エジプト文明の始まり
エジプトの歴史は、今からおよそ紀元前5000年頃に遡るとされています。
ナイル川の流域には少しずつ集落が形成され、人々は川の氾濫によってもたらされる肥沃な土壌で農耕を営むようになりました。
ナイル川は「エジプトはナイルの賜物」と言われるほど重要な存在で、定期的な洪水が豊かな土地をもたらし、住民たちの暮らしを支えたのです。
こうした集落が発展し、次第に統合されていく過程で、後に王(ファラオ)を中心にした強力な政治体制が整えられていきました。
最初期には上下エジプト(ナイル川の上流域と下流域)に分かれていましたが、やがて王朝が統一を果たし、エジプト文明の基礎が築かれます。
長い歴史の中でも、その始まりはやはりナイル川がもたらす豊かな恵みを活かしていたのですね!
古王国時代(紀元前2686年頃~紀元前2181年頃)
「ピラミッド」と聞けば、まず思い浮かぶのが古代エジプト!
そしてその象徴といえるのが古王国時代に築かれたギザの三大ピラミッドです。
エジプト第三王朝から第六王朝あたりまでを“古王国時代”と呼び、特に有名なのがクフ王・カフラー王・メンカウラー王のピラミッドですね。
古王国時代はエジプト文明が大きく花開いた時期であり、ファラオが神の化身とされ、民衆はファラオのためにピラミッドをはじめとする巨大建造物を築きました。
当時は高度な測量技術や天文知識を持ち、国家事業として大規模な建築を進めたと考えられています。
さらに、官僚制も整備され、中央集権的な統治が行われたのもこの時代の特徴です。
しかし、長い年月の後に王朝は衰退の兆しをみせ、やがて地方勢力が台頭していきます。
大規模なピラミッド建造は財政的にも大きな負担となり、社会不安や経済的な危機が重なった結果、古王国時代の終焉へと向かうのでした。
中王国時代(紀元前2055年頃~紀元前1650年頃)
古王国時代が終わったあと、一時的な混乱期を経て再びエジプトが統一され、中王国時代が幕を開けます。
代表的な王朝としては、第11王朝や第12王朝が挙げられ、首都もテーベやイトタウィなどに移りました。
中王国時代は国家体制が再編され、政治や軍事が整備されるとともに、文学や芸術も進歩しました!
ピラミッド建造が再び盛んになるものの、古王国時代ほどの規模ではなく、墓地に造られた王の葬祭殿や装飾品などに注力する傾向が見られます。
この頃は対外進出も活発で、ヌビア方面への遠征や貿易活動が盛んに行われていました。
しかしやがてヒクソスという異民族の侵入や内部的な対立が原因となり、中王国時代も終焉を迎えます。
新王国時代(紀元前1550年頃~紀元前1069年頃)
続く新王国時代は、エジプトの歴史の中でも特に華やかな時期として知られています。
トトメス3世やラメセス2世など、強力なファラオが登場し、エジプトは国力を大いに高めました!
領土はシリア・パレスチナ方面にまで広がり、莫大な富がもたらされたのです。
また、新王国時代といえば有名なツタンカーメン王の名前を思い浮かべる人も多いでしょう。
ツタンカーメン王の黄金のマスクはエジプト文明のシンボルといっても過言ではありません。
その墓が20世紀にほぼ無傷で発見されたことで、世界中がエジプト考古学に熱狂しました。
宗教面でもアメンホテプ4世(イクナートン)の時代には、一神教(アテン神崇拝)の改革が行われましたが、彼の死後は再びアメン神信仰が盛り返し、宗教的にも激動の時代でした。
しかし新王国もやがて外国勢力の侵入や内部的な衰えによって力を失い、末期王朝時代へと移っていきます。
プトレマイオス朝(紀元前332年~紀元前30年)
紀元前332年、古代ギリシアの英雄アレクサンドロス大王がエジプトに入城し、エジプトはマケドニア(ギリシア)の支配下に置かれました。
その後、アレクサンドロス大王の死を受けて部下のプトレマイオスがエジプトを支配し、プトレマイオス朝が成立します。
プトレマイオス朝はギリシアとエジプトの文化が融合し、アレクサンドリアのような学問都市が栄えたことで知られています!
天文学や数学、医学などが大きく進歩し、エジプトは知の中心地のひとつとして輝きを放ちました。
しかし、内紛や財政難、そしてローマの勢力拡大などによりプトレマイオス朝は次第に衰退。
最後の女王クレオパトラ7世がローマの将軍マルクス・アントニウスと結んで対ローマ戦を試みたものの失敗し、紀元前30年にエジプトはローマに組み込まれることになります。
クレオパトラのドラマチックな逸話は、今なお多くの人々を魅了していますね!
