実存主義とは?
実存主義とは、「人間が自分自身の存在(実存)に対してどのように向き合うか」を問いかける思想のことを指します。
「そもそも人間はなぜ生きているのか?」「人生に意味はあるのだろうか?」といった根本的な疑問は、誰しもが一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
そんな人生のあり方や人間の存在意義に焦点を当てているのが実存主義なのです。
実存主義は近・現代の思想として確立していきますが、その源流をたどると、19世紀初頭のデンマークの哲学者セーレン・キルケゴール(Søren Kierkegaard)までさかのぼることができます。
ただし「実存主義」という名前が広く一般に認知されるようになるのは20世紀中盤のこと!
そんな実存主義がなぜ必要とされたのか? なぜ多くの人々を魅了したのか? ここからその歴史的背景を追っていきましょう。
実存主義が生まれた歴史的背景
科学の進歩と宗教観の揺らぎ
18世紀頃からヨーロッパでは、科学の飛躍的な進歩とともに、人々の思想や価値観に大きな変化が起こりました。
伝統的に社会を支えていたキリスト教的な世界観が相対化され始め、「絶対的な神」を中心にした価値観が少しずつ弱まっていったのです。
たとえば地動説の普及やダーウィンによる進化論など、人間の特別性を揺るがす新たな科学的知見が次々に登場し、神の存在や宗教的価値への疑問が広がりました。(詳しくは啓蒙主義を参照)
そうした流れのなかで、多くの人々が「これまで当たり前だと思っていた生き方や価値観は、もしかすると絶対的なものではないのではないか?」と不安や疑問を抱き始めます。
まさにこの不安こそが、実存主義を生む土壌となっていったのです。
社会的・政治的混乱と世界大戦
その後、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパは様々な社会的・政治的変革の時代を迎えます。
産業革命や資本主義の加速、第一次世界大戦、ロシア革命などなど、人々の生き方や国家のあり方が激しく揺さぶられたのです。
特に第一次世界大戦(1914~1918年)は人々に大きな衝撃を与えました。
近代化で人類が進歩するはずだと信じていたのに、戦争によって大きな破壊と悲惨な状況がもたらされ、人間の理性への信頼が一気に崩れてしまったのです。
このような混乱のなか「一体、自分は何のために生きているんだろう?」と個人レベルでの問い直しが重要視されるようになりました。
そこで「世界の意味を見失う中で、自分自身の存在とどう折り合いをつけるか?」という問いが切実なテーマとなり、実存主義は多くの人々の心をとらえていくようになるのです。
実存主義を主張した代表的な思想家たち
実存主義は一人の思想家だけが生み出したものではなく、複数の哲学者や文学者によって形づくられてきました。
ここでは、その中でも特に重要な役割を果たした代表的な人物をご紹介します!
