世界の歴史

パプアニューギニアの歴史をわかりやすく解説!数万年の歴史をたどる

2025年1月18日

パプアニューギニアとは?

パプアニューギニアは、オーストラリアの北側に位置する大きな島国です。

正式名称は「パプアニューギニア独立国」。

地理的にはオセアニア地域に属し、赤道に近いため熱帯雨林や珊瑚礁が広がる豊かな自然が魅力となっています!

首都はポートモレスビー

島国なのでアクセスは少し大変ですが、独特の文化や多様な言語、豊富な資源など、知れば知るほど魅力あふれる国です。

実は、パプアニューギニアには多くの部族が住んでおり、その数は800以上とも言われています。

同国に存在する言語も800近くあるとされ、世界的にもまれに見る言語多様性を誇る国なんです。

そんなパプアニューギニアの歴史は、古代の人々がこの地へ渡った遥か昔から今日に至るまで、実に多彩なストーリーに満ちています!

古代のパプアニューギニア~人々の移動と定住~

初期の人類移住

パプアニューギニアの歴史を語る上で欠かせないのが、オーストロネシア系やメラネシア系の人々による移住です。

考古学的な調査によれば、少なくとも数万年前(約5万年とも言われる!)から人類がこの地域に住んでいたとされています。

オーストラリア大陸と陸続きだった時代に、パプアニューギニア地域へ移り住んだ人々がいたのです。

当時はまだ海面が低かったため、比較的容易に島々のあいだを移動できたと考えられています。

パプアニューギニアには、漁業や狩猟採集を中心に生活する集団が海や山岳地帯などさまざまな環境に適応しながら定住しました。

彼らは大自然の中で独自の文化を育んでいきます。

農耕文化の発展

その後、現地の人々はタロイモやヤムイモなど芋類の栽培を始め、農耕文化が徐々に発展していきました。

山岳地域でも段々畑のような農耕方法が見られるなど、多様な自然環境に合わせた生活様式が形づくられていきます。

一部の研究者は、パプアニューギニアの山岳地帯が人類史上もっとも古い農耕地の一つではないかと考えています!

それほど長い歴史を持つということですね。

ヨーロッパ人との遭遇~大航海時代の影響~

大航海時代の幕開け

15世紀末から17世紀にかけて、ヨーロッパ列強による大航海時代が本格化すると、遠く離れたパプアニューギニアの地にも初めて外国人たちが来訪します。

最初に来たのはスペイン人やポルトガル人などの探検家たちといわれますが、当時の記録は断片的なものが多いです。

しかし彼らは大きく険しい山々や密林に囲まれたこの島国を見て、神秘的な場所だと感じたのではないでしょうか。

「ニューギニア」の名の由来

実は「ニューギニア」という名前は、スペイン人探検家が西アフリカのギニア地方との人々の外見的特徴の類似性を指摘したことから名付けられたとされています。

つまり「新しいギニア」という意味ですね。

ヨーロッパ人たちは島の東側を「ニューギニア」と呼び、西側をオランダ領として支配するなど、少しずつ植民地の影響を及ぼしていくようになります。

植民地支配と世界大戦~国境線が引かれた時代~

英国・ドイツ・オランダによる分割

19世紀になると、ヨーロッパ列強はこの地域の資源や交通の要衝を巡って本格的な競争を繰り広げました。

島の東半分がドイツとイギリスによって分割され、「ドイツ領ニューギニア」「イギリス領ニューギニア(後のパプア領)」が成立。

一方で島の西側は「オランダ領東インド」の一部に組み込まれていきます。

このように、一つの島をヨーロッパ列強が分割支配したことによって、今のパプアニューギニアとインドネシア領パプア(西パプア)との国境線が生まれました。

この境界線は後の時代においても、政治的・文化的な影響を大きく及ぼすことになります。

オーストラリア統治の始まり

第一次世界大戦でドイツが敗戦すると、ドイツ領ニューギニアは国際連盟の委任統治領としてオーストラリアの管理下に置かれます。

これにより、パプア(旧イギリス領)ニューギニア(旧ドイツ領)同じオーストラリアの管理下で運営されることになりました。

もっとも、当時はまだ名目上別々の行政区分でしたが、実質的にはオーストラリアの植民地としての扱いを受けていくことになります。

第二次世界大戦の激戦地

さらに時代が下り、第二次世界大戦が勃発すると、パプアニューギニアの地は日本軍と連合国軍の激しい戦闘の舞台となりました。

特にココダ・トラックをめぐる戦いは非常に苛烈だったと伝えられています。

また、この戦争を通じて多くの先住民が兵士や労働力として戦争に巻き込まれたことも、後の独立運動や社会構造に影響を与えました。

戦後から独立へ~パプアニューギニアの新しい幕開け~

戦後復興と自治拡大

第二次世界大戦後、パプアとニューギニアはオーストラリア信託統治領という形で再スタートします。

国際連合信託統治理事会の下、オーストラリアが引き続き行政を担当することとなりましたが、少しずつ現地の人々が政治に参加する機会が増え始めます。

1950年代から1960年代にかけて、世界的な脱植民地化の流れを受け、パプアニューギニアにおいても自治権拡大の機運が高まりました。

選挙制度の整備や地方議会の設置など、徐々に現地住民による政治参加が促進されていきます!

