はじめに
ブラジルは、南アメリカ最大の国土と豊かな自然、そして多彩な文化を持つ国として有名です!
サンバやサッカーでイメージされることが多いブラジルですが、その背景には長い歴史の積み重ねがあります。
大航海時代のヨーロッパ勢力の到来、奴隷貿易の影響、独立から近代化、そして21世紀に至るまでの流れを、できるだけわかりやすくまとめました。
ぜひブラジルの歴史の魅力を感じ取ってくださいね!
ブラジルの先住民族とヨーロッパ人の到来
先住民族の暮らし
ブラジルの歴史は、もともと先住民族(インディオと総称されることが多い人々)の暮らしから始まります。
具体的にはトゥピ族やグアラニー族など、さまざまな部族がそれぞれの地域で農耕や狩猟採集を行いながら暮らしていました。
彼らは移動生活をする部族も多く、自然の恵みを活かした生活文化を築いていたのです。
ブラジルの広大な土地には熱帯雨林やサバンナ、そして海岸線といった多様な自然環境があり、部族ごとにそれぞれ異なる文化や言語を持っていたと考えられています。
ヨーロッパ人の発見
15世紀末から16世紀にかけて、ヨーロッパでは大航海時代が到来します!
ポルトガルやスペインなどの海洋国家が新航路を求めて世界中を航海し始めたのです。
ブラジルの地に最初に到達したヨーロッパ人は、1500年にポルトガルの航海者ペドロ・アルヴァレス・カブラルとされています。
当初、ヨーロッパ人にとってブラジルの地は「豊かな天然資源の宝庫」として映りました。
ブラジルウッド(ポウ・ブラジル)という染料の元になる木や黄金をはじめとする資源を探し当て、そこからブラジルの植民地化が始まっていくのです。
ポルトガル植民地時代の始まり
植民地支配と交易
カブラルの到来後、ポルトガルは早速ブラジルを植民地にしようと動き出します。
16世紀には海岸沿いに小さな開拓拠点が作られ、のちにサルヴァドールやリオデジャネイロといった重要な港湾都市が発展していきました。
ポルトガルはブラジルの特産物であるサトウキビやタバコ、のちにはコーヒーなどのプランテーション農業を盛んに行い、ヨーロッパに大量輸出して莫大な富を得るようになります!
しかし、その裏には過酷な労働力確保の問題がありました。
現地の先住民族やアフリカから強制的に連れてこられた奴隷たちが、プランテーションで劣悪な環境のもと働かされていたのです。
こうした植民地時代の奴隷貿易は、現代のブラジル社会に残る人種構成や文化の多様性にも大きく影響を及ぼしました。
カトリック教会の影響
ポルトガルの植民地支配とともに、カトリック教会による布教活動も活発になりました。
イエズス会などの修道会によって、先住民のキリスト教化を目的とした宣教が行われます。
修道院や教会の建設も進められ、宗教的な価値観がブラジル社会に深く根付いていくことになりました。
その一方で、先住民族の従来の文化や生活様式は大きな変容を余儀なくされます。
キリスト教への改宗とともに、伝統的な信仰や風習が衰退してしまうケースも多く、その影響は現代にも残っていると言われています。
ブラジルの独立と王国時代
ナポレオン戦争の余波
ブラジルがポルトガルから独立する大きなきっかけとなったのが、ヨーロッパで起こったナポレオン戦争です!
19世紀初頭、ナポレオン軍がポルトガルを侵攻すると、ポルトガル王室は逃れるようにしてブラジルへ移り住みました。
王族がリオデジャネイロに移ったことで、ブラジルはポルトガル本国のように政治の中心地となり、都市の整備や文化施設の建設が進みます。
この間にブラジルは「王国」に格上げされ、ポルトガル本国とはほぼ対等に扱われるようになりました。
長い間植民地とみなされていたブラジルの人々にとっては、大きな変化の始まりでもあったのです。
独立宣言と帝政の成立
ナポレオン戦争が終わると、ポルトガル王室は本国へ戻ることになります。
ところが、ブラジルに残っていた皇太子ドン・ペドロは、ポルトガルが再びブラジルを植民地扱いするのを嫌って「独立」を選択!
