【サルでもわかる】学問紹介シリーズ

形而上学とは?知識がゼロでも大丈夫!わかりやすく解説します!

2024年12月19日

はじめに

今日は「形而上学(けいじじょうがく)」について、できるだけわかりやすく解説していきたいと思います。

「形而上学」という言葉を聞いて、「なんか高尚そう…」「難しそう…」「自分には関係ないのでは?」といったイメージを持つ人も多いかもしれません。

でも実は、この形而上学こそ、私たちが日常生活でふと疑問に思う「あれ、これって何だろう?」「本当にそうなのかな?」という問いに深く関係している学問なんです。

たとえば、「世界は本当にあるの?」とか「昨日の自分と今日の自分は同じ人間なの?」とか、「死んだらどうなるの?」という問いを考えたことはありませんか?

こういった、「当たり前」だけれど実は不思議だらけの問いをとことん追求していくのが形而上学。

聞き慣れない言葉かもしれませんが、私たちが生きるうえでつい考えてしまう根本的な問題を扱っているんです。

この記事では、そんな形而上学とは何か、どんなテーマを扱うのか、そしてそれが私たちの暮らしとどう関係しているのかについて、サルでもわかる(!?)くらい親しみやすく解説していきたいと思います。

なお、形而上学は哲学の一分野として位置づけられます。

事前に哲学の全体像を把握しておくと、さらに理解が深まりますよ!こちらの記事で解説しています。

形而上学って何?超シンプルな導入編

まずは「形而上学」という言葉をざっくりと説明しましょう。

形而上学とは?

形而上学を一言で言うと、「この世界の根本や存在の本質を追究する哲学の一分野」です。

「え?根本って何?本質ってどういうこと?」と思いますよね。

ここでいう「根本」や「本質」とは、普段は深く考えないけれど、実はすごく大切な問いを指します。

たとえば、こんな問いです。

  • 「自分が見ている景色は、本当に存在するのか?」
  • 「世界はどうやって始まったのか?そもそも始まりなんてあるの?」
  • 「時間って本当はどんな性質を持っているの?」

こういった、一歩踏み込んでみると謎だらけの問いが形而上学で扱われます。

英語では “Metaphysics” と呼ばれていて、もともとはアリストテレスの著作のうち、物理学(Physics)の後ろに置かれた書物が「メタ・フィジカ(物理学の後)」と呼ばれたことに由来すると言われています。

「形而上」ってどういう意味?

「形而上」という言葉は中国から入ってきた概念で、カンタンにいうと「形のないもの」「目に見えない世界」を指します。

これに対して「形而下学(けいじかがく)」という言葉は、目に見えるものや具体的な事象を扱う学問です。
つまり、「形あるもの」を超えた世界、目に見えない世界を考えるのが「形而上学」なんですね。

「いやいや、目に見えない世界なんて、怪しいスピリチュアルな話なんじゃないの?」と思う人もいるかもしれません。

でも、形而上学はあくまで哲学の一分野。

「どう考えても怪しい」みたいな非論理的な話ではなく、「私たちが普段「あるもの」として疑わない前提を本当にそうなのかと検証してみよう」という厳密な作業をする学問なんです。

形而上学と日常の関係

形而上学のテーマには、「存在」「時間」「空間」「因果関係」など、普段の生活で意識しないけど実は深い謎が潜むものばかり。

「これが私と何の関係があるの?」と思うかもしれませんが、ここが意外と奥深いんです。

「当たり前」こそが最大の謎?

私たちの暮らしは、「自分は一貫した存在である」「過去から今、そして未来へと時間が流れている」といった前提のもとに成り立っていますよね。

でも、ある日ふと「昨日の自分と今日の自分って本当に同じ? 記憶や体は変化してるかもしれない…」なんて考え始めると、当たり前だと思っていたことに疑問がわいてきませんか?

