はじめに
結核とは?
結核は、主に「結核菌(Mycobacterium tuberculosis)」によって引き起こされる感染症です。
とくに肺に感染する「肺結核」が有名ですが、リンパ節や骨など、体のさまざまな部位にも影響を及ぼす可能性があります。
かつては「肺病」「痨病(ろうびょう)」などと呼ばれ、人類史において非常に恐れられてきました。
結核による死亡率が高かった時代は「死の病」として扱われ、文学や芸術にもその影響が色濃く反映されています。
長引く咳、血痰、発熱、体重減少などを特徴とし、社会的にも隔離が必要とされた背景があります。
しかし、科学の進歩とともに治療法は大きく進化!
その流れを振り返ってみると、医療の歴史そのものを映し出しているといっても過言ではありません。
なぜ結核治療の歴史を学ぶのか?
結核は現代でも世界規模で課題となっている感染症です。
先進国では患者数が減ってきたとはいえ、再興感染症の一つとして油断は禁物。
また、結核治療の歴史は、感染症対策の発展や公衆衛生の概念の確立など、医療全体の進化を知るうえでも大切なテーマとなっています。
本記事では、古代から中世、近代を経て現代に至るまでの結核治療の歴史を順を追って解説!さらに、今後の展望にも触れながら、結核治療の歴史の魅力に迫ります。
古代~中世の結核の捉え方
神秘的な病とされた時代
結核が医学的に解明される以前、人々は長引く咳や衰弱、血を吐く症状を「呪い」「悪霊のしわざ」として恐れていました。
古代ギリシャや古代エジプトの医療文献にも、似た症状の記述があり、当時から死亡原因の上位だったと考えられています。
しかし、結核菌そのものが発見されていない時代は「病原体」に関する正確な概念もありませんでした。
熱を冷ますために体を冷やしたり、祈祷に頼ったりと、いわば対症療法や宗教的な儀式が主な治療手段だったのです。
中世ヨーロッパでの療養と孤立
中世ヨーロッパにおいては、ハンセン病(らい病)などと混同されるケースもあり、結核患者は社会から隔離されることが少なくありませんでした。
特に肺結核の場合、症状が顕著なため周囲に恐れられ、患者はしばしば修道院や宿泊施設のようなところで手厚くはあるものの、事実上閉鎖的な環境で過ごしたといいます。
また、この時代は栄養状態も悪く衛生環境も整っていなかったため、結核にかかるリスクは常に高い状態でした。
医療者の手を借りることもできず、自然治癒に任せるしかなかったケースが大多数だったのです。
近代への転換点 – 結核菌の発見とサナトリウム
ロベルト・コッホの偉業(1882年)
結核治療の歴史を語るうえで欠かせないのが、ドイツの細菌学者ロベルト・コッホ(Robert Koch)による結核菌の発見です。
1882年、コッホは顕微鏡観察と培養実験を通じて、結核の原因となる細菌を特定しました。
これは当時、世紀の大発見!結核が「呪われた病」から「感染症」として理解されるようになり、本格的な治療法の確立へと道を開いたのです。
コッホの発見は瞬く間に世界に広がり、多くの医師や研究者たちが結核に対する理解を深めるきっかけとなりました。
ここから「病原体を倒す」という発想が生まれ、さまざまな治療の試みがスタートします。
サナトリウム(療養所)時代の到来
結核菌の存在がわかったものの、当時はまだ有効な薬がありませんでした。
そこで広がった治療・療養方法がサナトリウムでの生活です。
19世紀末から20世紀前半にかけて、世界各地に結核療養所が設立されました。
サナトリウムでは、以下のような治療が行われていました。
- 新鮮な空気:自然豊かな場所に建てられ、外気浴が推奨された
- 十分な栄養:高カロリー食や乳製品が奨励された
- 休養・安静:身体をしっかり休めることで体力回復を図る
当時の医療レベルでは「結核は不治の病」と思われていましたが、サナトリウムでの長期療養は一定の効果をもたらし、回復例も少なくなかったようです。
とはいえ、確立した薬がない以上、あくまで自然治癒を助けるための環境づくりに過ぎませんでした。
抗結核薬の発展 – ストレプトマイシンから多剤併用へ
ストレプトマイシンの登場(1940年代)
結核治療の大きな転機となったのが、1940年代に発見された抗生物質「ストレプトマイシン」です。
アメリカの微生物学者セルマン・ワクスマン(Selman A. Waksman)らの研究によって開発されたこの薬は、細胞壁のない結核菌に対して初めて実質的な効果を発揮!
サナトリウムでの療養が主流だった時代から、一気に「薬で治す」時代へとシフトしました。
ストレプトマイシンの普及により、多くの結核患者が症状を改善し、社会復帰を果たす事例が報告されます。
しかし、結核菌は非常にしたたかな病原体!
