世界の歴史

カナダの歴史を簡単に解説!初心者もわかるカナダの魅力と歩み

2025年1月12日

はじめに

カナダは、世界の中でも多文化社会として知られ、フランス語と英語の二つを公用語にしている国です。

美しい自然が広がる国土と、おおらかな国民性が魅力的ですよね!

しかし、実際にはカナダがどのようにして現在の姿になったのか、あまり知られていない部分も多いと思います。

そこで本記事では、カナダの歴史を「簡単に、わかりやすく!」をモットーに解説します。

はるか昔の先住民の時代から、フランスやイギリスの植民地となり、さらには近代国家として成長していくまで、カナダの魅力を感じながら学んでいきましょう!

先住民(ファースト・ネーション)の時代

多様な部族が生きた広大な大地

カナダの歴史は、ヨーロッパ人がやってくるよりもずっと前から始まっています。

古くは氷河期の頃に、北アジア大陸からベーリング海峡を渡って北アメリカ大陸に人々が移住したと考えられています。

こうした先住民は、現在「ファースト・ネーション(First Nations)」や「インディジナス(Indigenous Peoples)」と呼ばれています。

カナダには、何百もの部族が存在し、それぞれが独自の言語や文化を持って生活してきました。

例えば、太平洋岸北西部(今のブリティッシュ・コロンビア州周辺)には豊かな自然資源があり、サーモンなどの水産物に恵まれていたことから定住が盛んでした。

一方で、プレーリー(大草原)が広がる地域では、バイソン狩りを中心とした狩猟文化が花開きました。

豊かな精神文化と伝統

彼らは自然と共存する知恵を大切にし、アニミズム的な信仰を持つ部族が多かったことが知られています。

精霊や祖先への敬意を示す儀式、語り継がれる伝承の物語など、豊かな精神文化が育まれていたのです。

このように、先住民たちの暮らしは何千年にもわたって続き、カナダの歴史の根幹を支えてきました!

ヨーロッパからの「発見」と交易

フランス人探検家の到来

カナダの歴史を語る上で、まず注目したいのがヨーロッパ人の到来です。

特に、16世紀にフランスの探検家ジャック・カルティエがセントローレンス川流域に到達したことは、大きな転換点となります。

カルティエはこの地域を「カナダ」と呼びましたが、元々これは先住民の言葉で「村」や「集落」を意味していたという説があります。

その後、フランスは毛皮交易やミッション(宣教師の活動)を通じて、先住民との結びつきを深めていきます。

特にビーバーの毛皮はヨーロッパで高価で取引されたため、新大陸での毛皮交易は急速に拡大!

先住民とヨーロッパ人が互いに物資を交換することで、文化の混ざり合いが進みました。

イギリスの参入と競合

しかし、セントローレンス川沿いにフランスの拠点が築かれる一方で、北のハドソン湾沿岸ではイギリス人が毛皮交易を進めていきます。

ハドソン湾 Company(現在のハドソン湾会社)は大きな影響力を持ち、広大な地域での毛皮の取引を支配していきました。

こうした「フランス VS イギリス」の競合関係は、やがて大きな戦争へと発展します!

ここから、北アメリカの植民地争いが本格化し、カナダという国がどのように生まれていくかが見えてくるのです。

フランスとイギリスの対立からイギリスの支配へ

フレンチ・インディアン戦争(7年戦争)

18世紀半ば、ヨーロッパでは「7年戦争」と呼ばれる大きな戦争が起こりました。

北アメリカ大陸では「フレンチ・インディアン戦争」として知られ、フランスと同盟を結んだ先住民グループと、イギリス側の先住民グループとのあいだで激しい戦いが繰り広げられます。

結果的に、イギリスが勝利を収め、1763年のパリ条約によってフランスは北米の領地の大部分をイギリスに引き渡すことになりました。

これにより、現在のカナダの大部分がイギリスの支配下に置かれるようになったのです。

フランス系住民への配慮

しかし、イギリスはすぐに、新たに獲得したケベック植民地(現在のケベック州)にいるフランス系住民が多数いる現実と向き合うことになります。

そこで、イギリスは1774年に「ケベック法」を制定し、フランス語やカトリック信仰を保護する方針を示しました。

これは現在でも続く二言語国家としてのカナダの原点ともいえる出来事です。

アメリカ独立とカナダの形成

アメリカ独立戦争の影響

18世紀後半、南に位置するイギリスの13植民地(現在のアメリカ合衆国東海岸地域)が独立を目指したことで「アメリカ独立戦争」が起こりました。

この戦争がイギリスの北米植民地に与えた影響はとても大きく、イギリスに忠誠を誓う人々(ロイヤリスト)たちが、大量に現在のカナダ地域へ移住してきたのです。

ロイヤリストたちは、現在のオンタリオ州やノバスコシア州などに定住し、カナダの人口構成や文化に大きな変化をもたらしました。

アメリカとの国境地帯にも影響が及び、カナダという地域の政治的・地理的な枠組みが明確化していきます。

アッパー・カナダとローワー・カナダ

アメリカ独立後、イギリスは現在のオンタリオ州に当たる地域を「アッパー・カナダ」、現在のケベック州を中心とした地域を「ローワー・カナダ」として統治する体制を作りました。

これは、フランス系住民とイギリス系住民との対立を避ける目的もあったと言われています。

しかしながら、両地域は言語や宗教、行政制度などで大きな違いがあり、政治的にも対立が絶えませんでした。

この後の時代に、両地域を統合した「カナダ連合州」へと至る流れを生み出します!

