はじめに
朝鮮半島は、ユーラシア大陸の東端に位置し、中国大陸や日本列島とも近接している地域です。
地理的に大国に囲まれていることもあって、政治的・文化的に多くの影響を受けながら独自の歴史と文化を育んできました。
現在、朝鮮半島はご存じのとおり南北に分断され、「韓国(大韓民国)」と「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」という二つの国家が存在しています。
なぜ、同じ民族でありながら南北に分断されることになったのか?
そのきっかけは第二次世界大戦終結後の冷戦構造と深く関係しています。
一方で、その分断のきっかけを形作ったのは、さらに前の時代からの国際情勢や内政の変化にも要因がありました。
本記事では、朝鮮半島の歴史を大まかに区切りながら、その要点を一緒に見ていきましょう!
初めて学ぶ方でも理解しやすいよう、やや長めの解説になりますが、ぜひ最後まで読み進めてみてください。
なお、韓国と日本の関係・反日感情について解説した記事もありますので、あわせてお読みいただくと理解が深まります!
朝鮮半島の古代史
古代の朝鮮半島
朝鮮半島には、先史時代から人々が定住していました。
特に有名なのが、紀元前に成立したとされる古朝鮮(檀君神話に登場する古朝鮮)です。
歴史書では、紀元前4世紀ごろまでに朝鮮半島北部に衛氏朝鮮などの国家が成立し、中国の戦国時代の国との関わりも見え隠れしています。
漢王朝が成立すると、その影響を受けて楽浪郡などの郡県支配が行われました。
三国時代:高句麗・百済・新羅
朝鮮半島の古代史を語るうえで欠かせないのが「三国時代」です!
- 高句麗:朝鮮半島の北部から中国東北地方にまで及んだ勢力で、強大な軍事力を誇りました。
- 百済:朝鮮半島の西南部を中心に発展し、日本のヤマト政権と交流をもったことで有名です。
- 新羅:朝鮮半島の東南部を本拠として勢力を伸ばし、後に唐と同盟を組んで他国を制圧していきます。
この三国が互いに抗争と同盟を繰り返しながら朝鮮半島を統一しようとした激動期が三国時代です。
最終的には、新羅が唐の力も借りながら高句麗と百済を制圧し、朝鮮半島のほとんどを統一しました。
統一新羅・渤海
7世紀後半に新羅が朝鮮半島の大半を支配する統一新羅が成立します。
一方、高句麗の遺民の一部は北方に移り、渤海国を建国しました。
渤海は中国の唐や日本など周辺国とも貿易・外交を展開し、一時は「海東盛国」と呼ばれるほどに繁栄します。
朝鮮半島の古代史は、外部からの影響と内政の変化がダイナミックに交差する時代でした。
この時期の文化は、韓国と北朝鮮それぞれの歴史意識にも色濃く反映されることになります。
李氏朝鮮から日本の支配へ
高麗王朝の成立と変遷
新羅の後、新たに登場するのが高麗(918年~1392年)です。
王建が建国した高麗は、後三国(後高句麗・後百済・新羅)を統一して朝鮮半島を再びひとつにまとめました。
高麗は科挙制度を取り入れるなど、中国からの文物を積極的に受容しつつ、独自の文化を花開かせました。
李氏朝鮮(朝鮮王朝)の成立
14世紀末になると、内紛や元(モンゴル帝国)の影響などによって高麗は弱体化していきます。そ
こで登場したのが、武将の李成桂(イ・ソンゲ)です。
李成桂は朝鮮半島の政治体制を一新し、李氏朝鮮(1392年~1897年)を樹立しました。
李朝時代は長期にわたり統治が続き、儒教を国家の統治理念とした官僚制度が整備されたほか、ハングル(訓民正音)の創製など、朝鮮独自の学問や文化が発展します。
李氏朝鮮末期の混乱と日本の介入
19世紀後半になると、世界的な列強の台頭やアジア各地での植民地主義が猛威を振るい始めます。
朝鮮半島は清、中国、そして日本やロシアなどの大国がひしめく地政学的要衝でもあり、李氏朝鮮はたびたび大国の干渉を受けました。
日清戦争(1894年~1895年)の結果、日本は清を破り、朝鮮における影響力を強めます。
その後、大韓帝国(1897年~1910年)として国名を改めたものの、近代化政策が進まないうちに日本の勢力がさらに強力になっていきました。
日本による植民地支配
結局、1910年には韓国併合条約が結ばれ、朝鮮半島は日本の支配下に置かれることとなります。
この植民地支配は、1945年の第二次世界大戦終結まで続きました。
日本は朝鮮総督府を置き、朝鮮語の使用制限や徴用・徴兵などを強行し、朝鮮半島の人々の暮らしに大きな苦難をもたらしました。
この時代の経験は、韓国と北朝鮮の歴史認識に大きな影響を与え、現在でも両国の国民感情に深く刻まれています。
第二次世界大戦後の朝鮮半島
解放と米ソ分割占領
1945年に第二次世界大戦が終結し、日本の降伏によって朝鮮半島は解放されました。
しかしその直後、米国とソ連が北緯38度線を境に朝鮮半島を分割管理することになり、朝鮮の独立をめぐって一気に国際政治の渦中に置かれます。
ここから朝鮮半島の「分断」の歴史が始まりました。
大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の成立
- 1948年8月:南側のアメリカ占領地域では、「大韓民国(韓国)」が樹立されます。初代大統領は李承晩(イ・スンマン)。
- 1948年9月:北側のソ連占領地域では、「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」が成立。金日成(キム・イルソン)が主導する体制が敷かれます。
本来であれば、ひとつの朝鮮として独立するはずが、米ソ冷戦という世界的な対立構造の余波をまともに受け、結果的に南北それぞれに別個の政府が誕生してしまいました。
国際社会の動向と南北の緊張
韓国と北朝鮮の誕生によって、朝鮮半島は米国を中心とする資本主義陣営と、ソ連を中心とする社会主義陣営の最前線となります。
1949年の中国共産党による中華人民共和国の成立も重なり、東アジアは一気に冷戦の主要舞台へと変化しました。
南北間では、互いに「朝鮮半島全体の正統な政府は自分たちだ」という主張が激しく、また米国やソ連の影響力も絡んで、軍事的な緊張が高まっていきます。
分断の始まりと朝鮮戦争
朝鮮戦争の勃発
南北の対立が頂点に達したのが、1950年6月25日に始まった朝鮮戦争です!