1822年、彼は独立を宣言し、のちにブラジル初代皇帝ドン・ペドロ1世となりました。
こうして誕生したのが「ブラジル帝国」です。
帝政ブラジルは立憲君主制をとり、近代国家としての体制づくりが進められていきました。
ただし、この時代もプランテーション経済に支えられ、依然として奴隷労働が続いていた点は重要です。
独立してもなお、国内には大きな社会格差と人権問題が横たわっていたのです。
ブラジル帝国の発展と社会の変化
コーヒー産業の隆盛
19世紀から20世紀初頭にかけて、ブラジル経済を大きく支えたのが「コーヒー」です!
肥沃な土地と豊かな気候条件を活かし、ブラジル各地でコーヒー栽培が一気に広まりました。
世界市場での需要拡大とともに、コーヒー輸出は莫大な利益を生み、サンパウロやリオデジャネイロ周辺は急速な経済発展を遂げます。
一方で、コーヒー生産には多くの労働力が必要でした。
奴隷制度が徐々に批判されるようになると、ヨーロッパやアジアからの移民を積極的に受け入れ、ブラジル社会の多様化はさらに進んでいきます。
奴隷制の廃止
ブラジルにおける奴隷制は1888年、当時の皇帝ドン・ペドロ2世の娘で摂政を務めていたイザベル皇女によって完全に廃止されました。
これは南北アメリカ大陸の中でもかなり遅い時期の奴隷解放でしたが、アフリカ系住民にとって大きな転機となります。
しかし、奴隷解放後も彼らには土地や仕事の十分な保障がなく、経済的な困窮を強いられる人が多かったのも事実です。
結果的に都市部の貧困層や農村地域での過酷な労働環境に再び吸収されてしまうケースが少なくありませんでした。
共和国の成立と政治の変遷
帝政の終焉
奴隷制廃止の翌年、1889年に軍部のクーデターによってブラジル帝国は崩壊します。
ドン・ペドロ2世は退位し、ブラジルは共和制へと移行!
これが「ブラジル第一共和政」の始まりです。
共和制になったことで、名目上は国民が政治に参加しやすい体制へと変わりました。
しかし実態は、コーヒーの大農園主(コロノ)や地方の有力者が強い影響力を持ち、政治腐敗や格差の拡大が続いていきました。
コーヒー政党の時代
第一共和政期には、サンパウロ州とミナスジェライス州を中心とするコーヒー利権をもつ支配層が政権を握り、政治と経済を牛耳っていました。
いわゆる「コーヒー政党」と呼ばれる政権運営で、農園主たちの利益を最大限守る政策が続けられます。
一方で都市部の労働者や地方の小作農は厳しい労働環境に置かれ続け、社会的不満が徐々に高まっていきます。
さらに世界市場でのコーヒー価格の変動や国際情勢の変化が、ブラジル国内の政治・経済を不安定にさせる要因となっていくのです。
20世紀前半~中盤の大きな変革
ヴァルガス時代
1930年に起きた政変で登場したのが、ジェトゥリオ・ヴァルガスという政治家です!
彼は「ブラジルの父」とも呼ばれ、独裁的な手法をとりながらも労働者保護や産業振興などの改革を進めました。
ヴァルガスは労働法を整備し、労働組合を政府の管理下に置くことで社会の安定を図り、国民から一定の支持を集めます。
しかし、ヴァルガスは1940年代には独裁色を強めた「エスタド・ノーヴォ(新国家体制)」を樹立し、言論統制や政党活動の禁止なども行いました。
第二次世界大戦後の民主化の流れの中で一度退陣しますが、1950年代には再び大統領に復帰するなど、波乱含みの政治人生を送りました。
第二次世界大戦後の変化
第二次世界大戦の後、世界は冷戦構造へと突入していきます。
ブラジルもアメリカとの結びつきを強め、対共産主義の姿勢を打ち出しながら経済発展を進める道を模索しました。
戦後の産業化や都市化は進んだものの、地方との格差は依然大きく、労働条件や所得の不平等が問題となり続けます。
この時期には、都市に流入する人口が増え、サンパウロやリオデジャネイロの都市機能が拡大!
