はじめに
「ポストモダニズム」――これは文化・哲学・文学・建築など、あらゆる分野で度々目にする重要なキーワードです。
ポストモダニズムとは、文字通り「モダニズムの後に来るもの」を意味しますが、その内容は一言では語り尽くせません。
20世紀後半から21世紀にかけて、多方面で大きな影響を与えた思想・ムーブメントだからです!
本記事では、ポストモダニズムがどのように誕生し、誰がどのような主張を行ったのか、そしてどんな出来事が象徴となったのか、その後の時代にどんな影響を与えたのかを、歴史的背景も含めて詳しくご紹介します。
初心者向けにわかりやすい言葉を選んでいますので、ご安心ください!
ポストモダニズムとは何か
ポストモダニズム(Postmodernism)とは、第二次世界大戦後に生まれた「モダニズム(近代主義)」を相対化・批判し、その先にある価値観を提示しようとする思想や動向の総称です。
モダニズムは、進歩的な科学技術の発展や、合理主義・普遍的な真理を信じる態度を重視していました。
しかしポストモダニズムでは、「そんな普遍的に通用する真理なんて本当にあるの?」と疑問を投げかけ、多様な価値観を認めようとする姿勢が特徴的です。
たとえば、モダニズムが「絶対的な真理」や「大きな理想」を追求していたのに対して、ポストモダニズムは「どんな理想も、それを唱える人々の立場や文脈の上に成り立っているのでは?」と考えます。
こうした相対化の視点は、建築・文学・哲学・社会学・美術など多くの領域で姿を現し、20世紀後半から21世紀の文化に強い影響を与えてきました!
ポストモダニズムが生まれた歴史的背景
第二次世界大戦後の世界
ポストモダニズムの萌芽を語るうえで、第二次世界大戦は外せません。
戦争による破壊の惨状を経て、人々の間には「科学や技術が絶対に人類を幸福へ導くわけではない」という不信感や虚無感が広がりました。
モダニズムが信じてきた「進歩や理性によって、より良い社会を作れる」という大義名分に亀裂が入ったのです。
これに伴い、「人間や社会が合理的にコントロールできる」という近代主義的な考え方への懐疑が高まりました。
さらに、冷戦構造や核兵器の脅威も、この疑問に拍車をかけたのです。
「果たして普遍的な真理など存在するのだろうか?」という問いが、広く突きつけられるようになります。
1960年代~70年代の社会変動
1960年代後半から70年代にかけて、世界では様々な社会運動が活発化しました。
アメリカでは公民権運動やベトナム反戦運動が盛んになり、ヨーロッパでは1968年のパリ五月革命(学生運動)などが発生しました。
これらの運動は、既存の権威やシステムに対する批判的意識を高め、「一つの大きな権威や思想が全てを統制することへの抵抗感」を表面化させました。
こうした社会的背景も、ポストモダニズムにおける「権威を疑う」態度を後押しします。
「絶対的な支配者」や「絶対的な物語(グランド・ナラティヴ)」の存在を疑問視し、それぞれの人間や集団が持つ視点に注目するようになっていったのです。
ポストモダニズムを主張した思想家たち
ポストモダニズムの思想を語るうえで、外せない論客が何人かいます!
ここでは代表的な人物を紹介します。
ジャン=フランソワ・リオタール(Jean-François Lyotard)
リオタールは、1979年に著書『ポストモダンの条件』(原題:La condition postmoderne)を発表しました。
彼はこの中で「大きな物語(グランド・ナラティヴ)の終焉」を唱えます。
それまで信じられてきた人類の進歩や解放といった壮大な理想が、もはや崩れ去ったと分析したのです。
代わりに、リオタールは「小さな物語(プチ・ナラティヴ)」に注目します。
要するに、一人ひとりや小さなコミュニティが持つ多様な価値観や物語こそが重要だ、という考え方ですね!
