【サルでもわかる】学問紹介シリーズ

サルでもわかるデカルト哲学 自分らしく生きるための処方箋

2025年1月8日

はじめに

我思う、ゆえに我あり(cogito, ergo sum )」

この超絶名言を残した偉人こそデカルトでございます。

今日はデカルトから、現代を生きるヒントを学んでいきましょう!

ただデカルトの哲学を紹介するだけでなく、現代人がデカルトから学べる人生のヒント・ビジネスのヒントについても考察しています!

ぜひお楽しみください。

この記事の概要・結論

デカルトの主張とは?
・もっとゼロベースで考えようや!
・みんな思考停止しとるで!もっと主体的に考えなあかんで!

デカルトの思想から抽出できる、現代を生きるヒント
・前提を疑う姿勢が重要(クリティカルシンキング)
・主体性が大事

デカルトが生きていた時代とは?

ルネ・デカルトは1596年、フランスのラ・エーに生まれました。

父親は小貴族でありながら法律家でもあり、経済的には比較的安定した家庭環境に育ちます。

幼少期から体が弱かったとされますが、その分周囲から知的な刺激を受けやすく、読書や思索に打ち込む時間を多く与えられていたようです。

デカルトが生きた17世紀ヨーロッパは、宗教改革や宗教戦争の混乱、またコペルニクスやガリレオによる天文学の革新など、既存の世界観(特に神学的世界観)が揺らぎ始めた激動の時代です。

ローマ・カトリック教会の権威は依然として大きかったものの、自然科学の進展が急速に進み、天動説から地動説へのパラダイム・シフトが起こりつつありました

そうした学問的・宗教的・社会的混乱のなかで、「何が確実な真理なのか」が大きな問題となっていたのです。

デカルトは若い頃にイエズス会のラ・フレッシュ学院で教育を受け、伝統的なスコラ哲学やアリストテレス的な自然学に触れました。

しかし、同時にそれらの体系が「この混乱した時代のなかで、どこまで確実な根拠を示してくれるのか」という疑問を抱いたといわれています。

やがて法律の勉強も修めた後、軍隊に籍を置きながらヨーロッパを旅し、各地の文化人とも交わりつつ自らの思索を深めていきました。

ぴろき

しれっと法律や軍事に知見が深い辺りからも、得体の知れなさがうかがえますね...

デカルトの思想

方法的懐疑と「我思う、ゆえに我あり」

ぴろき

で、でたぁー!!一度は聞いたことがあるけど「で?」てなる名言ランキング第1位!

デカルトの思考プロセス

まず、この名言が繰り出されるまでにどのような思考があったのか?それを見ていきましょう。

「何が確実な真理なのか?」それを知るためにデカルトは綿密に、それはそれは徹底的に、すべてのことを「疑う」というアプローチをとりました。

「疑い得るものはすべて疑う」というこのアプローチは方法的懐疑と呼ばれます。

例えば、熱いやかんに触れた時。「あつッ!」となる私の感覚は真理か?
→No!同じやかんを触っても熱いと感じるかどうか、どれくらい熱いと感じるかは人それぞれ!よって真理ではないんゴ!

例えば、今自分が生きているということ。これはさすがに真理やろ?
→No!今キミが現実だと思っているこの瞬間が夢でないと、どうして説明できるんだい?よって真理ではないんゴよ!Hey!

例えば、数学的真理。数学的な厳密性が担保されてるんだから、これを真理と言わずして何と言おうか!
→No!むっちゃ頭の良い悪霊が数学者にとりついているかもしれないジャン!はい、真理ではないんゴ!Woo!

...という風に、とにかくあらゆるものを疑っていきます。友達にいたら絶対に近寄りたくないですね。

こうしてすべてのものを疑っていくと、もう真理なんてどこにもない気がしてしまいます。でも、デカルトはたった一つの真理を発見してしまうのです。

あれ?No!No!んゴ!んゴ!言ってるこの「疑っている自分」、この存在だけは、誰にも否定できないのでは?

自分=疑っている主体=思考している主体、これだけはどんなに疑おうと思っても疑いきれない、唯一の心理なのではないか?

我思う、ゆえに我ありッ!!!

こういった思考で、デカルトは真理=思考する主体である、という結論に至るのでした。

何がすごいのか?

