太古の時代と先住民の足跡
ジンバブエ周辺には、数万年前から人が住んでいた痕跡があります。
先史時代の石器などが見つかっており、石器時代からすでに人々が定住していたと考えられています。
狩猟採集生活を営む人々は、地形や動物の生態を深く理解しながら、川辺や森の周囲で生活していたようです。
やがて、紀元前後になると、バントゥー系と呼ばれる民族が南下を開始!
鉄器の技術や農耕技術を持つ彼らが移り住んだことで、土壌を生かした農業や牧畜が徐々に広がりました。
このバントゥー系の人々が、ジンバブエの土台を築き上げていったのです。
「グレート・ジンバブエ」の興隆
ジンバブエと聞いて、まず連想されるのが「グレート・ジンバブエ遺跡」でしょう。
11世紀頃から15世紀頃にかけて隆盛を極めた都市遺跡で、石造りの城壁や塔が残されていることが特徴です!
これらの建造物は、釘やモルタルを使わずに石を積み上げる技術で造られたといわれています。
当時、東アフリカ沿岸との交易が盛んに行われ、金や象牙、貴重な鉱物などがやり取りされていました。
インド洋の海上貿易ネットワークを通じてアジアや中東ともつながっていたため、文化的にも国際色豊かな都市だったのです。
巨大な石の建築物が象徴するように、グレート・ジンバブエは地域の政治・経済・宗教の中心地として繁栄しました。
しかし、15世紀半ばに入ると何らかの理由で衰退が始まり、人々は拠点を移さざるを得なくなります。
いくつかの説が存在し、資源の枯渇や気候変動なども影響したのではないかと考えられていますが、詳細は今もなお研究が続けられているところです。
ロズウィ帝国と諸王国の台頭
グレート・ジンバブエの衰退後、ジンバブエ一帯には複数の王国や酋長国が登場し、地域ごとに支配を行っていました。
その中でも有力だったのが、ロズウィ(Rozvi)帝国です。
16世紀から19世紀にかけて繁栄し、ムウェネ・ムタパと呼ばれる指導者を中心に強力な支配体制を築きました。
当時は近隣の地域との交流も盛んで、金の採掘や交易によって富が蓄積されていたのです。
さらに文化面でも独自の発展を遂げ、伝統的な音楽や舞踊、信仰などが形成されていきました。
こうした複数の王国の存在は、後に来るヨーロッパ諸国の影響を受けるまで、ジンバブエ地域の政治や経済を支配していたのです。
ヨーロッパ人の到来と植民地化の始まり
15世紀末からヨーロッパ諸国がアフリカ大陸へ進出してきた背景には、香辛料や貴金属などの資源を求める意図がありました。
ジンバブエもその例外ではなく、最初はポルトガルが東アフリカ沿岸に拠点を築き、内陸部への影響を徐々に広げていきました。
その後、19世紀末にはイギリス人のセシル・ローズ(Cecil Rhodes)が率いる企業(ブリティッシュ・サウス・アフリカ・カンパニー)がジンバブエ南部に入り込みます。
当初は鉱山資源の開発や鉄道の敷設など経済的要素が前面に出ていましたが、やがて政治的支配が強化され、先住民の権利は軽視されるようになっていきました。
こうしてジンバブエの植民地化は加速していきます。
ローデシア時代と抵抗運動
1890年頃、イギリスの影響下で現在のジンバブエは「南ローデシア」と呼ばれるようになり、白人入植者が多数移住してきました。
先住民は土地を奪われ、安価な労働力として扱われるなど、厳しい生活を強いられていました。
一方で、白人入植者は広大な農地を所有し、商業や政治を支配していたのです。
第二次世界大戦後にアフリカ各地で独立運動が高まると、ジンバブエでも民族主義者を中心とした抵抗運動が活発になりました!
しかし、ローデシア政府は独立を渋り、1965年には白人政権が一方的にイギリスからの独立宣言(UDI)を行いました。
この時点では先住民の大半が政治参加を認められず、人種差別的な支配体制が続いていました。
解放闘争と国際社会の影響
UDIに対して、イギリスや国際社会はローデシア政府を認めず、経済制裁を含む圧力を加えました。
一方、ジンバブエ民族主義勢力は武装闘争を行い、ゲリラ活動を展開していきます。
その中心となったのが、ロバート・ムガベ率いるZANU(Zimbabwe African National Union)や、ジョシュア・ンコモ率いるZAPU(Zimbabwe African People's Union)などです。
これらの組織は周辺国の支援を受けながら、人種差別や植民地支配と対峙しました。
国際社会の圧力と内部の抗争の末、1979年にはランカスター・ハウス合意が結ばれ、民主的な選挙と多数派による支配体制の樹立に向けた道筋が定められました。
まさに“動”時代だったのです。
独立とロバート・ムガベの時代
1980年、ジンバブエは正式に独立を達成!
初の総選挙ではロバート・ムガベが首相に選ばれ、翌年からは大統領として長期政権を担います。
独立直後のジンバブエは、高い教育水準や豊かな農業生産力を誇り、アフリカの中でも比較的安定した国家として注目されました。
しかし、政権の長期化にともない、一党支配体制が固定化していきます。
政治的な反対勢力や少数民族に対する抑圧が繰り返され、政府批判の声が上がると弾圧やメディア統制などが行われました。
こうした政治状況は、徐々に国際社会や国内の不満を高めていく要因となっていきます。
土地改革と経済の混乱
1990年代以降、ジンバブエでは「ファストトラック土地改革」が行われ、白人農場主から土地を接収して黒人農民に再分配しようという動きが加速しました。
当初は歴史的な不平等を是正するための正当な施策と見なされていましたが、やがて農業生産の大幅な低下や国際社会との対立を招き、経済は深刻なダメージを受けます。
特に農業収入が激減したことで輸出収益は激減し、外貨不足に陥った国はハイパーインフレーションを起こしました。
2000年代後半には、ジンバブエ・ドルの価値がほぼ崩壊し、紙幣に印刷される桁数がとんでもないことになったのは有名な話です!
この経済混乱が国民生活を苦しめ、多くの国民が隣国や海外へと移住する事態を招きました。
現代ジンバブエの歩み
長期独裁色を強めていたムガベ政権は、2017年の軍事介入によって事実上倒れ、新たにエマーソン・ムナンガグワが大統領に就任しました。
政権交代後、経済再生や国際社会との関係修復を目指す改革が進められていますが、依然として厳しい経済状況や政治的対立が残されています。
一方で、若い世代を中心に教育や起業意欲が高まるなど、新たな風が吹き始めているのも事実です!
SNSやインターネットを通じて国内外の情報交換が活性化しており、ジンバブエ独自の音楽や芸術が世界に発信される場面も増えてきました
まとめ
ジンバブエの歴史を大まかにたどってみると、古代の繁栄を象徴するグレート・ジンバブエ遺跡から植民地支配、独立闘争、そして現代の政治・経済の試練まで、さまざまな局面がありました。
変革のたびにジンバブエの人々は新たな挑戦に立ち向かいながら、独自の文化やアイデンティティを紡いできたのです!
アフリカにおいても重要な役割を担うジンバブエですが、その魅力は歴史を理解することでさらに深まります。
今後も国際社会との連携や国内改革を通じて、ジンバブエは新たな時代へと歩みを進めていくことでしょう。
長い歴史を誇るこの国が、どのように未来を切り開いていくのか、ぜひ注目してみてくださいね!