はじめに:全体主義とは何か
全体主義(トータリタリアニズム)とは、国家や政党など特定の権力が、社会のあらゆる領域を強力に支配・統制しようとする政治体制または思想を指します。
ここでは、国民一人ひとりの自由や権利よりも、国家や集団の利益が最優先されます。
さらに、政府や支配者の意向に従わない人々には厳しい弾圧が行われることも特徴です。
「全体主義」という言葉を聞くと、20世紀に台頭したファシズム(イタリア)、ナチズム(ドイツ)、スターリニズム(ソ連)などが思い浮かぶかもしれません。
実際、この概念は第二次世界大戦前後にとくに注目されるようになり、民主主義に対する大きな脅威として認識されました。
こうした国家体制がなぜ成立したのかには、世界大恐慌や第一次世界大戦後の社会不安など、複雑な歴史的背景があります。
次の章で詳しく見ていきましょう。
全体主義の歴史的背景
第一次世界大戦後の混乱
全体主義の台頭を理解するうえで、避けて通れないのが第一次世界大戦後の世界情勢です。
1914年に始まった大戦は、ヨーロッパ諸国を中心に未曾有の被害をもたらしました。
戦争による深刻な経済破綻。大量の失業者や傷病兵。戦後賠償問題をめぐる国家間の緊張。
こうした要因が重なり、人々の暮らしは大きく乱されました。
さらに、民主主義がうまく機能している国は多くありませんでした。
日本を含む一部の国々では、憲政が整っていたものの、経済不安や社会主義運動の広がりに対する警戒心もあり、政治は不安定な状態が続きます。
世界恐慌と経済的危機
1929年にアメリカで始まった世界恐慌は、世界中に波及しました。
株価の暴落により世界経済は大混乱に陥り、多くの国で失業率が急上昇!
国民の生活は一気に困窮します。
このような経済的・社会的危機のもと、人々は「強い指導者」を求めるようになりました。
民主主義的な手続きを踏むよりも、短期間で「劇的な変化」をもたらすリーダー像に期待が集まったのです。
窮地に追いやられると、人はカリスマを求める。歴史の常道だね。
資本主義への不信と社会主義の台頭
一方で、資本主義体制そのものへの不信も高まりました。
特にロシア革命(1917年)の成功により、社会主義体制がひとつのオルタナティブとして急速に広がりを見せます。
ソ連(ソビエト連邦)は、共産党による一党独裁体制を敷き、スターリンのもとで強力な統制を推し進めました。
これもまた、全体主義の一形態として世界から注目されるようになります。
こうした大混乱の時代背景があったからこそ、人々は民主主義よりも全体主義的な手法を容認してしまう土壌が生まれたのです。
全体主義を主張した主要な思想家
全体主義の理論的支柱となった人物は一人ではありません。
イタリアやドイツ、ソ連など、それぞれの国で全体主義体制を支持する理論家が現れました。
ここでは、その中でも特に有名な思想家を紹介します。
ジョヴァンニ・ジェンティーレ (Giovanni Gentile)
イタリアの哲学者ジョヴァンニ・ジェンティーレは、ベネディット・クローチェと並び称される代表的な思想家の一人です。
彼は自らの「実存的実在論」や「アクチュアリズム」の哲学を基盤に、国家の絶対的な統合を理論化しました。
ベニート・ムッソリーニのファシスト政権を理論面で支え、「国家があらゆる活動の中心であるべき」と唱えたのがジェンティーレの大きな特徴です。
カール・シュミット (Carl Schmitt)
ドイツの法学者・政治哲学者であるカール・シュミットは、「主権者は例外状態を決定する者である」という有名な言葉で知られています。
シュミットは、国家が危機的状況に陥った際に、民主的なプロセスを飛び越えて強権的な手段をとることを正当化する理論を打ち立てました。
ナチス政権下では、彼の理論はヒトラーの独裁体制を支える思想的な後ろ盾となりました。
シュミット自身は、後にナチスからも疎んじられた経緯がありますが、戦間期のドイツで大きな影響力を持ったことに違いはありません。
コロナ禍では緊急事態宣言など、強権的とは言わないまでも強い要請が突発的に発生したりしたよね。シュミットの理論は現代では非常識にも思えてしまうけど、その思想は現代に浸透しているとも考えられるね。
