世界の歴史

インドの歴史をわかりやすく解説!初学者もこれでざっくり理解!

はじめに

インドはアジアの南部に位置する大きな国で、多様な文化や言語、宗教が入り混じっています。

実はインドの歴史は世界最古級ともいわれるほど長く、さまざまな王朝や民族が興亡をくり返してきました。

そんなインドの歩みは、文明のはじまりから現代にいたるまで、驚くほどドラマチックで奥深いんです!

本記事では、インドの歴史をざっくり解説しながら、大まかな流れをつかむことを目指します。

歴史の大きな区分ごとにポイントをおさえ、重要な出来事や特徴をご紹介していきます。

インド史は複雑に見えますが、大まかな流れをつかめば「なるほど!」と思える瞬間が増えていきますよ!

はじまりのインダス文明

インドの歴史を語るうえで、まず欠かせないのがインダス文明です。

これは、現在のパキスタンに近いインダス川流域で栄えた古代文明で、紀元前2500年頃から紀元前1800年頃まで続いたと考えられています。

代表的な遺跡には「モヘンジョ=ダロ」や「ハラッパー」があり、高度な都市計画や下水道システムを備えていたことがわかっています。

当時の遺跡を調べると、敷石を使った整然とした街並みや、公共浴場らしき施設などが見つかっています。

文字らしきものも発見されているのですが、まだ完全には解読されていません。

そのため、インダス文明の人々がどのような言語や文化を持っていたのかは、いまだに謎が多いのです。

インダス文明が衰退した理由もはっきりとはわかっていません。

気候変動や川の流れの変化など、さまざまな要因が重なった可能性がありますが、確かなことは解明されていないのです。

まさに古代のロマンですね!

ヴェーダ時代とマウリヤ朝

インダス文明が終わると、インド北部のガンジス川流域にアーリヤ人が移住してきました。

この時代には『リグ・ヴェーダ』などの聖典が編まれ、ヴェーダ時代と呼ばれます。

ヴェーダ時代には王が誕生し、社会組織が作られ、徐々に「ヴァルナ」と呼ばれる身分制度(のちのカースト制度の原型)が形成されていきました。

やがて、インドには多くの小国が生まれるようになります。

その中から頭角を現したのが、マウリヤ朝(紀元前317年頃〜紀元前180年頃)です。

マウリヤ朝の創始者はチャンドラグプタという人物で、彼はギリシアからインドに侵入してきたアレクサンドロス大王の後継者たちを追い払ったことで知られています。

マウリヤ朝の最盛期はチャンドラグプタの孫、アショーカ王の時代です。

アショーカ王は戦争に勝利した後、多くの犠牲を出してしまったことに深く悩み、仏教に帰依しました。

そして仏教の理念に基づいた政治を行い、国内に仏塔を建設し、さらには布教活動を積極的に後押ししたのです!

仏教がインドからアジア各地へ広がっていくきっかけを作ったのが、まさにアショーカ王というわけです。

グプタ朝と黄金期

マウリヤ朝が衰退すると、しばらくは地域ごとに小王国が分立する時代が続きましたが、やがてグプタ朝(4世紀前半〜6世紀中頃)が成立します。

グプタ朝は北インドを中心に勢力を広げ、統一王朝としての力を示しました。

このグプタ朝の時代は、「インドの古典文化の黄金期」とも呼ばれています。

文学や数学、天文学、芸術など、あらゆる分野で高い水準の文化が花開いたのです。

たとえば「ゼロの概念」が明確化され、数学の発展に大きく貢献しました。

また、サンスクリット文学の名作『シャクンタラー』や『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』などが人気を博し、後世にも大きな影響を与えました。

しかし、グプタ朝も内紛や外部からの侵入によってしだいに衰退していきます。やがて王朝が崩壊すると、インドは再び分裂状態となっていきました。

イスラム系王朝の進出:デリー・スルタン朝とムガル帝国

北インドに混乱が続くなか、イスラム勢力がインドに進出してきます。

13世紀初頭には奴隷王朝を皮切りに、イスラム系の王朝がデリーを中心に勢力を広げました。

これを総称してデリー・スルタン朝と呼びます。いくつかの王朝が交替しながらも、およそ320年にわたって続いたのです。

その後、16世紀にバーブルという人物がムガル帝国(1526年〜1858年)を建国します。

ムガル帝国は当初、北インドを中心に支配を広げ、やがて非常に広大な領土を持つ強力な帝国へと成長しました。

中でも有名な皇帝は、アクバルやシャー・ジャハーンでしょう。

アクバルは、寛容な政策を取り、ヒンドゥー教徒や他宗教の人々との融和を図ったため、社会を比較的安定させました。

シャー・ジャハーンは、愛する王妃をしのんでタージ・マハルを建てたことで知られています。

タージ・マハルはインドを代表する世界遺産ですね!

