日本の歴史

朝廷と幕府の違いとは?はじめて学ぶ日本史の基本をわかりやすく解説

2025年1月18日

はじめに

日本史において「朝廷」と「幕府」という言葉は頻繁に登場しますよね!

授業や本を読んでいると、何度も目にするので「なんとなく天皇がいるのが朝廷で、武士が支配しているのが幕府……なのかな?」とイメージを持つ方は多いでしょう。

しかし、実際にはどのような役割や機能、歴史的背景があるのかを正確に理解している人は少なくありません。

そこで本記事では、朝廷とは何か? 幕府とは何か? という基本的な部分から、両者の違い、さらに日本史の大きな流れの中でどのように関わってきたのかをやさしく解説していきます!

この記事を読めば、「朝廷」と「幕府」の違いをしっかり理解し、日本史全体を俯瞰する土台ができるはずです。

朝廷とは?

朝廷の概要

朝廷(ちょうてい)」とは、天皇を中心とした統治機構、あるいは天皇を囲む政治の場を指します。

朝廷という言葉は、中国の古代王朝に由来するといわれていますが、日本でも天皇が政治を司り、貴族がその下で働く仕組みが確立し、その総称として「朝廷」という言葉が使われるようになりました。

日本史上では、奈良時代から平安時代にかけて、天皇と貴族を中心とした政治が展開されます。

宮廷政治とも呼ばれ、天皇と公家(貴族)が政治の実権を握り、律令制度に基づいて官職を配置しながら国を治めていました。

当時の貴族といえば、藤原氏や摂関政治などが有名ですよね!

朝廷の具体的な権力構造

朝廷は律令制に基づき、太政官(だいじょうかん)という最高機関が政務を行っていました。

太政官の下には、左大臣・右大臣・大納言などの高官が並び、国政を担っていたのです。

さらに地方には国司が派遣され、天皇の権威を背景に各地の支配を行いました。

ただし、時代が下るにつれ、地方では武士が勢力を拡大していきます。

そして、朝廷の権威や経済力が徐々に衰退していく過程で、武士が中心となる新しい政治体制が生まれていきました。

それが「幕府」です!

幕府とは?

幕府の概要

「幕府(ばくふ)」とは、武士が中心となって政治を行う政権組織です。

朝廷と同時に存在しながら、実質的には武家政権が国を支配していく体制といえます。

最初に成立した幕府は、「鎌倉幕府」(1192年〜1333年)です。

源頼朝が征夷大将軍に任命されてから、鎌倉を拠点に武士の政権を築いたことが始まりですね。

その後、「室町幕府」(1336年〜1573年)、「江戸幕府」(1603年〜1867年)と続きます。

幕府の具体的な権力構造

幕府の長は、一般的に「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」と呼ばれる地位につきます。

朝廷から征夷大将軍に任命されることで正式に武士政権を率いる立場となりました。

ただし、実際には御家人や大名など、武士同士の関係性や合議によって政治が行われることも多く、朝廷の官制システムとはかなり異なった組織体制を持っていたのです。

幕府は、朝廷が京都を中心として権威を保持していた一方で、武士という軍事力と地方支配網を背景に実質的な国政を担うという大きな特徴があります。

いわば、朝廷が名目上の最高権威を保持しつつ、幕府が武力と経済的基盤をもとに現実的な支配を行うという二重政権のような状態が長く続きました。

朝廷と幕府の歴史的背景

平安時代まで:朝廷(天皇・貴族)の時代

奈良時代や平安時代の初期は、天皇や貴族による中央集権的な政治体制が機能していました。

しかし、平安時代の中期以降、地方では武士たちが勢力を拡大します。

もともとは貴族に仕える警護役などとしての役割を担っていた武士たちですが、次第に荘園の管理や土地経営を手がける中で武力と財力を蓄えていったのです。

鎌倉時代:初めての武家政権

武士の台頭を決定づけたのは、やはり源平合戦(1180年〜1185年)でしょう。

源頼朝の勝利によって、武士という新たな支配層が誕生しました。

彼は、朝廷から征夷大将軍に任命されることで正式に「鎌倉幕府」を開きます。

ここで「朝廷(天皇・公家)」と「幕府(将軍・武士)」という二重構造が形成されたのです!

このとき、朝廷は京都にあり、形式上は天皇が最高権力者でした

しかし、現実的には武士が支配する鎌倉幕府が全国の政治・軍事・経済を実質的にコントロールしていきます

「朝廷の権威」と「幕府の実力」が並び立つことで、日本の政治は複雑な様相を呈していきました。

室町時代:公武の融合と分裂

鎌倉幕府が倒れたあとは、足利尊氏によって「室町幕府」が誕生します。

室町幕府は京都(室町)に本拠地を置き、朝廷と地理的に近い場所で政権運営を行いました。

公家文化と武家文化が融合した「公武二元体制」と言われることもあり、華やかな文化(北山文化・東山文化など)を生み出しましたね!

しかし、南北朝時代(1336年〜1392年)には、朝廷が南朝と北朝に分裂し、それぞれが正統を主張する混乱期もありました(南北朝の動乱)。

最終的には室町幕府が北朝を支持して政治を進めることで北朝が正当として扱われるようになり、南北朝合一が成立します。

それでも、政治権力としては室町幕府が強い影響力を維持し続け、朝廷は象徴的な権威の側面が一段と強まっていきました。

江戸時代:幕藩体制と天皇

戦国時代を経て、徳川家康が1603年に征夷大将軍に任命されて開いたのが「江戸幕府」です。

これは、日本史上最も長く続いた武家政権といわれ、約260年間もの間、武士による支配体制が続きます。

朝廷は京都にあって、天皇は依然として存在しましたが、政治や軍事の実権は徳川将軍を頂点とする幕府が握っていました。

ただし、朝廷が全く力を持たなかったわけではなく、朝廷の権威を必要とするときには幕府は朝廷との関係を重視しました。

また、天皇の位を継承する儀式や文化的な行事も引き続き行われていましたが、政治の中心は圧倒的に江戸幕府にあったのです。

朝廷と幕府の違い

ここまでの歴史的背景を踏まえると、朝廷と幕府は以下のような違いがあるとまとめられます!