ニコライ・ブハーリン (Nikolai Bukharin) とスターリン主義
ソ連では、レーニンの後継をめぐる権力闘争の中で、スターリンが最終的に主導権を握り、強権的な統制を強めていきました。
ニコライ・ブハーリンも理論面でスターリン主義に貢献した人物といわれています。
当初はレーニンらと共にボリシェヴィキ革命を成功させた一人でしたが、後にスターリンと対立し、粛清される悲劇的な運命をたどりました。
それでもブハーリンの経済理論や政治理論は、スターリン政権初期には一定の影響を与えていたとされています。
その他の関連思想家
アントニオ・グラムシ:イタリア共産党の創設者の一人。ファシズム政権下で投獄されましたが、ヘゲモニー(覇権)理論を通じて体制批判を展開した。
ハンナ・アーレント:直接「全体主義を主張した」わけではありませんが、著書『全体主義の起源』で、全体主義の本質やそれがもたらす恐怖政治を鋭く分析しました。
こうした思想家たちの理論的支えがあったからこそ、全体主義は「単なる独裁」ではなく、一種の「統治理論」として成立したのです。
全体主義を象徴する出来事
全体主義と聞いて多くの人がイメージするのは、やはり第二次世界大戦前後のドイツやイタリア、そしてソ連の動きでしょう。
ここでは、それらの国々で起きた象徴的な出来事をピックアップします。
イタリアのファシズム政権樹立
ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト党は、1922年の「ローマ進軍」を成功させて政権を掌握しました。
ムッソリーニは「国家はすべて、個人は無に等しい」というファシズムのスローガンを掲げ、党と国家を一体化させる体制を構築。
ファシスト党はメディアを掌握し、プロパガンダを駆使することで国民の支持を獲得・維持しようと努めました。
強力な国家主導による経済政策や軍拡を進め、国民生活のあらゆる面を「国家のため」に統制しようとしたのが特徴です。
ドイツのナチ党政権とヒトラーの独裁
アドルフ・ヒトラーが率いるナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)は、1933年に政権を獲得すると、短期間で独裁体制を確立しました!
- 国会議事堂放火事件後、緊急大統領令を出して共産党員などを大量逮捕
- 全権委任法によって議会の立法権を政府が掌握
- 反対勢力やユダヤ人などを激しく排除
ヒトラーの独裁体制は、国家の秩序を最優先し、強烈な反ユダヤ主義を掲げてユダヤ人をはじめとする「非アーリア人種」の迫害に踏み込みました。
これは人類史上でも特に凄惨なホロコーストに繋がり、第二次世界大戦の一因ともなります。
ソ連のスターリン体制
ソ連ではスターリンが1920年代末から絶大な権力を握り、1930年代には「大粛清」と呼ばれる政治的弾圧を行いました。
政敵や疑わしい人物を容赦なく粛清し、恐怖政治によって徹底的に国民を支配したのです。
さらに、スターリンは国民生活のあらゆる部分に国家の統制を及ぼし、農業の集団化や五カ年計画による急速な工業化を推進。
経済成長を成し遂げる一方で、極度の統制と大量の犠牲者を生みました。
第二次世界大戦と全体主義の拡大
第二次世界大戦は全体主義国家の野望が衝突した世界規模の戦争として位置づけられます。
ドイツとイタリアは協力関係を結び、日本とも軍事同盟(枢軸国)を形成。
一方でソ連は当初ドイツと不可侵条約を結んでいたものの、1941年にドイツが突如侵攻してきたため連合国側につきます。
戦争を通じて、全体主義国家のイデオロギーは広範囲に広がりましたが、最終的には連合国側の勝利によって枢軸国のファシズムやナチズムは敗北を喫し、スターリン独裁体制は戦争終結後も続きます。
戦後における全体主義の評価と影響
第二次世界大戦の終結後、ナチズムやファシズムの悲惨さが世界中に知れ渡ったことで、全体主義への批判的な見方が強まりました。
一方、ソ連をはじめとする共産圏では、全体主義体制に近い形が継続しました。