ムガル帝国は長期にわたりインドを支配しましたが、後期には政治的な混乱も起き、やがて地域ごとの対立が生じるようになります。

そして、のちにヨーロッパ諸国がこの混乱に乗じてインドに進出していくのです。

ヨーロッパの進出とイギリス支配

16世紀以降、大航海時代を迎えたヨーロッパ各国はアジアの富を求めて積極的に海外進出を始めました。

ポルトガルやオランダ、フランスなどがインドでの貿易拠点を獲得しようと競い合います。

その中でも最終的に強大な影響力を持つようになったのが、イギリス東インド会社でした。

イギリス東インド会社は、ムガル帝国から特権を得て各地に拠点を置き、貿易を拡大するだけでなく、徐々に軍事力によって領土を拡大していきます。

やがてムガル帝国の力が弱まると、インド各地の藩王国とのあいだで政治的な駆け引きをおこない、支配を強めていきました。

最終的に、イギリスはインド全土を支配下に置き、1858年には東インド会社による統治からイギリス領インド帝国(直接統治)へと移行します。

この過程で起きた重要な反乱にセポイの乱(1857年)がありますが、これもイギリス側の徹底的な鎮圧により失敗に終わりました。

こうしてインドはイギリスの植民地として長いあいだ支配されることになるのです。

独立運動の展開とガンジー

植民地支配下のインドでは、経済的にも文化的にもイギリスに圧迫され、インド人の不満は大きくなっていきます。

20世紀に入ると、インド各地で独立を求める運動が本格化していきます。中心となったのが、インド国民会議派と呼ばれる政治組織です。

中でも有名なのが、マハトマ・ガンジーです。

ガンジーは「非暴力・不服従(アヒンサー)」を掲げ、武力を使わない抵抗運動を展開しました。

たとえば「塩の行進」は、イギリスの塩の専売に対して、インド人が自ら塩を作って抗議した運動として知られています。

平和的な方法で国を動かしたガンジーの姿は、のちの世界中の指導者たちにも大きな影響を与えました。

第二次世界大戦の影響で、イギリス本国が疲弊すると、インド独立の機運はいっそう高まります。

こうした流れの中、ついに1947年、インドはイギリスから独立を勝ち取りました!

同時に、宗教の違いから、イスラム教の多い地域が分離してパキスタンとして成立することになります。

インドの独立とその後

1947年にインドは独立を果たしたものの、その過程でヒンドゥー教徒とイスラム教徒の衝突が激化し、大規模な流血事件が起こるなど、大きな混乱が生じました。

ガンジー自身もこうした宗教対立を憂えており、暴力を止めようと努力しましたが、1948年にはヒンドゥー教過激派に暗殺されてしまいます。

インドとパキスタンの関係はその後もたびたび緊張を迎え、国境問題カシミール紛争など、現在に至るまで大きな課題として残っています。

一方、インドは独立後に初代首相のネルーのもと、社会主義的な経済政策を進めました

冷戦時代には、米ソどちらの陣営にも完全には属さない「第三世界」のリーダー的存在として国際的な地位を確立していきます

のちに経済自由化に舵を切り、IT産業などが成長することで、インドは経済大国への道を歩み始めました。

現在のインドは世界最大規模の人口を抱え、多数の言語や文化、宗教が共存する国家です。

経済成長著しい一方で、貧富の差や環境問題、地域紛争など課題も山積みです。

しかし、歴史の流れを振り返ると、インドは常に多様性を受け入れながら前進してきた国でもあるといえます。

まさに歴史の積み重ねが、いまのインドを形作っているのですね!

まとめ

ここまで見てきたように、インドの歴史はインダス文明に始まり、マウリヤ朝グプタ朝イスラム系王朝の登場を経て、ムガル帝国からのヨーロッパ列強による侵略、そして長い植民地支配を経験しました。

そこからの独立運動、さらには現代に至るまで、本当に多くの出来事がつながっています。

もちろんここに書ききれないようなエピソードや人物、地域の違いによるバリエーションも存在します。

しかし、「大枠としてはどんな流れで歴史が進んできたのか」をざっくり知るだけでも、インドを理解するうえで大きな手がかりとなるでしょう。

インドの歴史は複雑かもしれませんが、要点を押さえるとグッと面白くなってきます!

またインド旅行や文化に触れる機会があるときは、ぜひ今回の知識を思い出してみてください。

何気ない風景や建物も、歴史をふまえると「なるほど、こういうことだったのか!」と発見があるかもしれません。

多様性あふれるインドは、私たちにとって刺激的で魅力的な国です。

興味をもった方は、さらに本や映像などで深く学んでみるのもおすすめですよ!

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