ぴろき

なるほど、なるほど。心では理解できないが、頭でなんとなく納得はしたぜ!...で、これの何がすごいの?

9割の方は、こんなことを思っているのではないでしょうか?

思い出してください。デカルトが生きていた時代は、「ローマ・カトリック教会の権威」がまだまだ強かった時代です。

神が全てを決定している。学問の正当性も、世界の秩序も。」という考え方が常識となっている。

今では様々なビジネスシーンで聴くことのできる「ゼロベースで考えよう!」という考え方は、神を毀損したとも捉えられかねない、非常に危険の伴う思想だったのです。

そんな時代にデカルトは、

いやいや、全部神が決めてるって、そんなバナナ。みんな頭お花畑ですか?みんなもそうじゃないって、うすうす感じてるっしょ?だったら一度全部疑って、根本から考え直しましょうよ!

という、思考する主体の重要性を説いたわけでございます。

口述しますが、この提言により哲学史は大いに発展していくことになります。

心身二元論とその影響

デカルトの哲学にはもう一つ、デカルト以後の哲学を規定する重要な考え方があります。

それは、「精神(思考する実体)と物体(延長する実体)は本質的に異なる」という、いわゆる心身二元論です。

なぜこのような考えに至ったのか、そのきっかけは先ほどの方法的懐疑にあるのです。

考えてみてください。

「我思う」という主体は間違いなく存在しますが、目に見えるものではないため、空間的特性(デカルトは延長する実態と表現します)は無いといえます。

一方で、私たちの身体。これは物質的に存在する、すなわち空間的特性はありますが、思考することはできません。

こうした考察を踏まえて、デカルトは気づくのです。

あれ?心と身体って、一緒に考えるんじゃなくて、分けて考えたほうがよくね?

両者は全く異なる本質を持つ実体として区別することができる。この気づきは、後世の哲学や科学の発展に大きな影響を及ぼすことになります。

一方で、

心と身体はどのように相互作用しているのか?

という、全く新しい難問を残しました。

デカルトはこの相互作用についても説明を試みますが、納得感に欠けるものであったことから、この問いの追求は後の哲学者に引き継がれることになります。

デカルト哲学の後世への影響

新たな哲学的議論を生んだ

精神と身体の相互作用

神経化学脳科学が発達した現代に生きる私たちは、感情や思考が脳という身体の器官から生み出されていることを知っています。

しかし科学が発達する前は、様々な哲学者がこの問いに向き合いました。

例えば、スピノザ。

彼は、そもそも絶対的な実態として神が存在するのであるから、人間の精神と身体の相互作用について考える必要はない、とこの問題ごと棄却しています。

例えば、ライプニッツ。

彼は、実は精神と身体は直接作用し合うのではなく、神の働きやあらかじめ決定された調和によって動いているのだ、と考えました。

例えば、メルロ=ポンティ。

私たちが世界に関わるとき、認識や思考は身体を通じて成立しており、「私の身体」は単なる物質とも違う存在であると、精神と身体を分割すること自体に対して疑いの目を向けました

その他にも、個人の主体性を重視するデカルトの哲学は、個人の権利や自由をめぐる近代的政治思想ホッブズ、ロック、ルソーなど)や、個の内面の独立性を重視する道徳・倫理観の発展につながっていきます。

このように、様々な哲学者の議論を生み出すだけの問いを発したことこそが、デカルトの功績だったといえます。

科学の進化を大幅に加速させた

心身二元論により、キリスト教(精神)と科学(物質)の分割が進みました。

これは、キリスト教から独立して科学を探求する姿勢、逆に科学から独立してキリスト教を信仰する姿勢を強化することになりました。

当時はこれらを分けて考えられていなかったからこそ、「科学的には絶対正しいのに、聖書との整合性が取れない」といった事態が発生していました。

しかし純粋に数学的・物理的法則に従って現象を理解することが可能になったのです。

実際にデカルト自身が数学、特に幾何学において重要な実績を残しています。

それは座標系です。x軸とy軸などで構成される、誰もが中学数学で習ったあの概念です。

あの座標は、彼の名を冠して「デカルト座標系」とも呼ばれており、数学史や科学史において画期的な発明となっています。

現代を生きるヒント

現代に生きる我々は、デカルトの考え方から多くの学びを抽出することができます。

前提を疑う姿勢

人生のヒント

哲学を貫く姿勢でありますが、様々な現実を所与のものとして受け入れず、積極的に疑う姿勢の重要性をデカルトから学ぶことができます。

デカルトは、徹底的に疑うことで、「世界は神が規定している」という一般的な常識・観念から解き放たれることができました。

現代においても、「周りの目が気になって自分を出せない」「社会的地位を気にして、やりたいことよりも評価されやすいものを優先してしまう」そんな悩みを持っている人は非常に多いと思います。