北朝鮮軍が大規模な侵攻を開始し、一気に首都ソウルを陥落させます。
これに対し、アメリカを中心とする国連軍が韓国を支援し、中国の義勇軍(事実上の中国人民志願軍)が北朝鮮側で参戦。
朝鮮戦争は国際的な代理戦争の色合いを強く帯びることになります。
休戦と分断固定化
1953年に休戦協定が締結されるものの、南北は依然として「戦争が終わった」とは言えない状況が続きます。
現在でも南北間に正式な平和条約は結ばれていません。
休戦ライン(軍事境界線)を挟んだ対立は、そのまま地政学的な境界となり、分断は固定化されてしまいます。
戦後復興とそれぞれの道
朝鮮戦争の結果、韓国と北朝鮮は甚大な被害を受けます。
インフラは破壊され、経済も荒廃。
そこからの復興は並大抵のことではありませんでした。
両国はそれぞれ異なる体制のもと、異なる支援を受けながら再建に乗り出していきます。
- 韓国:当初は開発独裁と呼ばれる政治体制のもと、海外からの資本導入や輸出産業の育成によって急速な経済成長を遂げました。
- 北朝鮮:社会主義体制を敷き、ソ連や中国からの支援を受ける形で復興を進めました。当初は韓国より経済指標が優位であった時期もありましたが、やがて国際情勢の変化に伴って深刻な経済難へと陥っていきます。
韓国と北朝鮮の現代史
韓国:独裁から民主化へ
韓国は朝鮮戦争後の長らく、李承晩政権や朴正煕(パク・チョンヒ)政権などによる強権的な統治が続きました。
しかし、1970~80年代にかけて学生運動や市民運動が活発化し、民主化を求める声が高まっていきます!
特に1987年の6月民主抗争は、戒厳令や政治抑圧に反発する市民が大規模なデモを起こし、ついに政権が直接選挙の実施を受け入れるに至った歴史的出来事です。
これにより、韓国は本格的な民主化を果たし、経済成長とともに国際社会でも存在感を高めることになりました。
北朝鮮:金日成から金正日、そして金正恩へ
一方の北朝鮮は、建国の父である金日成(キム・イルソン)の独裁体制が長らく続きました。
彼の死後、息子の金正日(キム・ジョンイル)が政権を引き継ぎ、「先軍政治」や核開発を推進。
経済的には苦境に陥り、1990年代半ばには大規模な飢饉も発生しました。
さらに2011年の金正日の死後、その息子である金正恩(キム・ジョンウン)が最高指導者となります。
国際社会との緊張が続くなか、核・ミサイル開発を進める一方、国内では一部の経済改革を試みる動きも見られています。
南北関係の変遷
南北関係は、政権の交代や国際情勢によって大きく左右されてきました。
- 1972年:南北共同声明が発表され、統一を目指す原則を確認。
- 2000年:初の南北首脳会談が行われ、「6.15南北共同宣言」が発表。
- 2018年:板門店(パンムンジョム)宣言などを通じ、首脳会談が行われ、一時は融和ムードが広がる。
- しかし、その後は核問題や制裁をめぐる立場の相違により、再び緊張が高まる時期もありました。
経済と国際社会での立ち位置
- 韓国:アジアの中でも経済成長が著しく、ITや自動車、家電産業などで世界的なブランドを確立。文化面でもK-POPや韓流ドラマが国際的に人気を博しています。
- 北朝鮮:経済制裁の影響もあり、閉鎖的な経済運営が続いていますが、地政学的戦略や核保有により国際社会での注目度は高い状況です。
まとめと今後の展望
韓国と北朝鮮の歴史は、外部勢力の干渉と内部の政治体制の変化が複雑に絡み合った、まさに「激動の歴史」だと言えます!
同じ民族でありながら、南北に分かれて別々の政体を敷き、時には融和を模索しながらも、根本的な対立が解消されないまま現代に至っています。
韓国と北朝鮮の歴史を知ることは、この地域のみならず国際政治全体を理解するための大きな手がかりになります。
ぜひ、これを機会にさらに深く学び、両国のこれからの動向にも注目してみてください。