世界の歴史

イスラエルの歴史をわかりやすく解説!これでニュースがわかる!

2025年1月10日

古代のイスラエル~聖書時代のはじまり

イスラエルの歴史を語るうえで欠かせないのが、ヘブライ人(古代イスラエル人)の存在です。

彼らは紀元前2千年紀ごろに中東地域で暮らし、やがて聖書の舞台にもなる地(カナン地方)に根を下ろしていきます。

旧約聖書の「創世記」や「出エジプト記」には、ヘブライ人がエジプトで奴隷生活を送った後、モーセによって導かれ「約束の地」へ向かう物語が描かれていますね!

実際の歴史としては、紀元前13世紀頃から紀元前11世紀頃にかけて、部族連合として活動していたとされています。

その後、サウル王・ダビデ王・ソロモン王などの統治によって王国が成立しました。

特にダビデ王はエルサレムを首都とし、ソロモン王の時代には神殿が建設されるなど、古代イスラエル王国の栄華が極まったといわれています。

しかし、ソロモン王の死後、王国は北(イスラエル王国)と南(ユダ王国)に分裂してしまいます。

その後、アッシリアやバビロニアといった大国の侵攻にあい、バビロン捕囚(紀元前6世紀)を経て、ユダヤ人(イスラエル人)はその地を離れることになっていきました。

これがいわゆる「離散(ディアスポラ)」の始まりともされています。

中世・オスマン帝国統治時代

バビロン捕囚を経たユダヤ人は、ペルシア帝国の支配により解放された後、一部は再びエルサレムに戻りましたが、多くの人々は各地へ離散していきます。

ローマ帝国時代には、紀元70年に第二神殿が破壊され、ユダヤ人は大きなショックを受けることになりました。

さらに紀元135年のバル・コクバの乱を最後に、ローマ帝国はユダヤ人のエルサレム入城を禁止し、これがより大規模な離散を生み出すきっかけにもなりました。

その後、この地はビザンツ帝国を経てイスラム帝国の支配下に入り、十字軍による侵攻(十字軍国家の成立)など、さまざまな勢力が交錯する激動の時代が続きます。

中世以降は、オスマン帝国(1300年代~1922年)の統治が長らく続きました。

オスマン帝国は多民族・多宗教国家だったため、ユダヤ人も一定の自由を得ながら生活を送ることができましたが、やはり地域によっては困難も多かったとされています。

シオニズムの誕生から第一次世界大戦まで

19世紀後半になると、ヨーロッパを中心に反ユダヤ主義(ユダヤ人迫害)が高まっていきます。

そうした中で、ユダヤ人が「自分たちの故郷(聖書の地)に再び集まり、民族国家を建設する」という思想が芽生えました。

これが「シオニズム(Zionism)」と呼ばれる運動です!

オーストリア=ハンガリー帝国出身のジャーナリスト、テオドール・ヘルツルは、著書『ユダヤ人国家』(1896年)において、ユダヤ人が独自の国家を持つことの重要性を説きました。

そして、シオニズム大会(1897年)を開催し、世界中のユダヤ人に向けてパレスチナ地域への移民を呼びかけていきます。

当時、この地は依然としてオスマン帝国の統治下にありました。

しかし、第一次世界大戦(1914~1918年)が勃発すると、中東地域も大きく変動していきます。

戦争の結果、オスマン帝国は解体へと向かい、その後の国際政治の流れによって、この土地はイギリスの委任統治領となりました。

第一次世界大戦後のイギリス委任統治

第一次世界大戦の講和条約により、かつてオスマン帝国が支配していた広大な地域は、イギリスやフランスの委任統治領として分割されました。

現在のイスラエルやパレスチナ自治区が位置する地域(当時は「パレスチナ」と呼ばれた)は、イギリスの委任統治下となります。

これが1920~1948年にかけての「英領パレスチナ」時代です。

イギリスは「バルフォア宣言」(1917年)において、「パレスチナにおけるユダヤ人の民族的郷土(ナショナル・ホーム)建設」を支持すると表明していました。

これは、シオニズム運動の後押しとなり、多くのユダヤ人がパレスチナ地域へ移住するきっかけとなります。

こうしてユダヤ人コミュニティが徐々に拡大していく中、アラブ人コミュニティとの摩擦が次第に顕在化していきました。

ユダヤ人移民の増加とパレスチナの変化

1920年代から1930年代にかけて、ヨーロッパでは再び反ユダヤ主義が激しくなり、特にナチス・ドイツの台頭によってユダヤ人迫害は一気に広がりました。

多くのユダヤ人が迫害を逃れるためにパレスチナへ移民し、ユダヤ人人口は急増していきます。

一方、この地域にはもともとアラブ系住民(パレスチナ人)が長く暮らしており、彼らにとっては突然やってきた大勢のユダヤ人移民が大きな脅威に映りました。

当時のイギリス政府は、ユダヤ人移民を制限しようとしたり、逆に増やそうとしたりと、状況に応じて政策が揺れ動きます。

結果として、ユダヤ人・アラブ人双方の不満が高まるばかりでした。

第二次世界大戦(1939~1945年)が終わると、ユダヤ人社会はホロコーストの悲劇を背負った多くの移民を迎え入れることになります。

これによりパレスチナ地域の人口バランスはさらに変化し、アラブ人との衝突が激化していきました。

イスラエル建国と第一次中東戦争

第二次世界大戦後、イギリスはパレスチナ問題の解決に手を焼き、最終的に国際連合(当時は国際連盟の後継)が仲介に乗り出しました。

国連は1947年に「パレスチナ分割決議」を採択し、パレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する方針を提示しました。

ユダヤ人側はこれを受け入れましたが、アラブ諸国は猛反発します。

やがてイギリスの委任統治期限が切れた1948年5月14日、ユダヤ機関の指導者ダヴィド・ベン=グリオンは、イスラエルの独立を宣言しました!