この「当たり前」を疑う姿勢こそが、形而上学的な思考のはじまりなんです。

自分らしく生きるヒントになる

「自分が何者なのか」「自分は時間とどんなふうに結びついているのか」を考えることは、実は「自分らしく生きるとは?」という問いとつながっています。

人はみんな「何のために生きているのか」「どんな生き方が幸せなのか」と迷うことがありますよね。

そんなとき、「自分とは何か」という根本的な問いを考えるのは、答えへの大きなヒントになるかもしれません。

形而上学の主要テーマ

形而上学の主要なテーマを、いくつか挙げてみましょう。

存在(Ontology)

形而上学の中でも、存在論(オントロジー)は特に重要な分野です。

何が存在するのか」「そもそも“存在する”ってどういうことか」を考えます。

例えば、「物理的に確かめられないものは存在しないのか」「心や意識はどうやって存在しているのか」といった問いは、まさに存在論の話題です。

時間(Time)

私たちにとって、時間は当たり前に流れているように感じます。

しかし、本当に過去・現在・未来は一方向に流れているのでしょうか?

現在しか存在しないという説(現在主義)もあれば、過去も未来もすべて同じように存在するブロック宇宙論)という考え方もあります。

また、「タイムトラベルは理論的に可能なのか?」という疑問はSFだけではなく、形而上学的な議論の対象にもなるんですよ。

因果関係(Causality)

原因と結果はどう結びついているのか?」というのも、形而上学では大きなテーマです。

たとえば、ビリヤードの球Aが球BにぶつかったからBが動いた…という出来事を目にすると、私たちは「AがBを動かした」と思いますよね。

でも、「本当にAの衝突がBの動きの唯一の原因なの? もしかしたら見えない別の力が働いた可能性は?」なんて疑うと、因果関係とは何かがわからなくなってしまう。

これは日常生活にもつながります。たとえば、「勉強したからテストでいい点が取れた」というとき、本当に勉強が直接の原因なのか、はたまた運や体調が原因なのか。

いろいろ考え出すとキリがありませんよね。この「原因と結果」の構造を根本から考えるのが形而上学なんです。

心と身体の関係(Mind-Body Problem)

「私たちの意識って何? 脳みそが作り出しているだけ? それとも別の次元にある?」というのも形而上学が扱う大きなテーマです。

哲学の分野では「心の哲学」として独立して扱われることも多いですが、形而上学的観点から「意識とは何か」を問う研究もたくさん行われています。
ここで問いが深まってくると、「人工知能(AI)に意識は宿るのか?」という現代的な問題にもつながっていくんですね。

有名な哲学者の形而上学観

形而上学を語るうえで欠かせないのが、やはり歴史に名を刻んだ哲学者たちの考え方です。

ざっくりとしたイメージだけでもつかめると、ぐっと面白くなりますよ。

プラトン(紀元前427年頃 – 紀元前347年頃)

イデア論」で有名なプラトン。

彼は「私たちが見聞きしている世界(感覚の世界)は、真の実在ではなく、イデアという本質的な世界を映し出した影のようなものだ」と考えました。

「普段見えているものが影だなんて…」と驚きますよね。

でも、それだけ「真に存在するものって何だろう?」という問いを真剣に追究したわけです。

アリストテレス(紀元前384年 – 紀元前322年)

プラトンの弟子でありながら、かなり考え方が違います。

アリストテレスは、私たちの身の回りにある具体的なものが「形相(かたち)」と「質料(素材)」の結びつきによって成り立つとしました。

ここから「この世界にあるものは何でできていて、どういう仕組みで成り立っているの?」という探究が始まります。

アリストテレスが残した理論は後のヨーロッパ思想に大きな影響を与えました。

デカルト(1596年 – 1650年)

我思う、ゆえに我あり」という有名な言葉で知られるデカルト。

彼は「自分の意識だけは疑いようがない」というところから、存在を確信しようとしました。

これは形而上学的な問いの典型例ですよね。

「夢の中にいるかもしれないし、悪い魔術師に騙されているかもしれない…だけど『今、疑っている私』の存在だけは確かだよね?」という考え方です。

デカルト哲学については、こちらの記事で詳細に解説しています!