セーレン・キルケゴール(Søren Kierkegaard, 1813-1855)
「実存主義の祖」と呼ばれることの多いデンマークの哲学者です。
彼は当時のヘーゲル哲学のような大きな体系的思考に反発し、「自分自身の生」という個人的・主観的な視点を重視しました。
キルケゴールは「死に至る病」や「不安の概念」などの著書の中で、個人が神の前にどのように存在するか、どうやって自己を確立するかを問いかけました。
彼にとっては実存こそが最も重要であり、その人自身が主体的に生きるかどうかが大きなテーマだったのです。
フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche, 1844-1900)
ドイツの哲学者ニーチェは、自身を「反キリスト者」と称し、「神は死んだ(Gott ist tot)」という有名な言葉でキリスト教文化の価値観を根底から揺さぶりました。
ニーチェにとって、神への絶対的信仰という拠り所が失われた世界は、「価値の真空状態」に陥っています。
彼は「超人(Übermensch)」という概念を唱え、人々に「自分自身の価値を自ら創造せよ!」と呼びかけました。
ニーチェの思想は20世紀に登場する実存主義者たちにも大きな影響を与えています。
マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger, 1889-1976)
ドイツの哲学者ハイデガーは著書『存在と時間』において「人間は『現存在(Dasein)』としてこの世界に投げ出されている」という概念を提示しました。
私たちは自らの意思で生まれることを選べないまま、突然この世界に投げ込まれ、限りある時間の中で生きる存在です。
しかも死という終わりが必ずやってくる。
そこで私たちは「自分が生きている間に何を成し遂げ、どのように存在するか」を自ら考えなければならないのです。
ハイデガーの思想は、後にサルトルなどのフランス実存主義にも大きな影響をもたらしました。
ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre, 1905-1980)
フランスの哲学者・小説家であるサルトルは、実存主義の代表的な人物として広く知られています。
第二次世界大戦後の混乱期に「実存主義とは何か?」を国民に向けて講演するなど、社会的にも大きな注目を集めました。
彼は「実存は本質に先立つ」という有名な言葉で、人間はまず存在して、その後で自分自身の本質(生き方や価値)を作り上げるのだと説きます。
つまり「最初から決められた本質などはなく、個人が自由意思によって選択し、行動することで、自分の在り方を定義していく」という考え方です。
アルベール・カミュ(Albert Camus, 1913-1960)
同じくフランスの小説家・哲学者であるカミュは、「不条理」というキーワードで実存主義を語りました。
人生には理不尽なことが多く、合理的に考えても説明がつかない事態にしばしば直面します。
カミュはこの「不条理」にこそ人間の実存を見出し、それに対して「それでもなお人間は生きる意味を模索する」と訴えかけました。
代表作の『異邦人』や『シーシュポスの神話』は、人間が不条理に向き合う姿を描いた実存主義文学として有名です。
実存主義を象徴するイベント
第二次世界大戦後の「実存主義ブーム」
第二次世界大戦(1939~1945年)の終結後、ヨーロッパはまさに荒廃の中にありました。
多くの国が戦争被害に苦しみ、経済的にも精神的にも疲弊しきっていました。
こうした状況下で「生きる意味とは?」「人間はなぜこんな苦難を経験しなければならないのか?」という問いが、さらに切実なものとなります。
まさにこの時期に、サルトルやカミュらのフランス実存主義が大きな注目を集め、「実存主義ブーム」が訪れました。
実存主義は、戦後の荒廃した世界で、個人がどう生きるか、自由と責任をどう捉えるかを明確に示した思想として、多くの人の心を捉えたのです。
実存主義と1960年代の学生運動
その後、1960年代に入ると、世界各地で学生運動や社会運動が活発化しました。
アメリカでは公民権運動、ベトナム戦争反対運動などが盛り上がり、フランスでは1968年の五月危機と呼ばれる学生反乱が有名です。
こうした社会的激動の時代に「権威や体制に従うだけではなく、自分自身の存在意義や責任を自覚しよう!」と主張する実存主義の考え方は、多くの若者たちに支持されました。
サルトルもこうした学生運動を熱心に支持し、彼自身がデモに参加する場面も報じられています。
実存主義が後世に与えた影響
実存主義は哲学のみならず、文学や芸術、心理学、政治思想など、さまざまな領域に大きなインパクトを与えました!
