世界の歴史

ガイアナの歴史をやさしく解説!先住民から独立、そして現代まで

ガイアナってどんな国?

ガイアナは南アメリカ大陸に位置しますが、英語を公用語としているユニークな国です。

また、カリブ共同体(CARICOM)の本部が置かれている国でもあり、カリブ海諸国との関わりがとても深いのも特徴的。

首都はジョージタウンで、大西洋に面する港町でもあります。

国土の大部分は熱帯雨林で覆われ、アマゾン川流域に近いことから豊かな自然が広がっています。

国境は西側をベネズエラ、南側をブラジル、東側をスリナムと接しており、国境問題が長年続いていることでも知られています。

そんなガイアナは元々複数の先住民が住んでいた土地であり、ヨーロッパ諸国の植民地支配やアフリカから連れてこられた奴隷、さらにはアジアからの移民労働者の歴史を経て、現在の多民族国家へと発展してきました!

先住民時代のガイアナ

ガイアナの歴史を語るうえで外せないのは、先住民の存在です。

ガイアナ地域には、カリブ系・アラワク系の先住民が居住していました。

彼らはガイアナの豊かな熱帯雨林と川や海の資源を活用し、農耕や漁業などを営んでいました。

カリブ系・アラワク系の特徴

カリブ系は主に戦闘的な性格を持ち、他の部族との対立もあったと伝えられています。

またアラワク系は穏やかな気質とされ、農業に力を入れていたようです。

ヨーロッパ勢力がやってくるまでは、これら先住民のコミュニティがガイアナの土地で比較的平和に暮らしていました。

しかし、16世紀以降の大航海時代になると、ヨーロッパ人が新たな土地を求めてカリブ海一帯に足を踏み入れるようになり、ガイアナ地域にも大きな変化が訪れます。

ヨーロッパ諸国の到来と植民地支配

ガイアナの歴史を大きく左右したのが、ヨーロッパの植民地政策です。

スペインやポルトガルが新大陸を開拓し始めた頃、ガイアナ地域にはオランダ、イギリス、フランスなどの勢力も次々とやってきました。

それぞれのヨーロッパ諸国が自らの拠点を築き、プランテーションを中心とした経済活動を行うようになるのです。

オランダの影響

17世紀に入り、オランダはガイアナ沿岸部にいくつかの植民地を築きました。

エセキボ(Essequibo)やデメララ(Demerara)などの川の流域は肥沃な土地が多く、サトウキビやコーヒーなどのプランテーション栽培に適していたのです。

オランダ人は運河を掘ったり護岸を整備したりして、この地域を開発していきました。

イギリスの影響

18世紀後半になると、イギリスもガイアナ地域へ進出を強化します。

ナポレオン戦争(1803年~1815年)の時期を経て、最終的には1814年のロンドン条約によって、イギリスはオランダからエセキボ、デメララ、そしてベルビス(Berbice)を正式に譲り受けます。

こうしてガイアナは「英領ギアナ(British Guiana)」としてイギリスの支配下に入ることになりました。

フランスの影響

一時的にフランスがガイアナ地域を支配した時期もありましたが、最終的には隣国の「仏領ギアナ(現在のフランス領ギアナ)」へとつながる地域に勢力を固め、現在のガイアナ地域における長期支配はイギリスが中心となりました。

プランテーション経済と奴隷制度

ガイアナをめぐるヨーロッパ列強の争いの背景には、やはりプランテーションによる経済的利益がありました。

カリブ海一帯と同様に、ガイアナでもサトウキビ、コーヒー、ココア、綿花といった農産物の栽培が盛んに行われ、ヨーロッパに輸出することで莫大な富を得ようとしたのです。

しかし、その担い手として利用されたのが、アフリカから連れてこられた奴隷たちでした。

過酷な労働環境と自由を奪われた生活の中で、奴隷たちはたびたび反乱を起こし、植民地支配者との衝突が絶えませんでした。

イギリスは19世紀前半に奴隷貿易を廃止し、1834年には奴隷制を廃止しますが、それでもプランテーション経済はなおも労働力を求め続けました。

奴隷解放後の移民労働者

奴隷制度が廃止された後、ガイアナのプランテーションでは深刻な労働力不足に陥ります。

そこで、イギリスは新たに他地域からの移民労働者を積極的に導入するようになりました。

特に多くのインド人(当時はイギリス領インドの住民)が契約労働者としてガイアナに渡ってきたのです。

これにより、ガイアナはアフリカ系、インド系、先住民系、さらには中国系やポルトガル系など多様な人々が混在する社会になっていきました!

