世界の歴史

ネパールの歴史をわかりやすく解説!王朝の移り変わりから現代まで

はじめに

みなさん、ネパールと聞いてどんなイメージを思い浮かべますか?

ヒマラヤ山脈の美しい絶景や、世界最高峰のエベレストをイメージされる方も多いかもしれませんね!

ネパールは日本から見ても比較的遠い国ですが、その歴史や文化には独特の魅力があります。

本記事では初学者でも理解しやすいようネパールの歴史をざっくりと解説していきます!

古代のネパール:伝説と王朝のはじまり

ネパールの歴史をたどると、まずは神話や伝説の時代にさかのぼります。

ネパールはヒンドゥー教・仏教ともに深く関わりがあり、さまざまな物語が語り継がれてきました。

伝説では、昔この地は大きな湖だったとされ、仏教の聖者マニジュシュリーが湖を切り開いて渓谷を作り、そこに人々が定住できるようにしたというお話があります!

今でも、カトマンズ盆地の成り立ちにまつわる神秘的な伝説として親しまれています。

リッチャヴィ朝の登場

ネパールにおいて実際に歴史の記録が残りはじめるのが、4世紀頃から9世紀頃にかけてといわれるリッチャヴィ朝(Licchavi Dynasty)の時代です。

インドのガンジス川流域からやってきたとされるリッチャヴィ家が、カトマンズ盆地を中心に王朝を築きました。

この時代には仏教やヒンドゥー教の寺院が多く建てられ、ネパールの文化・宗教の基礎が形成されていったのです。

リッチャヴィ朝の王たちは、インド亜大陸との交易や交流を深めながら、独自の建築様式や芸術を発展させました。

たとえば、現在のカトマンズ盆地に点在する数多くの寺院や仏塔の一部は、この頃にルーツがあるといわれています。

こうした遺産は今も世界遺産に登録され、多くの観光客を惹きつけています!

マッラ朝:華やかな王国と芸術の黄金期

9世紀以降、リッチャヴィ朝が衰退していくと、代わって台頭したのがマッラ朝(Malla Dynasty)です。

マッラという言葉はサンスクリット語で「レスラー」や「格闘家」を意味するそうですが、彼らは力強さだけでなく、華やかな文化を花開かせたことでも知られています。

王朝の分裂と三都

マッラ朝が勢力を伸ばした初期のうちは、ネパール全体を統一的に治めようとする動きもありました。

しかしながら、次第に王位継承争いなどが生じ、カトマンズ(カトマンドゥ)、パタン(ラリトプル)、バクタプル(バクタプル)の三都に王国が分かれてしまいます。

それぞれの王国が独自に発展を続け、建築物や工芸品において切磋琢磨が行われたことで、結果的にとても豊かな芸術と伝統が生まれました!

  • カトマンズ:現在の首都カトマンズは、当時から商業の要として発展しました。歴史的建造物が密集する「カトマンズ・ダルバール広場」は当時の王宮などが残っており、街歩きをするだけで往時の華やかさを感じることができます。
  • パタン:職人の街とも呼ばれ、彫刻や金工、木工など高度な技術が育まれました。パタン・ダルバール広場にある博物館は、ネパール伝統工芸の粋をじっくり見られるスポットとして有名ですね!
  • バクタプル:3都市の中でも、古き良き街並みが特に色濃く残る場所として人気があります。地元の農産物を使った美味しいヨーグルト(ジュジュ・ダウ)で有名ですが、王宮や寺院巡りもぜひ楽しんでいただきたいところです!

マッラ朝の時代は、寺院や王宮などの建築や工芸が発達した「黄金期」ともいわれています。

一方で、王国の分裂による内紛は、後に統一を目指す新たな勢力の侵入を許す結果ともなりました。

シャハ朝とゴルカ王国の勃興:ネパール統一への道

18世紀になると、ゴルカ地方(現在のカトマンズ盆地の西方)を本拠地とするゴルカ王国が急速に力をつけ始めます。

ここで登場するのが、後に「近代ネパールの建国者」と称えられるプリトビ・ナラヤン・シャハ王です!

プリトビ・ナラヤン・シャハ王の統一事業

プリトビ・ナラヤン・シャハ王は、バラバラだったネパールの諸国を力で次々と征服し、最終的にはカトマンズ盆地も支配下に置き、ネパールの統一を実現しました。

これが「シャハ朝(Shah Dynasty)」のはじまりです。王は首都をゴルカからカトマンズに移し、さらに東西の諸地域へも版図を拡大しようと積極的に動きました。

彼の指導力と軍事力はもちろんですが、地理的にもヒマラヤ山脈に守られたこの国は、外部勢力からの侵略が比較的少なかったことも大きな要因でした。

さらに、ネパールはインド・チベットとの貿易ルートを押さえる戦略的重要拠点であり、経済的にも利益が望める場所だったのです。

こうした要素が組み合わさって、シャハ朝は急速に勢力を拡大していきました!

