世界の歴史

チュニジアの歴史をわかりやすく解説!古代カルタゴからジャスミン革命まで

はじめに

北アフリカに位置するチュニジアは、日本から遠く離れた場所にある国ですが、実は地中海を挟んだヨーロッパにも近く、長い歴史を通じて様々な文明や勢力がこの地を通り過ぎてきました。

古代の偉大な都市国家「カルタゴ」があった場所として知られ、のちにローマ帝国、イスラーム勢力、オスマン帝国、そしてフランスの保護領となり、独立に至るまで多彩な文化を吸収しながら発展してきました。

チュニジアの歴史を知ることで、地中海世界やアフリカ史、さらには中東史との繋がりまで見えてくるかもしれません。

この記事では、その長い歴史を初心者の方でもわかりやすいよう、時代順にざっくりと解説していきます。

ぜひ最後まで読んで、チュニジアが歩んできた軌跡を感じ取ってみてください!

古代のチュニジア:フェニキア人とカルタゴ

チュニジアの歴史を語るうえで外せないのが、古代に地中海沿岸で大きな影響力をもったフェニキア人の存在です。

現在のレバノン付近を発祥とするフェニキア人は、地中海貿易を活発に行い、紀元前9世紀ごろに北アフリカの地に植民市を築きました。

その中でも特に有名なのが「カルタゴ(Carthage)」です!

カルタゴは、フェニキア系の都市として発展し、やがて独自の勢力を持つ都市国家へと成長しました。

カルタゴは地中海貿易を掌握し、豊かな富を築き上げます。

その勢力はシチリア島やスペイン方面にまで及び、ローマと地中海覇権を争うほどの大国となりました。

歴史上有名なカルタゴの将軍といえば、象を率いてアルプス山脈を越えた「ハンニバル」です!

ハンニバルの行軍は伝説的な勇壮さで知られ、今なお世界史のロマンをかき立てます。

しかし、カルタゴとローマの争い(ポエニ戦争)はローマの勝利に終わり、ついには紀元前146年にカルタゴは滅亡

ローマはカルタゴを徹底的に破壊し、さらには土地に塩をまくという徹底ぶりだったと伝えられています。

こうして、チュニジアはローマの支配下へと組み込まれていくのです。

ぴろき

そ、そこまでしなくても..

ローマ帝国支配とアフリカ属州

カルタゴ滅亡後、チュニジアを含む北アフリカの地はローマ帝国のアフリカ属州として統治されました。

ローマのもとで整備された道路や水道設備、都市づくりの影響はとても大きく、現在のチュニジアにもその痕跡が残っています。

たとえば、チュニジア北部にある「ドゥッガ(Dougga)」という遺跡は、ローマ時代の華やかな都市遺構を色濃くとどめており、観光地としても人気です!

ローマ帝国はチュニジアの穀物やオリーブなどの豊富な農産物をヨーロッパへ運び出し、属州としての重要性が高まりました。

一方で、キリスト教の普及も進み、後にチュニジア地域がキリスト教文化の拠点の一つとなっていきます。

そんなローマの支配は西ローマ帝国の衰退とともに崩れ、北アフリカはゲルマン系のヴァンダル族や、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配を経て、次第にイスラーム勢力へと移行していきました。

イスラームの到来とアグラブ朝

7世紀になると、アラビア半島で興ったイスラーム勢力が猛烈な勢いで版図を拡大します。

これに伴い北アフリカにもイスラームが伝わり、現地の住民であったベルベル人やローマ系住民もイスラーム世界の一部となっていきました。

チュニジアを拠点に樹立された王朝の一つが、9世紀から10世紀にかけて存在した「アグラブ朝(Aghlabids)」です。

アグラブ朝は、首都カイラワーン(Kairouan)を中心に繁栄し、壮大なモスクや学術施設を整備しました。

カイラワーンの街は、イスラーム世界においてマグリブ地域(北アフリカ西部)の信仰と学問の中心地ともいえる役割を担います。

この頃から、チュニジアはイスラーム文化の影響を強く受け、アラビア語とイスラーム信仰が広範囲に広まっていくのです!

