世界の歴史

コロンビアの歴史を初心者向けにわかりやすく紹介!【簡単解説】

コロンビアは、南米の北西部に位置する多様性豊かな国です!カリブ海と太平洋の両方に面しており、豊かな自然や文化遺産で知られています。 

コーヒーや音楽、活気あふれる街並み、そして独特の歴史を持つ魅力的な国でもあります。

今回は、初めてコロンビアの歴史を学ぶ方に向けて、その歩みをやさしく解説していきます!

コロンビアの地理的背景と先住民の時代

コロンビアの歴史をのぞく前に、まずは地理的背景から少し触れておきましょう。

コロンビアは南米大陸の北西部にあり、北にカリブ海、そして西には太平洋が広がっています!

また、国土の中央部にはアンデス山脈が通り、山岳地域やジャングル、平原など、多様な自然環境を持つのが大きな特徴です。

この地理的特性は、古くからさまざまな先住民が独自の文化を育む要因となりました。

コロンビアの先住民は現在確認されているだけでも数多くの部族がおり、例えばタイロナ族やムイスカ族などが有名です。

タイロナ族はサンタ・マルタ地方を中心に高度な建築技術を持ち、また黄金や宝石の加工で知られていました。

ムイスカ族はアンデス山脈の東側に多く住み、特に金を使った芸術が盛んでした。

これらの先住民は農耕や交易を行いながら、それぞれの宗教観や社会体制を持って平和的に暮らしていました。

彼らが残した遺跡や工芸品は、後のコロンビア文化にも少なからぬ影響を与えています!

スペイン植民地時代の始まり

コロンビアの歴史を大きく変えたのは、やはりスペインの到来です!

1499年にスペイン人探検家アロンソ・デ・オヘダが現在のコロンビア沿岸部に上陸したことをきっかけに、ヨーロッパからの侵略が始まりました。

その後、1525年にはサンタ・マルタがスペインによって正式に建設され、南米北岸地域の最古の都市として重要な役割を果たします。

スペインによる統治は、先住民にとって厳しいものでした。

征服者は金銀や宝石を求めて内陸へと進み、特に富の象徴でもあった金を求める動きが激しかったのです。

こうした過程で、ムイスカ族やタイロナ族など多くの先住民が虐殺や強制労働に従事させられ、伝統的な社会や信仰は大きく壊されてしまいました。

とはいえ、スペインから伝わった文化や宗教、そしてヨーロッパの政治システムは、新たな社会構造を形成していきます。

キリスト教が伝わり、多くの教会やカテドラルが建設され、都市部を中心にコロンビア独自の植民地文化が発展していきました。

新大陸行政区分とボゴタの発展

当初、スペインは新大陸における行政区分を大雑把に進めていましたが、次第に統治のための体制づくりが進みます。

現在のコロンビアは、当時「ヌエバ・グラナダ」と呼ばれる広域の行政区分に含まれていました。

首都として機能したのがサンタフェ・デ・ボゴタ(現在のボゴタ)です。

ボゴタは標高が高く涼しい気候と安定した水資源に恵まれ、行政や宗教の中心地として成長を続けます。

スペイン領時代には、大学や図書館などの教育機関も整備され、文化的な中心地にもなりました。

このようにボゴタを中心として、徐々にコロンビアという国の骨格が作られていったのです。

独立運動とシモン・ボリバルの活躍

18世紀になると、ヨーロッパで起こったさまざまな思想運動や政治改革の影響も受け、南米各地で独立の気運が高まり始めます。

コロンビアでも、スペインによる重税や過酷な支配体制に対する不満が募り、反乱や独立運動が起こりました。

その中心人物として知られているのが、南米の「解放者」と呼ばれるシモン・ボリバルです!

彼はベネズエラ出身でありながらコロンビアの独立にも深く関わり、1819年のボヤカの戦いでスペイン軍に勝利を収めました。

この勝利により、ヌエバ・グラナダは事実上スペインからの独立を勝ち取ります。

その後、ボリバルの主導により「大コロンビア」という連合国家が誕生し、現在のコロンビアやベネズエラ、エクアドル、パナマを統合しようと試みました。

理想としては、スペインからの解放を達成した新興国同士が力を合わせ、南米の団結を図ろうとしたのです。

しかし、地域間の利害対立や政治的な混乱が続き、結局この大コロンビアは解体されてしまいました。

19世紀後半から20世紀初頭:内戦と国の再編

大コロンビア解体後、コロンビアは「グラン・コロンビア」から独立した形で共和国として歩み始めます。

しかし、新興国家としての基盤がまだ脆弱だったこと、さらに地域ごとの利害対立や政治的野心などが重なり、コロンビア国内では内戦や政変がしばしば起こるようになります。

19世紀後半には、自由党と保守党の対立が激化し、しばしば武力衝突へと発展しました。

最も大きな内戦として知られるのが「千日戦争」(1899-1902年)です!