親御さんであれば、お子さんが「学校に行きたくない」と言ってきたときに、どうしたら良いのかわからず途方に暮れる、ということもあるかもしれません。

そんな時に、「周りを気にして何か良いことはあるのか?」「学校に通わなければいけない理由ってなんだ?」と、常識を疑うことができれば、より自由に・自分らしい人生を送ることができるかもしれません。

その意味で、デカルトの哲学は、私たちに勇気をくれる哲学なのです。

ぴろき

自分らしく生きている人って、カッコイイよね!
そんな人になるための第一歩を、デカルトさんにあやかりながら踏み出してみるのもいいね!

ビジネスのヒント

積極的に疑う姿勢は、業務の効率化やイノベーションに必須の能力です。

例えば、新しいビジネスを立ち上げる時。

ビジネスは「誰かの課題を解決する」ために存在するわけですが、ビジネスはそもそも「誰が・どんなことに課題感を抱えているのか?」を見つける問題発見ができなければ始まりません。

ただ、世の中に蔓延する「常識」が邪魔をして、問題にそもそも気づけないことも多いのです。

デカルトは常識を疑うことができたからこそ、哲学や科学の発展につながるイノベーティブな思想を打ち立てることができたわけです。

問いを解決するよりも問いを見つけることが重要だと言われて久しい現代において、この能力は非常に役に立つはずです。

起業ほど大きな話まで行かずとも、役に立つところはいろいろあります。例えば、毎月の経費精算。

なんで毎月会社に行って領収書を提出しなくちゃいけないんだ?世の中には便利な経費精算アプリがあるから使えばいいのに

そんな風に現状の業務に対する不満を感じることができれば、積極的に作業時間を減らす働きかけができますね。

主体性をもつ

人生のヒント

デカルトは、すべての問いの出発点を自我(主体)に向け、そこから世界を理解しようと考えました。

この考えは、神の定めた世界の中で自分は生きている、という世界→自我とは180度異なる思考方法です。

主体的に考え・生きようとするこの姿勢は、現代に生きる我々にも学ぶことが多くありますね。

例えば、あまり好きになれない上司がいるとき。

主体性のない人は、その上司の言われるがまま。そして自分がうまくいかない理由を、上司という自分以外のものに追い求めようとします。

これでは事態が改善することは考えづらいですね。

しかし主体性を持っている人であれば、「この上司と一緒に働くことは避けられないのだから、本音で語り合うために一度飲みに誘ってみよう」「どうしようもなければ、部署異動や転職を打診してみよう」など、建設的な思考・行動につなげることができます。

結果がどうあれ、このように主体的に考えられる人の人生は、そうでない人に比べて確実に充実していることでしょう。

ビジネスのヒント

会社はすべからく、積極的に行動できる人材を求めています。

指示待ち人間になってはいけない、とは耳にタコができるほど言われることですね。

主体的に仕事を行うことで、単にその姿勢を評価されるだけでなく、「そのタスクの目的は何か?」「自分はどのような役割を担うのがベストか?」といった、仕事の質を高める見当ができるようになります。

このような動きが自然とできるビジネスマンが、会社から重宝されないわけがありませんよね!

ぴろき

他にも、これからの未来を予測したり、先回りして仕事を終わらせておくなど、主体性があって初めてできる仕事ってたくさんあるんだ!

さいごに

デカルトについてここまで学んできましたが、いかがでしたでしょうか。

誰もが効いたことのある名言、その哲学者の考え方は、僕たち現代人にとっても多分に学びがありましたね。

哲学を通して、少しでも良い人生を歩んでいただければ幸いです。

デカルト以外にも様々な哲学者の思想を解説していきますので、ぜひ他の記事もご覧ください!

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