カント(1724年 – 1804年)

カントは「私たちが認識できるのは、現象としての世界に過ぎない。その背後にある物自体は理解できない」という考えを示しました。

形而上学の問いを深めすぎると、「実在って何?」「そもそも理解できるの?」となりますが、カントは「人間が知り得る範囲」をきちんと整理しようとしたのです。

現代の形而上学はどうなってる?

「形而上学なんて昔の人がやってるんでしょ?」と思う人もいるかもしれません。

ところがどっこい、現代でも盛んに研究されています。

むしろ、AIや科学技術の発展、さらに宇宙論の進歩などによって新しい形而上学的問題が次々と浮上しているんです!

AIと形而上学

AIがどんどん賢くなってくると、「自分とは何か?」「人間らしさとは何か?」という問いが避けられなくなります。

特に「AIが意識を持つ可能性はあるか?」という問いは、単なる工学の話だけでなく、形而上学的な問いを含んでいます。

意識ってそもそも何なの?」という問題に直結しているからです。

量子力学と形而上学

量子力学という、極小の世界を扱う物理学の分野では、「観測者が現実を変える」など不思議な現象が取り上げられています。

すると、「世界って客観的に存在しているわけじゃないの?」「そもそも客観と主観の境界って何?」といった形而上学的な問題が生まれます。

一昔前は純粋な哲学の問いだったものが、最先端の科学研究ともつながってきているんですね。

宗教哲学や科学哲学との連携

宗教哲学では「神は存在するのか?」という形而上学的な問いが扱われ、科学哲学では「科学的な実在はどこまで正しいのか?」と問われます。

神の存在を科学的に証明できるのか?」なんて問いも出てきそうですよね。

こうした学際的なアプローチが今の形而上学をどんどん面白くしています。

形而上学を学ぶメリット

「で、結局のところ形而上学なんて学んで何の役に立つの?」という疑問があるかもしれません。

たしかに、形而上学は目に見える形で「就職に有利!」とか「お金が儲かる!」といった話とは結びつきにくいかもしれません。

でも、その本当の価値は「私たちの世界観を根本から変えるきっかけを与えてくれること」にあります。

「当たり前」を問い直す力

形而上学を学ぶことで、「当たり前」を疑い、物事の本質をとことん追求する習慣が身につきます。

これは現代社会でもとても重要ですよね。SNSやインターネットで膨大な情報が飛び交う時代、一見「常識的」に見える主張でも、「本当にそうなの?」と踏みとどまって考える習慣は、デマや誤情報に惑わされないためにも大切です。

多角的な視点を得る

形而上学には様々なテーマがあり、物理学や生物学、心理学、コンピュータ科学などとも密接に関係しています。

こうした分野横断的な問題に取り組むと、自然と多角的な視点や柔軟な思考力が身につきますよね。

これは日々の問題解決やアイデア創出にも役立つはずです。

生き方の指針になる

「自分とは何か?」「世界はどんなふうに成り立っているのか?」を考えることは、そのまま「自分はこの世界でどう生きるか?」という問いにつながります。

職場での人間関係に悩んだり、人生の選択に迷ったりしたときに、「そもそも私はどういう存在なの?」「世界において私の役割って何?」と考えることが、新たな道を開いてくれるかもしれません。


まとめ

いかがでしたか?

形而上学というと一見とっつきにくいようですが、実は私たちが「なんで?」「どうして?」と首をかしげるような、身近な疑問を追究している学問なんです。

目には見えないけれど確かにあるかもしれないもの、当たり前だと思っていたけど実は不思議だらけの世界。そんな謎を、とことん掘り下げて考えるのが形而上学の魅力ですね!

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