  1. 主導権を握る階層の違い
    • 朝廷:天皇や貴族(公家)が中心
    • 幕府:武士(将軍や大名)が中心
  2. 位置づけの違い
    • 朝廷:伝統的・形式的な最高権威(天皇)を頂点とした統治機構
    • 幕府:武力を背景に実質的な支配を行う武家政権
  3. 権威・権力の源泉の違い
    • 朝廷:皇統の正統性と歴史的・宗教的な権威
    • 幕府:武力・土地支配・財源を背景にした実務的な権力
  4. 政治運営の方法の違い
    • 朝廷:律令制など古代に確立した官制システム(ただし中世以降は形骸化)
    • 幕府:御恩と奉公の関係に基づく封建制度、各地の武士を支配するシステム
  5. 共存関係と対立関係
    • 基本的には朝廷が形式的権威を、幕府が実権をもつ二元体制
    • しかし、時代や状況によっては対立・衝突・討幕運動などが起こる

朝廷と幕府が共存できた理由

「どうして朝廷と幕府という二つの統治機構が同時に存在していたの?」と疑問に思う方もいるでしょう。

これには以下のような理由が考えられます。

朝廷(天皇)の権威が必要だった

幕府を開くためには、朝廷(天皇)からの征夷大将軍任命が不可欠でした。

武士たちは「天下に正統性を示す」ために天皇の権威を利用したのです。

天皇から公式に任命されることで、武士政権は「正式な政権」だと内外に認められるようになりました。

武士の軍事力を必要としていた

一方の朝廷側も、乱が起こった際などに武士の軍事力を利用したかったのです。

朝廷は名目上の最高権力ではあるものの、実際の戦闘や治安維持に必要な力を持っていませんでした。

そのため、武士とある程度の協力関係を維持することで自らの安全と権威の継続を図ったのです。

伝統と実力のバランス

日本の歴史においては、天皇の存在は非常に古くから続いており、社会全体に深く根づいていました。

そのため、仮に武士政権が新たな統治者になったとしても、天皇の「伝統的・精神的支柱」としての役割を完全に無視するのは難しかったのです。

朝廷という伝統と、幕府という実力がバランスをとることで、日本社会の安定が保たれたとも言えます。

幕府と朝廷の相互作用が生んだ文化

日本史を振り返ると、朝廷が皇族や貴族の宮廷文化を発展させる一方、幕府や武士たちが独自の武家文化を生み出してきました。

その結果、公家文化と武家文化が絶妙に混ざり合うのが日本の特徴とも言えます!

  • 平安時代の貴族文化:和歌、源氏物語、雅楽、装束など
  • 鎌倉〜室町時代の武家文化:武士道、禅宗の影響、能や茶道の洗練、建築様式など
  • 江戸時代の町人文化:浮世絵、歌舞伎、庶民の娯楽など
  • 朝廷の儀式と幕府の行事:天皇の即位式などの朝廷の行事と、将軍宣下などの幕府の儀式が同時代に共存

こうした文化的な豊かさを振り返ると、朝廷と幕府が並立していたことは日本独自の多彩な文化を生んだ要因の一つといえますね!

朝廷と幕府の終焉とその後

幕府の終焉

幕府は長く実質的な権力を握ってきましたが、19世紀になると欧米列強がアジアへ進出を強め、日本にも開国を迫ってきます。

江戸幕府は鎖国政策を維持しながらも海外からの圧力に対応しようとしましたが、その過程で国内が混乱し、倒幕運動が盛り上がっていきました。

そして1867年(慶応3年)、最後の将軍・徳川慶喜が大政奉還を行い、政権を朝廷へ返上します。

王政復古と明治政府

大政奉還によって幕府が消滅すると、翌1868年(慶応4年)には「王政復古の大号令」が発せられ、天皇中心の新政府が誕生しました。

ここに至って、朝廷と幕府の二重体制は終焉を迎えます。

明治政府は天皇を中心に近代化を進め、廃藩置県などで旧来の封建体制を廃止。

西洋の制度を取り入れつつ中央集権国家を作り上げていったのです。

現代における朝廷

現在でも日本には天皇が存在しますが、その地位は日本国憲法において「日本国の象徴」とされています。

政治的な実権は持たず、あくまでも国民統合の象徴的な立場です。

これは江戸時代以前のような政治権力を伴う朝廷の姿とはまったく異なるものであり、時代を経て「朝廷」も大きな変化を遂げてきたわけです。

まとめ

いかがでしたか?「朝廷」と「幕府」の違いは、単に「天皇と武士の政権」というだけでなく、歴史の流れの中で果たしてきた役割や機能を理解することでより明確になってきます!

  • 朝廷は天皇を中心とした伝統的権威を保ち、律令制などに基づく官僚組織を背景にしていた。
  • 幕府は武士が中心となり、軍事力を軸とする封建的支配体制で実務的な政治を動かしていた。

このように、朝廷と幕府の両方の視点から日本史を眺めると、歴史教科書やドラマで描かれる人物や事件の背景がより立体的に見えてきます!

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