現在でもガイアナの人口構成を見ると、インド系とアフリカ系が多く、それに先住民やその他の民族が加わる多文化社会として特徴的な姿を見せています。

この多様性はガイアナの文化や祭事に色濃く反映されており、宗教もヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教などがバランスよく存在するなど、とてもユニークな民族・宗教構成を持っています。

独立への道のり

長年イギリスの植民地支配下にあったガイアナですが、20世紀に入ると各地で独立運動の機運が高まり、ガイアナでも自治権拡大や独立を求める動きが強まっていきます。

1950年代にはイギリスの植民地政策に対して批判が高まり、政治団体や労働組合による独立運動が活発化しました。

これに対し、イギリス政府は段階的に自治権を付与する方向へと動き始めます。

1961年の選挙と自治政府の樹立

1961年、ガイアナ(当時は英領ギアナ)は大幅な自治権を与えられ、首相が選出される体制へと移行しました。

初代首相となったチェディ・ジェーガン(Cheddi Jagan)はマルクス主義の思想を持つ政治家でしたが、冷戦下という国際情勢もあってアメリカやイギリスからは警戒されていました。

そのため、ガイアナの独立への道は一筋縄ではいかなかったのです。

1966年 独立達成!

紆余曲折を経て、ガイアナは1966年5月26日に正式にイギリスから独立を果たします!

独立後のガイアナは英連邦に残留しつつ、国名を「ガイアナ(Guyana)」と改め、首相制を中心とした政治を展開していきました。

のちに1970年には共和制へと移行し、「ガイアナ協同共和国(Co-operative Republic of Guyana)」となります。


独立後の政治・社会

独立を果たしたガイアナですが、政治的にはなかなか安定しない時期が続きました。

冷戦時代の国際情勢の中で、ガイアナ国内では社会主義的な政策を推進する動きが強かったこともあり、米国や欧州諸国との関係が複雑化することになります。

1960年代~1980年代の動向

初代首相チェディ・ジェーガンとフォーブス・バーナム(Forbes Burnham)という二人の政治家が対立しながら政権を交代していく状況が見られました。

バーナム政権(1964年~1985年頃)は「協同共和国」という名にふさわしく、国有化政策や計画経済的手法を試みましたが、経済は停滞して国民生活は厳しさを増していきます。

政治的には不正選挙疑惑なども取りざたされ、ガイアナ国内の民族対立が深刻化する場面も少なくありませんでした。

1990年代以降の民主化

1985年にバーナムが死去し、その後、大統領に就任したヒュー・デスモンド・ホイト(Hugh Desmond Hoyte)が徐々に民主化路線へと転じ、1992年には自由で公正な総選挙が実施されます!

この選挙を機にチェディ・ジェーガンが再び政権の座に就き、その後は比較的平和的な政権交代が行われるようになりました。

現代のガイアナ

21世紀に入ってからは、国際社会との関係も広がり、豊富な鉱物資源や新たに見つかった石油資源の開発が大きな話題となっています。

特に近年、ガイアナの沖合で大規模な石油埋蔵量が発見され、今後の経済発展への期待が高まっています。

一方で、環境保護や持続可能な開発とのバランスをどう取るかが課題でもあります。

また、ガイアナは多民族・多文化国家としてのアイデンティティを維持しつつ、インフラ整備や観光産業の育成に力を入れる動きがあります。

コロナ禍によって世界的に観光業が打撃を受けた時期もありましたが、ガイアナ独自の大自然やエコツーリズムは今後さらに注目される可能性が高いでしょう!

ガイアナの文化と社会

ガイアナは、インド系とアフリカ系、先住民をはじめとする多様な民族が混ざり合ってきたからこそ、バラエティ豊かな文化を育んできました。

たとえば、ヒンドゥー教の祭りであるディーワーリーやイスラム教のイード、キリスト教のクリスマスなど、異なる宗教行事が各コミュニティで同時に祝われるのもガイアナならではの光景です。

料理もスパイスを多用したカレーやロティ(インド風の薄焼きパン)、クックアップライス(ライスと豆を一緒に炊き込んだアフリカ系の料理)など、エスニックな要素が豊富です。

伝統的な音楽やダンスも、インド、アフリカ、アメリカ先住民、そしてカリブ海文化の影響が色濃く反映されています!

ガイアナと日本の関係

日本とガイアナは地理的には遠い存在ですが、国際機関を通じた協力関係や、経済・文化の交流などを通じて少しずつ関わりを深めてきました。

とりわけガイアナは英語圏であることから、カリブ海地域へのゲートウェイとして日本企業が進出を検討することもあります。

また、近年では石油資源開発への海外投資が活発化しているため、日本の企業が関心を寄せるケースも増えつつあります。

政府間の関係では、技術協力や人材育成支援などが行われており、青年海外協力隊(JICA)による活動や、教育・農業分野の支援プロジェクトなどが進められています。

このようにガイアナは大国ではありませんが、確かなポテンシャルを秘める国として、今後さらに注目されるかもしれません!

まとめ

ガイアナの歴史を学ぶことは、カリブ海地域や南米における植民地支配と独立運動の流れを理解する上でも大いに役立ちます。

多文化共生や国際協力に関心がある方にとっても、ガイアナの歴史は学びが多いテーマです。

ぜひこの国の歩みをきっかけに、南米やカリブ海地域の歴史にも視野を広げてみてください!

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