ファーティマ朝からハフス朝へ

10世紀にはシーア派イスラームを掲げるファーティマ朝がチュニジアを支配下に収め、カイラワーンに拠点を置きました。

しかし、ファーティマ朝はやがてエジプトに移り、カイロを新たな都としたため、チュニジアの政治的な中心は変化を余儀なくされます。

その後、12世紀後半から13世紀にかけてのチュニジアは、さまざまな王朝の興亡が続きました。

最終的に、13世紀にハフス朝(Hafsid dynasty)が台頭し、チュニスを拠点として安定した統治を展開します。

ハフス朝期のチュニスは商業・学術の拠点として栄え、マグリブ地域全体にも大きな影響を与えました。

オスマン帝国とチュニジアの自治

16世紀に入ると、地中海ではオスマン帝国とヨーロッパ勢力のせめぎ合いが激しくなります。

チュニジアもその影響下に組み込まれ、最終的にはオスマン帝国の属領となりました。

しかし、オスマン帝国は広大な領土を直接統治するというよりは、地方に総督を派遣し、ある程度の自治を認める方式をとっていました。

チュニジアでは、ベイ(Bey)と呼ばれる総督が実質的な支配者となり、オスマン帝国本体からは半ば独立した形で自治を行っていました。

これによって、地中海貿易や海賊行為などで富を得ることもあった一方、ヨーロッパ勢力との対立や内紛が繰り返され、政治は不安定な状況に陥ることもしばしばでした。

フランス保護領時代

19世紀後半から20世紀前半にかけて、ヨーロッパ列強はアフリカ大陸をめぐって植民地競争を繰り広げました。

その結果、チュニジアは1881年にフランス保護領となり、政治・経済・軍事の面でフランスに支配されることになります。

保護領とはいえ、実態としては植民地支配に近く、ヨーロッパの文化や行政システムの導入が急速に進められました。

フランス保護領期には、鉄道や港湾などのインフラが整備され、貿易が活性化する一方で、チュニジア人は自国の政治に直接参加する機会を奪われ、不満も高まっていきます。

さらに、農地や資源の多くがフランス資本に押さえられる形となり、社会的な摩擦が大きくなっていきました。

こうした中で、独立を求める民族運動が強まっていくのです!

独立とブルギーバ政権

第二次世界大戦後、世界的に植民地支配への批判が高まるとともに、チュニジアでも独立運動の機運が一気に高まります。

その中心となったのがハビーブ・ブルギーバ(Habib Bourguiba)という政治家です。

ブルギーバは若い頃からフランス留学の経験を持ち、欧米社会を知る立場からチュニジアの自立を訴えてきました。

やがて、フランスとの交渉や国際世論の後押しにより、チュニジアは1956年3月20日に正式に独立を果たします!

これで約75年にわたるフランス保護領支配が終わり、ブルギーバはチュニジア共和国の初代大統領に就任しました。

ブルギーバは近代化政策や教育改革、女性の権利向上を積極的に推進し、「女性の地位向上に成功したアラブ諸国のモデル」として注目されることになります。

しかし、一方で政治権力が一極集中し、独裁的な体制が出来上がってしまうという課題も抱えていました。

ブルギーバ政権はその後、健康上の理由も含めて失脚し、1987年には首相だったゼイン・アル=アービディーン・ベン=アリー(Zine El Abidine Ben Ali)が大統領に就任します。

ベン=アリー政権からジャスミン革命へ

ベン=アリー政権は、就任当初こそ政治の自由化などを謳いましたが、長期政権を維持するにつれて、腐敗や権力の集中が深刻化していきました。

国民の間では、高い失業率や経済格差への不満がくすぶり、政治的自由の制限も厳しくなっていきます。

そんな中、2010年末にベン=アリー政権への抗議デモが大規模化し、ついには「ジャスミン革命」と呼ばれる民衆蜂起へと発展しました!

ジャスミン革命は翌年2011年にベン=アリーの亡命という形で独裁政権を崩壊に導きました。

この出来事は「アラブの春(Arab Spring)」の呼び水となり、周辺のアラブ諸国にも大きな影響を与えたことで知られています。

チュニジアは革命後、新憲法の制定や民主的選挙の実施などを行い、現在は北アフリカ・中東地域の中でも比較的民主主義が進んだ国と評価されています。

現代のチュニジア:多様性と挑戦

ジャスミン革命以降、チュニジアは民主化という新たな道を歩み始めました。

自由な選挙や政党活動が保証され、多様な意見が政治に反映されやすくなった一方で、経済の安定や失業率の解消、社会保障の充実など、まだまだ課題は山積みです。

また、テロ行為や治安上の不安もたびたび報じられ、国際社会からは安定した民主国家としての基盤が試されています。

それでも、チュニジアには独特の魅力がたくさんあります!

地中海沿岸のビーチリゾートは観光客を惹きつけ、古代カルタゴやローマ遺跡、イスラーム建築など、歴史好きにはたまらない文化遺産が各地に点在しています。

首都チュニスの旧市街「メディナ」は世界遺産に登録されており、路地裏に漂うエキゾチックな雰囲気が観光客を魅了します。

さらに、トズールやマトマタなど、サハラ砂漠に近いエリアにはユニークな景観が広がっており、映画『スター・ウォーズ』のロケ地としても有名です。

まとめ

いかがでしたか?

チュニジアの歴史は、古代カルタゴのロマンあふれる時代から、ローマ支配、イスラーム王朝、オスマン帝国、フランス保護領を経て独立、そしてジャスミン革命に至るまで、まさにドラマチックな展開の連続です!

日本ではなかなか馴染みのない国かもしれませんが、その物語の奥深さに驚かれるはずです。

もし機会があれば現地を訪れて、地中海の風を感じながら遺跡や街並みを歩いてみると、きっと何千年にもわたる歴史の重みを肌で感じることができるでしょう。

チュニジアはこれからも、その地理的な位置と豊かな歴史、そして多様な文化背景を活かしながら、国際社会の中で新たな魅力を発信していくに違いありません。

ぜひこの機会に、チュニジアの歴史と文化に触れてみてくださいね!

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