ローマ帝国・ビザンティン帝国支配時代
プトレマイオス朝の終焉後、エジプトはローマ帝国の属州となりました。
ローマ帝国が東西分裂を起こすと、エジプトは東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の支配下に組み込まれます。
ローマ人・ギリシア人による行政や文化が持ち込まれたことで、エジプト本来の文化と混じり合い、新たな様相を呈することに。
宗教面でもキリスト教の影響が強まり、やがてアレクサンドリアではコプト正教会が発展しました。
ただし、ビザンティン帝国による重税や圧政的な支配もあり、民衆は必ずしも安定した暮らしを得られたわけではありません。
こうした不満は、のちにイスラム勢力がエジプトに進出してくる背景ともなりました。
イスラム支配時代(アラブ征服~ファーティマ朝・マムルーク朝)
7世紀前半にイスラム教を興した預言者ムハンマドの死後、その教えは瞬く間にアラブ世界へと広がりました。
661年にはウマイヤ朝が成立し、彼らの征服活動によってエジプトもイスラム支配下に組み込まれます。
イスラム勢力による支配が始まると、アラブ文化やイスラム教がエジプトにも定着していきました。
ファーティマ朝(10~12世紀)では首都カイロが建設され、学問や商業の中心地として発展!
後にアイユーブ朝を経て、13世紀半ばからはマムルーク朝がエジプトを支配し、イスラム世界の強国として君臨しました。
マムルーク朝時代は建築ラッシュが進み、イスラム建築様式の美しいモスクや学院が数多く建設されています。
現在でもカイロには当時の建造物が残り、街の景観に独特の歴史ロマンを感じることができますね!
オスマン帝国時代(16世紀~19世紀)
オスマン帝国が台頭すると、1517年にはエジプトもオスマン帝国の支配下に入ります。
とはいえ、完全に直接統治されたわけではなく、エジプトの地方政権は依然としてマムルークが握っていた面もありました。
オスマン帝国の庇護下で相対的な自治権が維持されていたのです。
しかしヨーロッパ諸国の影響力が増すにつれ、エジプトも国際情勢に振り回されるように。
フランス革命期の1798年にはナポレオンがエジプト遠征を行い、これがきっかけとなってエジプトの近代化が一気に加速していきます。
ムハンマド・アリー朝(1805年~1953年)
ナポレオンの遠征後、オスマン帝国配下の総督としてエジプトを治めることになったのがムハンマド・アリーです。
彼は近代化を推し進めるために軍備の強化や経済改革を行い、エジプトの発展に大きく寄与しました!
また、農業生産の拡大を図り、綿花や砂糖の生産で財源を確保するなど、多角的な政策を展開。
その後、ムハンマド・アリーの血筋である王家が続き、エジプトは形式上オスマン帝国の一部ではあるものの、事実上は独立国家に近い状態となっていきます。
しかし、スエズ運河の建設(1869年完成)やヨーロッパ諸国の介入によって、エジプトは列強の影響を強く受けるようになりました。
イギリス保護領時代(1882年~1952年)
スエズ運河はヨーロッパとアジアを最短ルートで結ぶ大動脈として非常に重要視されました。
その結果、エジプトはイギリスの軍事介入を受け、1882年にイギリスの保護国状態となります。
これにより、エジプトの政治・経済は大きくイギリスの影響下に置かれることに。
第一次世界大戦中には、オスマン帝国が中央同盟国側に立ったこともあり、イギリスはエジプトを正式に保護領と宣言。
エジプト人の民族意識が高まり、独立運動が盛んになりますが、完全な自由を獲得するにはもう少し時間がかかりました。
現代エジプトへ~王政の廃止と共和制の樹立
第二次世界大戦後の1952年、自由将校団によるクーデターが成功し、ファルーク王が退位。
これにより長らく続いたムハンマド・アリー朝の王政は幕を閉じます。
翌1953年にはエジプト共和国が成立し、ナギーブ将軍が初代大統領に就任。
続いてナセル大統領が誕生し、スエズ運河の国有化(1956年)を断行するなど、エジプトの国際的地位を一気に高めようとしました!
その後のサダト大統領時代にはイスラエルとの和平条約(1979年)を締結し、中東情勢の転換期となります。
さらにムバーラク大統領が長期政権を担った後、2011年の「アラブの春」によって大規模なデモが起こり、ムバーラク大統領が退陣。
こうした動乱を経て現在もエジプトでは政治改革や経済発展に向けた取り組みが続いています。
エジプトの歴史が今に伝えるもの
エジプトは世界でも屈指の「歴史の宝庫」です!
古代ピラミッドやファラオのミイラだけでなく、ギリシア・ローマ、アラブ・イスラム、ヨーロッパ列強の影響が渦巻き、独自の文化を継承・変化させてきました。
こうした重層的な歴史があるからこそ、現代のエジプトは多様な宗教・人種・文化を包み込む不思議な魅力を放っているのでしょう。
また、ナイル川は古代から変わらずエジプトに恵みをもたらし続けています。
農業が盛んな一方で、観光業も国家の重要な収入源であり、世界中の人々がエジプトの遺産や自然を楽しみに訪れます。
長い歴史の中で培われたホスピタリティや伝統文化に触れれば、エジプトの奥深さをますます感じるはずです!