教育への投資やインフラ整備も進められ、近代国家としての基盤づくりが始まるのです。

独立への道のり

1970年代に入ると、自治政府が設立され、パプアニューギニアは急速に独立への道を進み始めます。

1973年には自治政府が樹立され、1975年9月16日に正式に「パプアニューギニア独立国」として独立を達成しました!

オーストラリアの長い統治時代が終わり、国民が自らの国を自らの手で運営する時代が始まったのです。

独立後の歩み~課題と成長~

経済と政治の安定化への挑戦

独立を果たしたパプアニューギニアが直面した課題の一つに、政治・経済の安定化があります。

多様な民族・言語・文化を有するこの国では、中央政府の統治力をどのように維持・強化していくかが大きなテーマでした。

特に、山岳地帯や地方部では、道路整備や教育・医療などのインフラが十分に行き届いておらず、中央集権的な統治は簡単ではありません。

また、豊富な鉱物資源や天然資源を巡り、海外企業との交渉や環境保護のバランスを取ることも重要な課題です。

独立直後から、銅・金・LNG(液化天然ガス)といった資源開発が経済を支える大きな産業となってきました。

一方、資源に依存する経済構造は世界の資源価格に振り回されやすく、国民生活の安定には課題が残る面もあります。

ブーゲンビル問題

さらに、独立後のパプアニューギニアが直面した重大な問題として、ブーゲンビル紛争が挙げられます。

ブーゲンビル島は豊富な銅鉱山を有しており、それによる経済利益配分や環境破壊問題などが原因で、中央政府と現地住民との対立が激化。

1988年から紛争が始まり、多くの犠牲者を出す内戦状態に陥りました。

1990年代後半に和平プロセスが進み、最終的には自治政府の設置などが行われましたが、この問題は今なおパプアニューギニアの歴史を語る上で重要なトピックとなっています。

文化・伝統が語る歴史~多様性の宝庫!

パプアニューギニアは「世界で最も多様性に富んだ国」とよく言われます!

その理由は先述のとおり、800以上とも言われる部族と同数の言語が存在するからです。

これらの言語や部族は、歴史的に山や川、海などで自然に隔てられ、それぞれ独自の文化を育んできました。

伝統儀式と歌・踊り

パプアニューギニアの各地方には古くから伝わる伝統儀式や踊り、音楽があります。

例えば、ゴロカショーやハーゲンショーなど、山間部の都市で開催されるフェスティバルでは、さまざまな部族が一堂に会して華やかな衣装や体のペイント、独特の踊りを披露します。

これらは、昔からの神話や宗教的行事、部族のアイデンティティを象徴する大切な文化遺産なのです!

口承の歴史と神話

文字で記録する文化があまり普及してこなかった部族社会が多いパプアニューギニアでは、歴史や物語は口承で受け継がれてきました。

古代からの神話や先祖の物語、自然界の精霊との関係など、独特の世界観が豊かに息づいています。

こうした口承文化は、近代化やグローバル化の波の中でも大切に守られており、まさにパプアニューギニアの「生きた歴史」と言えるでしょう。

現在のパプアニューギニア~これからの展望

グローバル化と伝統のはざまで

現代のパプアニューギニアは、資源開発を軸に国際社会との結びつきを強める一方で、先住民の伝統的な生活様式と近代産業社会とのギャップが大きな課題となっています。

政府はインフラ整備や教育・医療の充実を進めると同時に、地域住民との対話を通じた開発計画を目指しているところです。

一方で、独立から数十年がたち、政治の腐敗や行政の不透明さなどの問題も指摘されています。

若い世代を中心に、情報通信技術を活用して政治や行政に意見を伝える動きが見られるなど、新しい変化の兆しもあります!

観光資源としての可能性

日本から見るとまだまだ情報が少ないパプアニューギニアですが、美しい珊瑚礁やダイビングスポット、山岳地帯の文化祭など、観光資源としての可能性も大きいです。

近年はエコツーリズムや文化体験型の旅行に注目が集まっており、パプアニューギニアの多様な自然と文化は大きな魅力となっています。

もちろん交通アクセスや安全面での課題はあるものの、そこを改善する取り組みが進むことで、海外からの観光客が増え、経済の新たな柱になることも期待されています。

まとめ~多様性が紡ぐ歴史

数万年前から人類が住み、ヨーロッパ列強の植民地支配を受け、オーストラリアの統治を経て1975年に独立を果たしたパプアニューギニア。

その歴史は決して平坦ではなく、紛争や政治的課題、経済格差など多くの困難も抱えています。

しかし、それらを乗り越えながらもなお残る多彩な文化や言語は、パプアニューギニアを世界的にも特別な存在にしています!

日本から距離はあるものの、実際に足を運べば、大自然の恵みと豊かな文化の「生きた歴史」に触れることができます。

もし機会があれば、ぜひ一度パプアニューギニアを訪れ、その魅力を体感してみてくださいね!

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