戦後の国際政治は、ある意味で「全体主義対自由主義(民主主義)」の対立としても語られます。
冷戦構造の形成
戦後に生まれた冷戦構造は、アメリカを中心とする資本主義・自由主義陣営と、ソ連を中心とする共産主義・社会主義陣営が激しく対立した時代でした。
ソ連や東欧諸国では、一党独裁制が敷かれ、国家がメディアや経済を統制する形での社会主義体制が続きます。
これを西側諸国は「共産主義体制による全体主義」として批判しました。
一方の東側は「資本家の支配こそが隠れた形の支配である」と反論し、それぞれの陣営が互いを非難し合うことになります。
ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』
戦後、全体主義を学問的に分析した著作として特に注目されたのが、ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』です。
彼女は、全体主義が生まれる要因として以下のようなものを指摘しました。
- 民主主義の弱体化と官僚主義の肥大化
- 反ユダヤ主義を含む人種主義的イデオロギー
- 大衆社会化による孤立感や疎外感
そして、アーレントはナチスとスターリン体制を比較し、どちらも人々の「自由な思考」と「行動の主体性」を奪い、完璧な支配を目指す点で共通する、と主張しています。
ポスト全体主義論
ソ連崩壊後は、旧東欧諸国やロシアで市場経済や民主化が進められましたが、その過程で起こる混乱や権力の腐敗も目立ちました。
これに対して、哲学者ヴァーツラフ・ハヴェルや政治学者らは「ポスト全体主義」という概念を用い、全体主義崩壊後の社会に残存する権威主義や官僚統制を批判しました。
また、同時期に中国など一党支配が続く国々の政治体制においても、「全体主義」と似た特徴が見られるとして議論の的になっています。
現代社会への示唆
全体主義は歴史上の出来事のように思われがちですが、現代社会にもさまざまな示唆を与えています。
特に、情報技術の発達やSNSの普及によって、新しい形の「監視社会」が出現する可能性を指摘する声もあります。
ネット社会とプロパガンダ
全体主義体制において欠かせないのがプロパガンダです。
かつては新聞やラジオが主な媒体でしたが、現代ではSNSやインターネットを通じて多種多様な情報が瞬時に拡散されます。
一方で、国家や特定団体がネットを利用した情報操作を行い、人々の意識をコントロールすることも十分に考えられるのです。
大量の情報の中で真偽を見極める力が求められる時代には、全体主義的なプロパガンダ戦略がより巧妙化する危険性があります。
監視技術とプライバシー
監視カメラやAIによる顔認証技術など、テクノロジーの進歩は目覚ましいものがあります。
安全保障や犯罪防止のためとされますが、国家がこれらの技術を利用すれば、国民の生活を細部まで把握・統制することも可能です。
中国の「社会信用システム」が度々話題になりますが、これも一種のデジタル監視の例として挙げられ、全体主義的な要素を懸念する声があるのです。
便利さとプライバシーの両立は、現代社会の大きな課題といえるでしょう!
自由主義や民主主義の脆弱性
歴史を振り返ると、全体主義が台頭する背景には「民主主義の機能不全」が常にありました。
経済不安や社会不安が高まったとき、人々は「強い指導者を求める心理」に駆られやすくなります。
現代でも社会が分断され、政治への不信感が高まったときに、極端な思想や排外主義に走る動きが見られます。
こうした傾向は全体主義の萌芽と重なる部分があり、「自分には関係ない」と思っていると、その隙をついて権威主義体制が広がる危険があるのです。
まとめ
ここまで見てきたように、全体主義(トータリタリアニズム)とは国家や政党などが社会のあらゆる領域を統制し、個人の自由を徹底的に抑圧する思想・体制です。
全体主義は決して過去のものではなく、自由な社会に潜むさまざまな要因と結びつき、再び姿を現す可能性があります。
だからこそ私たちは、歴史を学び、民主主義を維持するために努力し続ける必要があるのです!