一方で、都市部のスラム(ファヴェラ)の拡大も始まりました。
豊かさと貧しさが同居するブラジルの社会構造は、この頃から一層鮮明になっていったと言えるでしょう。
軍事独裁政権とレデモクラシア
1964年のクーデター
ブラジルの歴史で避けて通れないのが、1964年から1985年まで続いた軍事独裁政権の時代です!
当時の大統領ジョアン・グラールト政権は、農地改革や社会福祉の拡充などの左派的な政策を打ち出していましたが、これを「共産主義的」とみなした軍部や保守派勢力がクーデターを起こし、政権を転覆させたのです。
軍事政権は政治的自由を大幅に制限し、言論統制や反体制派の弾圧を行いました。
経済政策では「奇跡」と呼ばれる一時的な高成長期を迎えましたが、インフレや格差問題は依然として深刻であり、軍事独裁の弊害が国内外から批判されるようになります。
レデモクラシアへの道
1970年代後半から、軍事政権内でも民主化への動きが起こり始めます。
世界的な人権尊重の潮流や国内で高まる反政府運動、経済の停滞などを背景に、軍事政権は徐々に権力を手放さざるを得なくなりました。
1985年、民政移管が実現し、タンクレド・ネヴェスが民政大統領として選出されます(ただし就任前に急逝し、副大統領のジョゼ・サルネイが大統領職を継承)。
こうしてブラジルは再び民主制の体制へと移行しますが、長期間の独裁がもたらした社会的・経済的・政治的な課題は、そう簡単に解決できるものではありませんでした。
それでも人々は、新憲法の制定などを通じて一歩ずつ民主化を進めていくのです。
現代ブラジルへの歩み
1980年代~2000年代:経済危機との闘い
民主化後のブラジルは、ハイパーインフレや失業率の上昇などの経済危機に直面します。
特に1980年代は「失われた10年」と呼ばれ、ブラジルを含む多くの南米諸国が外債問題や通貨危機で深刻な打撃を受けました。
その後、1990年代以降は通貨改革や市場開放政策が進められ、「レアル・プラン」と呼ばれる経済政策によってインフレはある程度落ち着きを取り戻します。
そして2000年代には、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ(通称ルーラ)政権が「貧困削減」や「社会福祉強化」を掲げ、一定の成果を上げることに成功!
ブラジルは経済成長と社会政策の両立を目指した新たなステージに立ちました。
国際的地位の向上と課題
21世紀に入り、ブラジルはBRICsの一角として注目を浴びます。
人口も多く、資源も豊富、さらに積極的な外交政策を展開して世界の舞台で存在感を示すようになりました。
2014年にはサッカーのワールドカップ、2016年にはリオデジャネイロで夏季オリンピックを開催するなど、国際的なイベントも続きましたね!
一方で、政治腐敗や治安問題、貧富の差の拡大など、国内にはいまだ数多くの課題が山積しています。
特にブラジルを揺るがせた汚職事件「ラヴァ・ジャット(洗車作戦)」は、歴代の大統領や政治家、大企業の幹部までが捜査対象となり、政治不信を大きく増幅させました。
さらに近年は、環境保護やアマゾン森林破壊の問題も世界的な注目を集め、国際社会との調整が課題となっています。
まとめ
ブラジルの歴史は、壮大な自然と多様な人々が織り成す物語です!
ポルトガルの植民地支配から独立、奴隷制の廃止、軍事独裁、そして民主化へと至るまで、苦難の道も多くありました。
奴隷貿易の影響や政治的混乱がもたらした社会格差は、現代まで続く大きな課題となっています。
それでも、ブラジルの人々はサンバのリズムやサッカーの熱狂に象徴されるように、逞しく明るいエネルギーで前を向き続けてきました。
その背景には、歴史の流れに抗いながらも、自らのアイデンティティを守ろうとする努力があったのです。
ブラジルの歴史を知ることで、文化の多様性や社会問題の根深さ、そして人間の強さをあらためて感じることができますね。
今後も政治や経済、環境問題など、さまざまな課題に直面しながらも、ブラジルがどのように歩んでいくのか注目していきましょう。