。
そして1926年の軍事クーデターをきっかけに、サラザールという人物が政権を握ることになります。
サラザールは1932年から1968年まで首相を務め、国家を強力に支配しました。
その体制は「エスタド・ノヴォ(Estado Novo)」と呼ばれ、独裁的な統制と厳しい検閲が行われました。
さらにポルトガルは、長年にわたってアフリカ植民地を放棄せず、アンゴラやモザンビークなどで独立運動が激化。
長期の植民地戦争に国力を消耗し、経済や国際的な評判にも大きなダメージを受けていました。
そんな状況の中、1974年4月25日、軍の若手将校を中心にクーデターが起こり、長きにわたる独裁政権が倒されます!
これが有名な「カーネーション革命」です。
首都リスボンの人々は銃口にカーネーションを差して平和を訴え、ほとんど流血のない革命として世界中に衝撃を与えました。
この革命によってポルトガルは民主化へと大きく舵を切り、残っていたアフリカ植民地も相次いで独立していったのです。
EU加盟と現代のポルトガル
カーネーション革命後、ポルトガルは急速に民主化を進め、1986年には欧州共同体(EC、現EU)に加盟。
多くの支援を受けながらインフラ整備や経済の近代化を推進し、ヨーロッパの一員としての地位を確立しました。
1990年代には通貨エスクードからユーロへの移行、2000年代にはEU内での役割拡大、さらにはリスボンを中心とした観光都市としての発展に力を入れています。
もちろん、21世紀に入ってからも財政危機や高い失業率など、ポルトガルは大きな課題を抱えてきましたが、観光やサービス、輸出産業の見直しなどで徐々に経済は回復基調にあります。
近年はスタートアップ企業の育成やデジタルノマド向けの施策にも積極的で、「Webサミット」がリスボンで開催されるなど、技術革新の分野でも存在感を高めています!
音楽や食文化の面でも伝統を重んじつつ新しいものを取り入れる柔軟性があり、世界遺産の街並みやファド(Fado)と呼ばれる音楽、ポルトワインなど、多彩な魅力にあふれる国へと成長を続けています。
ポルトガルの歴史を簡単に振り返るだけでも、波乱万丈のエピソードが満載ですよね!
まとめ
ここまで、ポルトガルの歴史を初心者向けにざっと解説してきました! 重要なポイントをもう一度整理しますね。
- 古代~中世初期
- ローマ支配やゲルマン系・イスラム系勢力の影響を受けながら、イベリア半島で形成
- レコンキスタの流れで独自の王国として成立(12世紀、アフォンソ1世)
- 大航海時代(15~16世紀)
- エンリケ航海王子の支援でアフリカ沿岸、インド航路を開拓
- ブラジルやアジアの一部などを植民地化し、海洋帝国として世界的に隆盛
- スペイン併合(1580~1640年)と独立回復
- 王位継承問題でスペインに支配されるが、1640年にブラガンサ朝で独立回復
- 植民地や海上貿易の一部を失うが、ブラジルなど主要拠点は残し再建を図る
- 18世紀~19世紀:復興と大地震、ブラジル独立
- リスボン大地震(1755年)からの復興
- ナポレオン戦争の混乱を経てブラジルが1822年に独立し、最大の植民地を喪失
- 20世紀前半~中盤:共和制と独裁、そしてカーネーション革命
- 1910年に王制廃止、共和制樹立も混乱続く
- サラザール独裁体制(エスタド・ノヴォ)で強権支配
- 1974年のカーネーション革命で平和的に民主化へ転換
- EU加盟と現代
- 1986年のEC(現EU)加盟で欧州統合に積極参加
- インフラ整備や観光で経済再生を図り、民主国家として発展
- 21世紀のいま、多様性ある文化やスタートアップの拠点としても注目度がアップ
波乱に富んだポルトガルの歴史ですが、国の規模と比較して驚くほど世界史に大きな足跡を残していることがわかります!
もし機会があれば、その街並みや文化に触れながら現地で歴史を感じる旅をしてみるのも楽しいですよね。
ぜひ、ポルトガルの歴史を簡単に押さえた上で、さらに深掘りしてみてください!