ストレプトマイシン単剤だけでの長期治療は、やがて耐性菌の問題を生むこととなります。
イソニアジド(INH)とパラアミノサリチル酸(PAS)
ストレプトマイシンの次に登場したのが、イソニアジド(INH)やパラアミノサリチル酸(PAS)などの抗結核薬です。
これらはストレプトマイシンとは異なる作用機序を持ち、結核菌への攻撃をさらに多角的に行うことが期待されました。
- イソニアジド(INH):1952年に実用化され、従来の治療に革命をもたらした薬。肝臓への副作用が問題視されることもあるが、抗結核薬の主力として今も広く使われている。
- パラアミノサリチル酸(PAS):ストレプトマイシン耐性が生じていた菌にも有効で、1950年代にはINHやストレプトマイシンと組み合わせた「三剤併用療法」が実施された。
こうした複数薬の組み合わせにより、結核菌が耐性を獲得するリスクを下げつつ、治療効果を高める戦略が確立していきます。
これはまさに「多剤併用療法」への第一歩でした。
リファンピシン(RFP)の登場
1960年代に登場したリファンピシン(RFP)は、抗結核薬として非常に強力な殺菌力を持ち、治療期間を短縮する画期的な薬でした。
従来のストレプトマイシンやINH、エタンブトール(EB)などと組み合わせることで、治癒率を飛躍的に向上させただけでなく、治療成功率もアップ!
耐性菌に対する備えも万全に近づきました。
このリファンピシンをはじめとする多剤併用療法によって、「結核はしっかり治療すれば治る病気」と認知されるようになります。
世界各国の公衆衛生プログラムでも、結核対策が一気に強化されました。
BCGワクチンと予防の重要性
ワクチンの誕生(1921年)
治療薬の開発が進む一方で、予防医学の面でも大きな進歩がありました。
その代表が結核予防ワクチンのBCG(Bacillus Calmette-Guérin)です。
フランスの医師アルベール・カルメットとカミーユ・ゲランによって1921年に開発されたこのワクチンは、生ワクチンでありながら病原性を弱めたウシ型結核菌を利用しており、主に乳幼児を重症型の結核から守る目的で使用されてきました。
BCGワクチン接種は、結核発症リスクを完全になくすわけではありませんが、とくに乳幼児の重症化を予防する効果が高いとされています。
そのため、結核罹患率の高い国々やリスクの高い地域では広く普及!日本でも定期予防接種として導入され、乳幼児期に接種が行われています。
予防接種の意義と課題
BCGワクチンは今日まで世界的に利用されている一方で、その効果に関しては地域差や個人差がある点が議論となっています。
たとえば、国や地域によっては、接種後の効果があまり高く見えない統計もあります。
しかし、結核の感染力や重症化リスクを考慮すると、やはり予防接種の意義は大きいものです。
また、感染対策には「ワクチン」以外にも、栄養状態の改善や衛生環境の整備、そして早期発見・早期治療が欠かせません。
結核は予防と治療の両輪があってこそ、その脅威を抑え込むことができるのです。
現代の結核治療 – 世界的な取り組みと課題
WHOの取り組みとDOTS
世界保健機関(WHO)は、結核を世界規模の公衆衛生上の緊急事態として捉え、さまざまな対策を講じてきました。
その一つがDOTS(Directly Observed Treatment, Short-course)と呼ばれる戦略です。
これは患者の薬服用を医療従事者などが直接確認することで、服薬率を向上させ、治療を途中で放棄しないようにするシステム!
多剤併用療法は正しく継続されないと耐性菌を生むリスクが高まるため、DOTSは各国の結核対策の柱と位置づけられています。
日本でも、結核が指定感染症として対策が講じられており、保健所が中心となった服薬管理や患者サポート体制が整えられています。
結核患者が減少した現代においても、集団感染が起こる可能性はゼロではありません。
定期的な検診や早期発見に加え、DOTSのような継続治療のフォローが大切になってきます。
多剤耐性結核(MDR-TB)と超多剤耐性結核(XDR-TB)
抗結核薬の普及により、世界的な結核罹患率は一時的に減少しましたが、近年は多剤耐性結核(MDR-TB)や超多剤耐性結核(XDR-TB)の増加が新たな問題となっています。
これは、結核菌が複数の主要抗結核薬に耐性を獲得してしまう状態を指します。
耐性結核が増える要因としては、不十分な治療(患者が途中で薬の服用をやめてしまう、医療体制が脆弱な地域で十分な治療薬が手に入らないなど)が挙げられます。
一度耐性結核菌が広まると、従来の薬では効果が薄いため、さらに強力な新薬や特殊な多剤併用療法が必要に!
治療費や治療期間も長期化するため、患者の負担は増大し、公衆衛生上の大きな課題となっています。
グローバルヘルスの視点から
結核は先進国であってもリスクがゼロになるわけではありません。
特に、免疫力が低下している人(高齢者やHIV陽性者など)や生活環境が厳しい地域では、依然として注意が必要です。
グローバルヘルスの観点から、世界全体の結核流行を抑えることは、あらゆる国の公共の安全につながります。
そのため、国境を越えた支援体制や新薬の研究開発、ワクチン改良などが国際レベルで進められているのが現状です。
結核治療の歴史は「過去のもの」ではなく、まだまだ進行形であり、世界中の医療関係者が力を合わせて取り組む課題でもあります。