文学・芸術への影響
実存主義は「個人の内面の葛藤」や「不条理」というテーマを通じて、多くの作家や芸術家にインスピレーションを与えました。
カミュの『異邦人』をはじめ、サルトルの小説や演劇、ドストエフスキーの作品(彼は正確には実存主義者ではありませんが、その影響を語る際によく取り上げられます)など、内面の苦悩と向き合う物語が注目されるようになったのです。
日本においても、太宰治や三島由紀夫、大江健三郎などの文学者は、実存の不安や孤独といった主題を通して世界観を展開してきました。
直接的に実存主義を名乗らなくても、その影響を感じさせる作家は多いといえるでしょう。
心理学・精神分析への影響
実存主義では「個人の内面」を深く洞察しようとする姿勢が強調されますが、この流れは心理学や精神分析の世界でも影響を与えました。
たとえば、ヴィクトール・フランクルの「ロゴセラピー」は、ナチ強制収容所の体験から「人間はどんな困難な状況でも人生の意味を見出せる」と説き、実存主義的なアプローチを心理学の領域に取り込んだ例として知られています。
また、フロイトやユングの精神分析やその後の実存分析(Existential Analysis)などでも、人間の存在や不安、責任、自由といったテーマが重視されるようになりました。
政治思想・社会運動への影響
実存主義は「個人の自由と責任」を強く訴えかけるため、政治的・社会的な領域でも大きな注目を集めました。
サルトルはマルクス主義に共鳴しつつも、共産党には距離を置き、「個人が主体的に責任を引き受ける」ことを重視。
これによって、思想的には左翼寄りでありながらも独自の立場を貫いたのです。
1960年代以降、学生運動や社会運動が広がる中で、実存主義が強調する「自分自身で考え、行動する姿勢」は多くの若者の心を捉え、「体制や権威への批判」を支える哲学的なバックボーンにもなりました。
ポストモダン思想との関係
実存主義が一世を風靡した後、20世紀後半になると、脱構築やポストモダン思想が台頭してきます。
そこでは「大きな物語(メタナラティブ)の崩壊」というテーマが語られ、より複雑で分散的な価値観が登場しました。
実存主義は「個人が自分の存在を切実に見つめる」という重要な概念を提示しましたが、ポストモダンの思想家たちは「そもそも個人という概念やアイデンティティそのものも流動的ではないか?」といった問題提起を行い、存在のあり方をより細分化、相対化して論じました。
しかし、その流れの中でも「人生をどう生きるか?」という問いは根強く残り、今なお実存主義は「人間存在を根本から考える哲学」として注目され続けているのです。
現代社会における実存主義の意義
現代は高度情報化社会であり、SNSやインターネットの発達によって、私たちはとてつもない情報の波にさらされています。
一方で、大量の情報を得る中で、逆に「自分自身の本音や存在意義がわからなくなる」という人も少なくありません。
そんな時代だからこそ、「自分がどう生きるか?」「どんな価値観に基づいて行動するか?」をあらためて問いかけてくれる実存主義の考え方が、大きな意味を持ちます。
日常生活の中で不安や孤独を感じたとき、実存主義の思想に触れることで「自分自身に問いかける」という姿勢が得られるのです。
また、ビジネスの世界でも「やりがい」や「自己実現」を求める風潮が強まる一方で、「働く意味がわからない」「自分が本当にやりたいことって何?」と悩む人も多いでしょう。
こうした悩みにも実存主義的な視点は有効です。
何かに縛られたままではなく、自分の選択と責任を認識し、主体的に決断していくことが、人生を豊かにするヒントになるかもしれません。
まとめ
実存主義は歴史的にみても大変奥深い思想ですが、決して難解な理論のためだけにあるものではありません。
むしろ、その核心は「生きることへの問い」と「自分自身の存在をどう考えるか?」という、私たち一人ひとりの切実なテーマです。
科学技術が進歩し、ネットを通じて世界中の出来事が一瞬で共有されるこの時代でも、人間は根源的な孤独や不安から逃れることはできません。
「自分にとっての幸せとは?」「自分は何のために働き、学び、愛するのか?」といった問いは、実存主義が生まれた当時よりもむしろ複雑になっている部分もあるでしょう。
だからこそ、実存主義が教えてくれる「自分が自分の人生の当事者である」という感覚は、現代においても大いに意義があるのです。
「人生の意味なんて、もともと与えられていない。でも、自分自身で作り上げることができる!」というメッセージは、私たちに力強さや希望をもたらしてくれるはずです。