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民本主義とは?日本独自の民主思想をわかりやすく解説!

はじめに

民主主義と民本主義の違いをざっくりと理解

普段、私たちが「民主主義」という言葉を耳にする機会は多いですよね!

しかし「民本主義」となると、似たような言葉なのにどう違うのか、ピンとこないこともあるでしょう。

民主主義(英語のdemocracy)は文字通り「民が主権を持つ」考え方を示します。

一方、民本主義は「民を本位とする」という点に重きを置くので、必ずしも「主権が誰にあるか」だけに注目しているわけではありません。

「政府は国民のためにあるべき」という発想を前面に出し、民こそが政治の中心にいるべき存在だというのが民本主義の特徴です。

記事全体の概要

本記事では、民本主義がどのように生まれたのか、その歴史的背景を振り返りつつ、民本主義の具体的な内容や社会に及ぼした影響を深掘りします。

最後には現代における再評価や、未来への展望まで考えてみましょう。

政治思想史や社会学に初めて触れる方にもわかりやすい記事になっています!

民本主義が生まれた背景

歴史的背景:大正デモクラシーとの関連

民本主義が広く知られるきっかけとなったのは、大正時代(1912年~1926年)のいわゆる「大正デモクラシー」の時代です。

明治期に入ってから日本は近代化を目指し、欧米の制度や技術を一気に取り入れました。

しかし、国民が真に政治へ参加できる制度が十分に整っていたわけではありません。

明治憲法下では、主権が天皇にあるとされ、議会制度もできたものの、制限選挙のためごく一部の富裕層や納税額の高い層しか投票権を持てませんでした。

そのため、社会全体にはまだ「民主主義」が十分に浸透していなかったのです。

そんな中で「国民をもっと大切にしよう」という機運が高まり、大正デモクラシーと呼ばれる政治・社会運動の波が起こります。

その潮流の一角を担った重要な思想が、民本主義でした!

吉野作造の思想と啓蒙活動

民本主義を語る上で欠かせない人物が、政治学者の吉野作造(1878年~1933年)です。

吉野は東京帝国大学(現:東京大学)で学び、政治学や憲法学の研究を通じて民本主義を理論的に提唱しました。

彼は雑誌や新聞などを通して多数の論文を発表し、大衆にわかりやすい言葉で政治の在り方を説いたのです。

吉野の主張の核心は「政治は国民の利益のために行われるべきで、天皇や政府はその手段にすぎない」ということでした。

当時、天皇制が国の中心となっていた状況で、国民こそが政治の目的であり、本位であるという主張は非常に革新的だったのです!

欧米思想との対比

民本主義の形成には、欧米の政治思想も大きく影響しました。

フランス革命アメリカ独立革命などの思想的背景から輸入された「リベラリズム(自由主義)」や「民主主義」の概念を日本化する過程で、「主権」がどこにあるかという問題がクローズアップされます。

欧米のデモクラシーでは「人民主権」が重視される一方、日本の伝統的な体制は「天皇主権」の形をとっていました

そこで、天皇制と国民主権をどのように折り合わせるかが大きな課題となったのです。

民本主義は、あえて「主権」という言葉を強く打ち出すのではなく、「国民本位」という着地点を探ろうとしました。

この柔軟な姿勢が民本主義の特色と言えます!

民本主義の概念を深掘り

「民本主義」とは何か?その定義を詳しく

改めて民本主義を端的に表すと、「国民の幸福と利益を政治の最優先に置く思想」と言えます。

大正デモクラシー期においては、天皇制を否定するわけではなく、むしろ天皇は国民のために存在するものだと考えました。

つまり、「天皇が頂点に立つのか、国民が主権を持つのか」という厳密な対立を避けながらも、「政治は国民のためにあるべきだ」という核心をつかんでいるのです。

このように、民本主義は日本の伝統と近代的な民主思想を調和させる柔軟な枠組みとして受け入れられました。

吉野作造はこれを大衆にわかりやすく伝えようと、多くの雑誌記事や講演を行い、多方面に影響を及ぼしました。

政府と国民の関係:誰のための政治?

民本主義の根本には「政治は誰のためにあるのか?」という問いがあります。

当時の日本では、政府が天皇を頂点とする形で動き、国民を下位に見るような風潮が残っていました。

しかし、民本主義は「政府の存在意義は国民を幸せにすることだ」という考え方を徹底して唱えます。

そのため、「政府が主導して国民を導く」のではなく、「政府は国民の意見を聞き、国民を尊重する義務がある」と解釈されるようになっていったのです。

これが後の政党政治の発展や、社会運動の活発化に大きくつながっていきます。

「君主」から「国民」へ――政治主体の転換

民本主義の登場は、日本の政治思想史において一種の「パラダイムシフト」を引き起こしました。

それまでは君主(天皇)が政治の主体とされるのが当たり前だったのが、「国民本位」の政治を打ち立てようとする勢力が力を持ちはじめたのです。

ただし、民本主義は「君主を全否定する」という過激なものではありませんでした。

その柔軟さゆえに、当時としては画期的でありながら、多くの人々に受け入れられやすい形で広がっていったと言えます。

これが民本主義の強みでもあり、大正から昭和初期にかけて支持されていった理由の一つです!