ジャック・デリダ(Jacques Derrida)
デリダは「脱構築(deconstruction)」という概念で有名です。
これは、あるテクスト(文章・作品など)に内在する矛盾やゆらぎを徹底的に洗い出して、既存の価値体系がいかに不安定かを示す手法でした。
言語哲学や文学理論に大きな影響を与え、「一つの解釈」に縛られない多義性を強調するところが、ポストモダニズムの感覚にも合致します。
ミシェル・フーコー(Michel Foucault)
構造主義やポスト構造主義でも知られるフーコーは、権力と知の関係を分析し、「権力は常に社会のあらゆるところに偏在している」と主張しました。
例えば病院、刑務所、学校などを例に、そこに埋め込まれた「監視」の仕組みや「規律」のシステムを明らかにしていきます。
フーコーの議論は、真理や知識が権力と密接に結びついているという認識を広め、モダニズム的な「客観的真理」への信仰に大きな疑問を投げかけました!
ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ
ドゥルーズとガタリは共著『アンチ・オイディプス』(1972年)などで、欲望の生産や権力構造などを独特の視点で論じ、ポストモダニズムの哲学をさらに押し広げました。
彼らの理論は文学・政治学・社会学など幅広い分野に影響を与えています。
ポストモダニズムを象徴する出来事やイベント
1968年の世界的な学生運動
先ほども少し触れたとおり、1968年前後にはフランス・パリを中心に学生運動が勃発し、アメリカでは反戦・公民権運動、チェコスロバキアでは「プラハの春」などが起こりました。
これらは既存の体制、例えば政府・大学・企業などの権威を根本から疑い、新しい社会の在り方を模索する運動でした。
つまり「一つの正解や価値観に従わない!」という意識が国際的に高まった時代だったのです。
ポストモダニズムの思想は、こうした社会の熱気に呼応する形で勢いを増していきました。
ベトナム戦争とその影響
ベトナム戦争(1955~1975年)は、アメリカ社会を大きく揺るがした出来事でした。
政府が唱える「民主主義のための戦い」という大義名分が実際には通用せず、多くの若者が政府に反発する反戦運動を起こしました。
これもまた、「大きな物語」の無力さや虚構性を強調する状況を生み、ポストモダニズムの考え方を後押しした歴史的背景といえるでしょう。
ベルリンの壁崩壊(1989年)
東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊したことも、ポストモダニズムを語る上で重要なイベントです。
資本主義と社会主義という二項対立(つまり「大きな物語」同士の対立)が一気に瓦解していく様子は、人々に「単純なイデオロギー対立では物事を説明できない」という認識をもたらしました。
「世界はもっと複雑で、多様な価値観が混在している」という事実が改めて浮き彫りになり、ポストモダニズム的思潮が文化全般に浸透しやすくなったのです。
ポストモダニズムの主張と特徴
大きな物語の拒絶
リオタールが指摘したように、ポストモダニズムは「大きな物語(グランド・ナラティヴ)」を拒絶する姿勢が強いです。
これは、社会主義・資本主義・キリスト教・啓蒙主義など「人類を一つにまとめあげるような壮大な理想や世界観」を鵜呑みにしない、ということでもあります。
「物語」はあくまでもある集団の解釈や文脈であって、それが普遍的に当てはまるわけではないと主張するのです。
多様性と相対主義
ポストモダニズムのキーワードとしては「多様性」と「相対主義」が挙げられます。
どんな価値観も、どんな解釈も、それを語る人や社会・文化的背景によって形作られているという考えです。
絶対的な正解や真理が存在しないからこそ、それぞれの立場や観点を尊重しようという姿勢へと繋がっていきます。
アイロニーとシミュラークル
ポストモダニズムの芸術やポップカルチャーには、アイロニー(皮肉)やパロディ、シミュラークル(模倣の模倣)などが多く見られます。
たとえばアンディ・ウォーホルのポップアートは、マリリン・モンローやキャンベルのスープ缶などを繰り返し模倣し、商業主義や消費文化を逆手にとったアート表現で注目を浴びました。
「すでにオリジナルとコピーの境界が曖昧になっている」というのも、ポストモダニズムの象徴的な感覚です!