ラナ家の台頭:王を凌ぐ権力と鎖国状態

19世紀半ばになると、ネパールではシャハ朝の王様よりも力を持つ「ラナ家(Rana family)」が政治の実権を握る時代がやってきます。

ラナ家は王族ではなく貴族の出身でしたが、クーデターに近い形で宰相(首相)の座に就くと、その地位を世襲して王朝を事実上の傀儡(かいらい)化しました。

鎖国政策と近代化の遅れ

ラナ家政権の大きな特徴のひとつが、外部との接触を極端に制限した「鎖国政策」です。

外国との交流が限られる中、ネパールの近代化は大きく遅れ、教育や産業の発展も停滞してしまいました。

ラナ家自身は豪華な宮殿を建て、贅沢を極めた生活を送ったといわれていますが、国民の生活は決して豊かなものではありませんでした。

一方で、ラナ家はイギリス領インドなどとの関係を巧みに保ち、国内では強権的な政治を行うことでその地位を固めていました。

しかし20世紀に入り、世界情勢が変化すると、長らく続いたラナ家の独裁体制にも徐々にほころびが見え始めます。

民主化の動きと王政の揺らぎ

第二次世界大戦後、アジア各地で独立や民主化の波が広がっていきます。

ネパールでも、ラナ家に不満を抱く人々や知識人、さらには亡命していた王族たちが協力し合い、反ラナ家運動を繰り広げはじめました!

そして1950年に大きな革命が起き、翌1951年にはラナ家の絶対的な支配が崩壊

実権を取り戻した国王トリブバンは、立憲君主制への道を歩み出すことになります。

国王と政党勢力の対立

しかしながら、王制を維持しながら民主的な議会や政党を整備することは簡単ではありませんでした。

新たな憲法や選挙をめぐって王権側と政党側が衝突し、政治は混乱を繰り返してしまいます。

1960年にはマヘンドラ国王がクーデターを実行し、政党政治を禁止してしまうなど、王権による強権的な体制「パンチャーヤト制(Panchayat System)」が続きました。

一方で、パンチャーヤト制の下でもインフラ開発や教育の普及などが進められ、国際社会とのつながりが少しずつ拡大。

観光産業も盛んになっていき、登山目的の外国人が続々とネパールを訪れるようになります!

ヒッピー文化の流入などもあって、カトマンズは国際的な注目を集める都市へと変貌を遂げました。

現代のネパール:民主化、内戦、そして共和国へ

1980年代後半になると、ネパール国内で民主化を求める声が再び高まりました。

1990年の民主化運動(ジャナ・アンドラン)によってパンチャーヤト制が廃止され、立憲君主制に基づく複数政党制が復活!

しかしその後、政治が安定しない状況の中で、共産党マオイズム派(マオイスト)が農村部を中心に武装闘争を始めます。

これが1996年に始まる「ネパール内戦(ネパール人民戦争)」です。

王制の終焉と共和国の成立

2001年には王族が殺害されるという衝撃的な「王宮惨殺事件」が発生し、ビレンドラ国王を含む王族が相次いで死亡。

ギャネンドラ王が即位したものの、その統治への不満やマオイストとの衝突、政党との対立が続いていました。

最終的に政治的妥協の末、2008年には制憲議会が王制廃止を決定し、ネパールは正式に「連邦民主共和国」へ移行することとなりました!

こうして240年余り続いたシャハ朝の王制が幕を閉じ、新しい共和制の下で国づくりが進められることになったのです。

21世紀のネパール:現在の姿と課題

共和制を敷いてからのネパールは、国内の民族や地域間の対立を調整しながら新たな憲法を制定し、政治や社会の安定を模索する時代に入っています。

2015年には大地震が発生して大きな被害を受けましたが、国際社会からの支援とネパール国民の力強い復興への意欲で、少しずつ街が活気を取り戻しています。

一方で、経済面やインフラ整備、貧困問題など、まだまだ課題は山積みです。

特に山岳地帯の開発は遅れがちで、交通手段や医療体制の整備は十分とはいえない状況です。

また、新憲法の施行に伴う少数民族や女性の権利問題なども、国内政治を揺るがす大きなテーマとして取り上げられています。

それでも、ヒマラヤの雄大な自然と多様な伝統文化は、世界中の旅行者を惹きつけ続けています!

観光産業はネパール経済を支える大きな柱となっており、エベレスト登山やトレッキングで訪れる外国人は年々増加傾向にあります。

さらに、伝統と現代文化の融合も進み、首都カトマンズでは国際的なチェーン店や新しいスタイルのレストランが増えるなど、活気ある街づくりが行われています。

まとめ

ここまで、ネパールの歴史を初心者の方でもイメージしやすいように駆け足でご紹介してきました!

もしネパールに興味が湧いたなら、ぜひ実際に足を運んでみてください!

カトマンズ盆地の世界遺産巡りや、ヒマラヤの絶景トレッキング、そして地元のお祭りやグルメを体験することで、書物やネットの情報だけではわからないネパールの魅力を肌で感じられるはずです。

奥深い歴史を知ったうえで旅をすると、街や人々の暮らしがまた違った景色として映ることでしょう。

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