当時の社会・政治情勢との比較

大正時代の政党政治と民本主義

大正時代には、桂太郎や西園寺公望などが率いる政党政治がようやく形を整えはじめていました。

しかし、まだ制限選挙が続いており、広範な国民が政治に直接参加できるわけではありません。

こうした中で民本主義の理念は、「国民のための政治を実現するためには、選挙権の拡大が不可欠だ!」という声を強める原動力となります。

実際、その後の普通選挙法(1925年)制定へ向けた動きには、民本主義が訴えた「国民本位」の考え方が少なからず影響しました。

選挙制度改革は日本の政治史の大きな転換点であり、ここに民本主義の存在感を見て取ることができます。

外交問題にみる民本主義の影響

大正期は国内政治だけでなく、国際的にも日本が大きく動いた時代です。

第一次世界大戦(1914~1918年)の影響で日本経済は一時的に好景気を迎えましたが、世界的にも新たな国際秩序の形成が進んでいました。

ウィルソン米大統領が掲げた「民族自決」など、国民の声を尊重する国際社会の動きが高まっていたことも、民本主義の広がりを後押しした要因と言えます。

日本も国際連盟に加盟するなど、世界の大国として外交面でも存在感を示していく中で、政府の意思決定が「国民の意見」をどれだけ反映しているのかが注目されました。

民本主義が、国内外の政治の中で「国民本位」の視点を提供したことで、国際社会への姿勢にも一定の影響があったのです。

女性解放運動や社会運動との関係

民本主義は、当時の女性解放運動や労働運動などの社会運動にも少なからず刺激を与えました。

女性の参政権を求める動きや、労働者の待遇改善を訴える声が高まると、それらを「国民全体の幸せ」を目指す民本主義と結び付ける議論が増えていきます。

特に、女性解放運動家たちは「政治が国民のためにあるならば、男女を問わず全ての国民を平等に扱うべきだ!」と主張し、民本主義の考え方を後押しに使うことがありました。

こうした運動の結果として、女性参政権の獲得へ向けた意識が高まり、戦後すぐに女性参政権が実現する流れにつながったとも言えるでしょう。

民本主義が与えた影響とその広がり

議会制民主主義への影響

日本で議会制民主主義が根付くまでには、幾多の曲折がありました。

特に昭和初期には軍部の台頭があり、民本主義の理想が抑圧される局面も出てきます。

しかし、戦後の日本国憲法下では、国民主権が明文化され、基本的人権の尊重がうたわれました。

この新憲法の成立過程やその後の政治体制には、戦前からの「民本主義」の理念が一つの原点として埋め込まれています。

吉野作造が唱えた「政治は国民のためにある」という考え方は、議会が国民の代表として政府を動かす仕組み――つまり議会制民主主義――の核心を形作るものでした。

戦後日本でそれが制度的に確立されたことは、民本主義の思想的成果が結実したと見ることもできるのです!

戦後日本の政治体制への示唆

戦後すぐに制定された日本国憲法(1946年公布、1947年施行)では、主権は天皇でなく国民にあることが明確にされ、議会制民主主義が大きく進展しました。

その背景には、占領政策や国際的な民主化の流れももちろんありますが、戦前に蓄積されていた民本主義の議論が土台になった面もあるといわれています。

さらに地方自治の制度が整備され、国民が地域レベルでも政治に参加できる環境づくりが進みました。

民本主義は直接的に「地方自治」を主張したわけではありませんが、「国民が主体となるべき」という理念が、中央だけでなく地方の政治を考える上でも重要な示唆を与えたと考えられています。

現代における民本主義の再評価

グローバル化時代の民本主義

現代はグローバル化が進み、世界各国の政治や経済が相互に強く結びついています。

情報の流通も爆発的に増え、SNSやインターネットを通じた意見発信が容易になりました。

その結果、国民が政治に直接声を上げる機会が増えた一方で、国際的な制約や経済的なパワーバランスに左右される場面も多いのが実情です。

こうした時代の中で「政治は誰のためにあるのか?」という問いが改めてクローズアップされています。

民本主義は、天皇制との兼ね合いを意識した思想ではありますが、「国民の幸福を最優先にすべき」という本質的な部分は、現代社会でもなお有効な視座を提供してくれるでしょう!

「国民のための政治」の再認識

民主主義が当たり前となった現代日本では、「民が主権を持つ」という前提が法律や制度上は確立しています。

しかし、政治不信や低投票率などを見ると、必ずしも「国民が政治の主人公」と感じられていないのも現実ですよね。

だからこそ、民本主義の「政治は国民の幸福と利益を最優先にすべきだ」というシンプルなメッセージに立ち返る意義が高まっています。

政治家や官僚、あるいは大企業などが大きな影響力を握る中で、改めて「国民が本位」であることを意識する機会として、民本主義が再評価されているのです。

民主主義の課題と民本主義の視点

21世紀の民主主義は、「ポピュリズム」や「情報操作」、「デジタルデモクラシー」など、新たな課題に直面しています。

SNSでの誹謗中傷やフェイクニュースが社会を混乱させる一方、若い世代の政治離れも指摘されています。

民本主義的な視点に立てば、こうした状況に対して「すべての国民が利益を享受できるよう、正確な情報が開示され、公平な機会が保障されるべきだ」という当たり前の原則を再確認させてくれます。

民主主義の未来を考える上で、民本主義の「国民ファースト」の思想に立ち返ることが重要かもしれません!

まとめ

いかがでしたでしょうか?

吉野作造が生きた時代は今から100年以上前ですが、現代にも通じる視点が数多くあると思います。

この記事が、みなさんが日本の政治思想や社会の歴史に興味を持つきっかけとなれば嬉しいです。

そして、私たちが住む社会をより良い方向に導くためのヒントとして、民本主義を活用してみるのも良いかもしれませんね。

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