この瞬間から、周辺のアラブ諸国(エジプト、ヨルダン、シリア、レバノン、イラクなど)との戦争が勃発し、これを第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)と呼びます。

戦争はイスラエルの勝利という形で終わり、多くのパレスチナ人が故郷を離れざるを得ない難民問題を引き起こしました。

独立後の戦争と紛争

イスラエルの建国以来、中東地域では複数回の戦争と紛争が起こっています。代表的なものを簡単にご紹介します。

  • 第二次中東戦争(スエズ戦争、1956年)
    エジプトによるスエズ運河国有化をめぐり、イスラエル・イギリス・フランスが共同で軍事行動を起こしました。
  • 第三次中東戦争(六日間戦争、1967年)
    わずか6日間でイスラエルがアラブ諸国に勝利し、東エルサレム、ゴラン高原、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、シナイ半島を占領しました。
  • 第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争、1973年)
    ユダヤ教の祝日ヨム・キプールに合わせて、エジプトとシリアが奇襲攻撃を仕掛けましたが、最終的にはイスラエルが巻き返しに成功しました。

戦争後の和平交渉として、1978年にエジプトとイスラエルがキャンプ・デービッド合意(翌年1979年に和平条約締結)を結ぶなど、徐々に紛争解決に向けた動きも進んでいきます。

しかし、パレスチナ問題は解決に至らず、現在もガザ地区やヨルダン川西岸地区をめぐる問題や、エルサレムの帰属問題などが尾を引いています。

現代のイスラエル~ハイテク国家への成長

イスラエルは建国から数十年で、紛争の続く厳しい環境にありながらも、高度な技術力を武器に驚異的な経済発展を遂げてきました!

特に農業技術や軍事技術、IT産業の分野では世界トップクラスと評価されています。

テルアビブを中心にスタートアップ企業が数多く生まれ、「中東のシリコンバレー」と呼ばれるほどです。

一方で、パレスチナとの和平交渉は長期にわたる難航状態が続き、国際社会も含めた複雑な政治問題となっています。

国際的にはイスラエルの各種政策に対して賛否が入り混じる状況であり、国内の政治も多様な宗教・民族・思想を抱えているため、一筋縄ではいきません。

近年は湾岸諸国との国交正常化(アブラハム合意など)や、国際貿易の活性化によって新たなステージへ入っているともいわれています。

中東の情勢は常に動きが早く、イスラエルの歴史もまた、新たな章を刻み続けているのです。

2023年以降のハマスとの交戦

2023年10月7日、パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスは、イスラエルに対して大規模な奇襲攻撃を開始しました。

この攻撃は、ユダヤ教の祝日「シムハト・トーラー」に合わせて行われ、イスラエル側に多数の死傷者が出ました。

ハマスは数千発のロケット弾を発射し、戦闘員がイスラエル領内に侵入して民間人を含む多数のイスラエル人を殺害、拉致しました。

この攻撃に対し、イスラエルは直ちに報復を開始し、ガザ地区への大規模な空爆を実施しました。

また、イスラエル軍はガザ地区への地上侵攻も開始し、ハマスとの間で激しい戦闘が繰り広げられました。

この一連の戦闘は、2023年イスラエル・パレスチナ戦争と呼ばれ、双方に甚大な被害をもたらしました。

主な出来事

  • 2023年10月7日: ハマスによる大規模な奇襲攻撃。イスラエル側に多数の死傷者と拉致被害者が出る。
  • 2023年10月8日: イスラエルが「戦争状態」を宣言し、ガザ地区への報復攻撃を開始。
  • 2023年10月9日: イスラエルがガザ地区を完全封鎖。
  • 2023年10月27日: イスラエル軍がガザ地区への地上侵攻を開始。
  • 2023年11月24日: イスラエルとハマスの間で4日間の戦闘休止が実現。人質解放とパレスチナ人収容者の釈放が行われる。
  • 2023年12月1日: 戦闘休止が終了し、戦闘が再開。
  • 2024年以降: 断続的な戦闘休止と再開が繰り返されながら、現在も戦闘が継続。

国際社会の反応

この紛争に対し、国際社会からは懸念と非難の声が上がっています。

多くの国が即時停戦と人道支援の必要性を訴えていますが、イスラエルとハマスの間では和平交渉が進展しておらず、紛争の長期化が懸念されています。

まとめ

2023年以降のハマスとの交戦は、イスラエルの歴史における新たな痛ましい出来事となりました。

この紛争は、イスラエルとパレスチナ間の根深い対立を改めて浮き彫りにし、和平実現の難しさを国際社会に突きつけました。

しかし、同時に、この紛争が和平交渉の必要性を再認識させる契機となることも期待されます。

イスラエルとパレスチナが共存共栄できる未来を実現するためには、国際社会の協力のもと、双方が歩み寄り、粘り強く交渉を続けることが不可欠です。

今後もイスラエルの動向、そして中東情勢から目が離せません。

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