カナダ連邦の誕生と拡大

カナダ連邦成立(1867年)

カナダが正式に一つの国として認められる大きな節目が、1867年の「連邦成立(カナダ連邦の誕生)」です。

イギリス領の各植民地が協力し合い、一つの自治領としてまとまることで、外交や防衛などをイギリスから独立して進められるようにする狙いがありました。

最初はオンタリオ州、ケベック州、ノバスコシア州、ニューブランズウィック州が参加し、「ドミニオン・オブ・カナダ(Dominion of Canada)」が誕生します。

これをきっかけに、カナダはイギリス帝国内で自立した国としての歩みを本格的にスタートさせたのです!

西部への拡大と先住民との関係

連邦が成立してから、カナダは広大な西部の地域にも勢力を拡大していきました。

ルパートランド(ハドソン湾会社の所有していた土地)を買収し、現在のマニトバ州、サスカチュワン州、アルバータ州などが連邦へ順次加入していきます。

太平洋岸のブリティッシュ・コロンビア州も1871年に連邦に加わり、東から西までがまとまった広大な国となりました。

しかし、この拡大政策の裏で、先住民たちは次第に居留区へ移住させられるなど、苦難を強いられることになります。

近代的な農業や鉄道建設が進む一方で、先住民との摩擦は深刻でした。

こうした歴史は、現代でもカナダ社会が解決へ向けて取り組んでいる重要な課題の一つです。

20世紀のカナダ:世界大戦と社会の変化

第一次・第二次世界大戦への参加

カナダは20世紀に入ると、イギリスを中心に巻き込まれた世界大戦に参加することになります。

第一次世界大戦(1914-1918)では、カナダ軍はヨーロッパの戦線で大きな犠牲を払いながらも活躍し、世界的にその存在感を高めました。

第二次世界大戦(1939-1945)でもイギリス連邦の一員として参戦し、ノルマンディー上陸作戦などで大きな役割を果たします。

これらの戦争を通じてカナダは国際的な信用と地位を確立し、国際連合(国連)の founding member(原加盟国)としても重要な働きを見せていきました。

女性参政権の獲得や社会福祉の発展

世界大戦の時期は、社会の変化が加速する時代でもありました。

特に女性の社会進出が進み、カナダでも女性参政権が順次認められていきます。

1916年にマニトバ州でまず女性参政権が導入され、連邦レベルでは1918年に一部の女性に選挙権が与えられました。

また、戦後には社会福祉制度の整備も進み、医療制度や年金制度などが充実。

カナダは「みんなが暮らしやすい社会」を目指す方向へと踏み出していきました。

近代のカナダ:多文化主義と独自の路線

1960年代~1970年代の動き

第二次世界大戦後、世界情勢は大きく変化し、イギリスからの影響力が弱まるとともに、アメリカ合衆国の影響力が増していきました。

一方で、フランス系住民の強いアイデンティティを持つケベック州では、フランス語の地位向上や自治拡大を求める動きが高まりました。

1960年代には「静かな革命(Quiet Revolution)」と呼ばれる社会変革期がケベックで起こり、カナダ全体としてもフランス語圏の権利を重視する流れが加速していきます。

1970年代には、ピエール・トルドー首相(現ジャスティン・トルドー首相の父)がカナダの多文化主義を推進し、英語とフランス語を公用語として正式に認める政策を強化しました。

これが「バイリンガル国家」としてのカナダの姿を決定づけたのです!

1982年の憲法改正と新たなステージ

1982年、カナダはイギリス議会の関与なしに自国の憲法を改正できるようになる「憲法法(Constitution Act)」を成立させました。

これにより、カナダはさらに独立性を高めた近代国家として歩み始めます。

また、「権利と自由の憲章(Charter of Rights and Freedoms)」が憲法に盛り込まれ、多文化社会の尊重や個人の基本的権利を守る仕組みが強化されました!

現代のカナダ:多様性と調和を目指して

多文化社会としての発展

現代のカナダは、先住民、フランス系、イギリス系、そして世界各国からの移民が織り成す、多彩な文化を持つ国として国際社会でも注目を集めています。

公式に採用された多文化主義の理念の下、民族や宗教の多様性を認め合う風土が根付いており、国連の「世界で最も住みやすい国」ランキングなどで上位に入ることも多々あります。

先住民との和解と課題

近年は先住民コミュニティとの和解が重要なテーマになっています。

長らく差別や強制移住の歴史を持つ先住民の人々に対して、政府や社会全体が過去の問題に真剣に向き合い、教育や医療、住宅など様々な分野で改善策を進めようと努力しています。

トルドー首相をはじめ、政府指導者も「リコンシリエーション(和解)」を掲げ、先住民の権利保障を強化しています。

もちろん、課題も残されています。

特に先住民の子どもたちが通わざるを得なかった寄宿学校(レジデンシャル・スクール)問題や、土地の権利、失業率の高さといった問題は根深く、長い時間が必要とされるでしょう。

しかしこうした動きは、カナダが「多様性と共生」を尊重する国家として、より良い未来を築きたいと考えている証でもあります。

まとめ

ここまで、カナダの歴史を初学者向けにざっくりとご紹介してきました。

先住民の時代から始まり、フランスとイギリスの対立、アメリカ独立戦争による人の移動、カナダ連邦の誕生、世界大戦の経験、多文化主義へと至るまで、どのエピソードもカナダの成り立ちを深く知る上で大切なポイントです!

現在のカナダは、多様な文化と歴史が織り交ざった「モザイク国家」として知られ、世界中の人々が移住を希望する人気の国でもあります。

こうした背景を知ると、カナダの自然や観光地を訪れるときも、そこに流れる歴史の重みを感じられるかもしれませんね。

ぜひカナダに興味を持ったら、文化や言語、先住民の方々の芸術や歴史にも目を向けてみてください!

新しい発見がきっとあるはずです。

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