文字どおり約1000日間にわたり、国土の広範囲で戦闘が続き、多くの犠牲者を出しました。

この内戦は最終的に保守党が優勢となって終結しますが、社会や経済は大きく疲弊してしまいます。

その後、1903年には、当時コロンビア領だったパナマがアメリカ合衆国の支援を受けて独立

コロンビアの領土は大きく削られる形となり、国の再編が迫られました。

とはいえ、コロンビアとしての統治体制はその後徐々に安定し、コーヒーや石炭、金などの輸出が伸びはじめます。

こうした輸出産業の成長は、地域のインフラ整備や経済発展を促し、国家としての形を整える一助となりました。

20世紀~「ラ・ビオレンシア」と社会の混乱

20世紀に入ると、コロンビアは一次大戦・二次大戦といった世界的な紛争の影響を受けながらも、徐々に近代化を進めました。

しかし、1948年に有望な自由党の政治家ホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺された事件をきっかけに、大規模な暴動が発生します。

これを機に、コロンビアでは保守党と自由党の暴力的な抗争が激化し、「ラ・ビオレンシア(La Violencia)」と呼ばれる悲惨な内戦状態に突入したのです。

ラ・ビオレンシアは、1948年から1950年代半ばまで続き、数十万人規模の死者を出したともいわれるほど深刻な時代でした。

この内戦の余波で、農村部の貧困や土地問題、政治的な不平等がさらに深刻化し、一部の地域では国家の支配が行き届かない無法地帯と化してしまう事態も生じます。

その後、自由党と保守党は1960年代に和解策として、両党の政治家が交互に政権を担当する「ナショナル・フロント(Frente Nacional)」という合意体制をつくり、暴力を抑えるための施策が進められました。

しかし、この制度は他の少数政党の参加を事実上認めない仕組みだったために、国民全体の不満が解決するわけではありませんでした。

ゲリラ運動と麻薬カルテルの台頭

ナショナル・フロントによる政治安定を目指す動きの裏側で、農村部や労働者層の不満は依然としてくすぶっていました。

これを背景に、1960年代には左派ゲリラ組織がいくつも誕生します。

特に有名なのが「FARC(コロンビア革命軍)」や「ELN(全国解放軍)」などです。

彼らは政府や軍、または大地主階級に対する武力闘争を掲げ、長きにわたってコロンビア国内で紛争を引き起こしてきました。

さらに、1970年代以降になると、コロンビアは世界屈指の麻薬カルテルの温床として悪名を高めます。

特にコカインの生産と密輸が盛んになり、メデジン・カルテルカリ・カルテルといった巨大な犯罪組織が国際的な影響力を拡大!

麻薬取引によって莫大な資金を得たカルテルは、警察や政治家を買収したり、街中で爆弾テロを起こしたりと、国の治安を大きく揺るがしました。

こうしたゲリラ組織や麻薬カルテルの問題は、コロンビア社会の大きな傷ともいえます。

一方で、国際社会からの支援や政府の強硬策、そして地域住民の協力により、次第にこれらの組織は弱体化していくことになりますが、それまでには長い時間と大きな犠牲を伴ったのです。

近年の和平プロセスと社会の再建

1990年代後半から2000年代にかけて、コロンビア政府はゲリラ組織と対話を試みる一方で、軍事的な圧力も強めました。

特に2002年に大統領に就任したアルバロ・ウリベのもと、政府軍と右派民兵組織によるゲリラ勢力への攻勢が大規模に行われ、多くのゲリラ幹部や構成員が逮捕・殺害されます。

しかしその過程では、一般市民も多く巻き込まれ、人権侵害や社会的分断がさらに深まる事態も招きました。

とはいえ、政府とFARCとの和平交渉は長期的な議論を経て、2016年についに歴史的な和平合意が成立!

この合意によりFARCは武装解除を宣言し、政治参加の道を開いていくことになります。

長年続いた内戦の大きな節目となり、コロンビア国内外から大きな注目を集めました。

しかし、完全に平和が訪れたわけではありません。

一部のゲリラ組織や麻薬犯罪組織は依然として活動を続けており、政府の統治が行き届かない地域も残っています。

とはいえ、観光や投資の面では次第に世界的な評価を高め、ボゴタやメデジンといった大都市では、文化や芸術がますます盛り上がっています。

現代コロンビアの姿

今日のコロンビアは、歴史的な暴力と葛藤を乗り越えようとする一方で、明るい未来を見据えた国として注目を集めています。

経済面では、コーヒーや石炭、石油などの輸出だけでなく、観光業にも力を入れており、世界中から多くの旅行者が訪れます!

カリブ海沿岸のカタルヘナは要塞都市として世界遺産に登録されており、コロニアル調の美しい街並みとカリブ海のビーチが楽しめる人気の観光地です。

また、首都ボゴタでは歴史ある建築物や美術館が観光客を魅了し、メデジンでは都市再生プロジェクトが成功事例として世界的に評価を受けています。

サッカーや音楽、ダンスといった芸術的な面でも世界的な才能が育ち、国全体のイメージがグローバルに発信されるようになりました。

政治や社会の問題はまだ完全に解決したわけではありませんが、それでも国民の多くは平和構築や経済の活性化に意欲を見せています。

コロンビアの人々は、明るい性格とホスピタリティで知られており、訪れる人々を温かく迎えてくれます!

こうした魅力が、歴史の苦難を乗り越えようとするコロンビアの力の源になっているともいえます。

ぜひコロンビアの歴史と文化に興味を持ち、南米の魅力をもっともっと知ってみてくださいね。

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