ポストモダニズムが後世に与えた影響
建築への影響
建築の世界では、モダニズムが「機能性」「合理性」「装飾の排除」を重視してきました。
ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエなどが代表的です。
しかしポストモダン建築は、歴史的要素や装飾性を積極的に取り入れて、「多様な様式が混在する」ことをむしろ楽しみます。
ロバート・ヴェンチューリは「Less is a bore(少ないことは退屈だ)」と主張し、モダニズムの名言である「Less is more(少ないことは豊かだ)」をもじりました。
派手な色彩や古典的なモチーフを組み合わせる建築は、まさにポストモダニズムの多様性やアイロニーを体現しています。
文学・批評理論への影響
文学や批評理論においても、ポストモダニズムは重要な流れを生みました。
デリダの脱構築理論や、ロラン・バルトの「作者の死」論などは、テクストの多義性を認め、固定的な解釈を拒否する姿勢を強調しています。
これにより「読者は受動的に作品を読むのではなく、読み手が積極的に意味を生成する」といった考え方が主流になり、文学研究や翻訳論、文化批評に新風をもたらしました!
美術・ポップカルチャーへの影響
先述のポップアートに限らず、コンセプチュアル・アートやメディアアートなど、ポストモダニズムの視点は美術の世界に多様な実験をもたらしました。
特に「オリジナルの価値」「唯一無二の芸術作品」という近代的な考え方が揺らぎ、コピーや大量生産にもアートとしての価値を見出す動きが広がりました。
また、ポストモダニズムのパロディ的手法は、テレビ番組や映画、インターネット文化にも大きく波及しました。
既存の作品を引用し、異なる文脈に差し込むことで新たな意味を発生させる「リミックス文化」が当たり前のように受け入れられています。
情報社会・デジタル社会との関連
21世紀の情報社会では、インターネットを通じて無数の情報や価値観が瞬時に共有されます。
その結果、単一の「真実」や「正統な見解」が成立しにくくなっていますが、これはまさにポストモダニズムが指摘していた「多様性の時代」を体感する状況とも言えるでしょう。
SNSなどでは個人が自分の意見や情報源を選択し、多様なコミュニティが形成されます。
「大きな物語」よりも「小さな物語」が多数交錯しあう現代社会は、ポストモダン的な視点なしには語れないのです。
ポストモダニズムをめぐる批判と再評価
ポストモダニズムは大きな潮流となった一方で、もちろん批判もありました。
「相対主義が過度に進むと、結局どんな価値判断もできなくなるのでは?」という懸念や、「社会全体を良くしようという熱意が失われるのでは?」といった指摘です。
実際、ポストモダニズムが盛り上がった時代には、「なんでもあり」の空気が漂い、政治運動への熱意がしぼんだ側面も指摘されています。
しかし同時に、ポストモダニズムが与えた「多様性を尊重する視点」は、マイノリティの人権やジェンダーの問題に対してもプラスに働いています。
「一つの基準や価値観で人を測ってはいけない」という態度は、人権運動の精神に通じるものがあります!
したがって、ポストモダニズムを完全に否定するだけではなく、その思想がもたらした自由と多様性の価値を改めて評価すべきだという意見も根強いのです。
ポストモダニズムの現在と未来
ポストモダニズムは20世紀後半の思想として一世を風靡しましたが、21世紀に入った今、その影響はどこまで続いているのでしょうか。
近年では「ポスト・ポストモダニズム」とも呼ばれる新たな思想潮流が議論されることもあります。
また一方で、グローバリズムの進展やSNSの普及などにより、「真実」や「客観性」に対する信頼はますます揺らいでいるとも言えます。
情報が過剰に氾濫する時代だからこそ、「どの情報を信じるか」「どうやって情報を批判的に読み解くか」が重要になります。
ポストモダニズムが強調した「絶対的な真理など存在しない」「文脈を疑う」という態度は、現在のネット社会でも役に立つ視点といえるでしょう。
しかし同時に、「何も信じられない」と開き直ってしまうのは危険です。
ポストモダニズムの相対主義を踏まえたうえで、多様な意見を尊重しながらも、具体的な合意や倫理観を形成していくことこそが、未来への課題ともいえます。